75 取り戻すために
船底が砂を撫でて止まる。潮と樹脂の匂い、遠くでなくカモメは旅の終わりを感じさせた。ルディアに近い海は、相変わらず忙しい音で俺たちを迎えてくれる。
タラップの下に、アイゼンが立っていた。
「戻ったな、カイ殿」
「ああ。状況は?」
「港の受け入れは滞りなし。──それと、リオンから事前に伝令が来ていた。馬を三頭用意してある。カイ殿はユラン、フィオナと俺でニ騎、もう一頭は伝令に回す。申し訳ないが他の者は徒歩の移動になる」
「助かる」
こいつ、段取りが早すぎないか?
「リオン、二便で全員を連れて戻って来る事はできるか? 帝都の戦場で壊れた船は何隻ある?」
「全員連れて戻ることはおそらく可能かと。壊れたのは四隻です。しかし、シレジアから船を運んでくるのには膨大な時間が……」
「大丈夫だよ」
俺はスキルで、海上に四つの船を創り出した。なんとなく船くらいなら作れる気がしたんだ。
「はい、俺特製のアークフェルド号を四隻あげるよ」
「えぇぇぇ!!?」
リオンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「じゃ、俺たちは先に行ってるよ。みんなくれぐれも気をつけて」
「はっ!!」
にしても、かなり出来の良い船だったな……俺もいつか乗ってみたい。
「我が主、どうぞ」
ユランの毛並みに手を沈めると、心拍が整う。鞍に腰を落とし、フィオナが手綱を取り、アイゼンが並ぶ。
「本庁まで早足。──東の森から街へ『人の川』を引き戻す」
「了解!」
◇◇◇
ルディアの門は開きっぱなしだ。門番もいないし当然か。
人気のない街を歩いて本庁に入ると、神とインクの匂いが流れてくる。
執務室。地図の前にアルディナ、横にミレイ。扉を閉めたアイゼンが所定の位置に立つ。
「よくぞ戻ってきた」
アルディナは安心したような素振りを見せた。
「結論から」
三者共同声明の写しを机に並べる。停戦・撤兵・共同復興・交易・公聴会・共同対処。要点だけ畳む。
「合意成立。撤兵は三日刻み四段階だが、リオンに頼んで二段階で行う予定だ。混成警邏で市街を押さえ、基礎物資の流れは再開。帝都では真実公聴会の準備。『還し手』は情報共有で対処」
「よくやった」
アルディナが頷く。
「では、東の森から連れ戻す」
俺は地図の東側を指でなぞる。
「野営地は四つ。帰還は一列同時ではなく、波状。まず手前の二つから街へ。老幼優先。行軍は短距離区切り、角ごとに水場。東門までの導線を固定する」
ミレイが即座に追う。
「区画割りは奇数日、偶数日で二分。日量は井戸と下水の処理能力を上限に固定します。配給券は色分け──朝は青、昼は黄、夜は赤。印は日替わり、本日は双三角」
「治安は混成を倍」
アイゼンが地図に指を置く。
「列頭・列尾に経験者、子ども対応は女性混成班。野営地の出口で『三問一礼』……出身区画、避難経路、世帯の合言葉、礼は右胸二拍。偽装はそこで弾く」
その後も動きの確認は続き、大まかな流れが完成した。
「よし……最後に、二つだけ」
俺は手短に語った。
「一、道端で泣いてるやつがいたら、立ち止まって水をやれ。ニ、怒鳴り声には次の手順で返す。……それで今日を越える」
「異論なし」
会議が終わる。地図を丸め、紙束を分け、みんながそれぞれの持ち場へ歩き出したその時──。
廊下の向こうから、賑やかな声が転がってきた。
「ただいまー!」
玄関前に出ると、土ぼこりをまとった顔が三つ。いや四つ。先頭はラズ。大きく手を振り、歯を見せて笑う。隣のザルクは、肩で息をしながらも平然な顔。少し後ろにいるネリアは、巻いた布図面を抱えている。
「遅れてすまん、旦那」
ラズが片手をひらひらさせる。
「東の森から、歩いてきた。道の曲がり角には白い粉で矢印、危ない段差には赤布。子どもでも迷わないようにしといたぜ」
「さすが、仕事が早いな。無茶は?」
「最小限だ。水も分け合って、歌いながらな。……靴だけは文句言ってるけど」
ザルクが短く報告する。
「橋板が一枚割れてる。森から三つ目の小川だ。板と縄、あと釘。子どもを通す前に替えたい」
「把握」
ネリアが即答した。
「倉庫から材を出す。私が先に見に行く。今日中に仮で渡せる」
さすがの有能っぷりだな。
「帳場は東門で組む。列は二本。説明は短く、看板を大きく。英雄行為は禁止で」
「英雄行為は……私が抑える」
フィオナが咳払いを一つする。ちなみに英雄行為とは、たとえ良いことでも「独断」で目立つやり方をして、全体の安全や段取りを崩す行動のことだ。
「各班の先頭に一人ずつ、落ち着いた者を。怒鳴り声が出たら、深呼吸させてから話す」
ミレイはもうペンを走らせていた。
「今の三点、地図に落としました。橋板・矢印・赤布。伝令、これを──はい、急いで」
「よし」
俺は短く区切る。
「やることは三つ。道の詰まりを潰し、喉の渇いた人に水を与え、泣いている子に手を伸ばす。誰でもいい。近い大人がな」
「「「了解」」」
ラズがぐっと親指を立てた。
「みんな、円陣組もうぜ。景気づけだ」
彼が大きく息を吸い込む。部活の試合前かよ。
ネリアは苦笑し、ザルクは肩をすくめる。フィオナは目を細め、アイゼンは無言で腕を組んだまま──口元だけ、ほんの少し緩む。
「せーの!」
「がんばるぞーーっ!!」
声が本庁の屋根を越えて、昼の空にほどけていく。街の何処かで、誰かが振り向いたはずだ。いい。振り向いてくれれば、それで十分だ。




