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73 終戦

 帝都の執務棟は、朝の光がやけに白い。磨かれていない床板、剥き出しの石壁、割れた窓。派手だった昨夜の喧騒が嘘みたいに、音が吸い込まれていく。

 簡素な机を挟んで、俺とジェイルが向かい合った。派手な装飾は外され、彼は地味な外套に着替えている。肩の線が、少し落ちた。威圧感よりも、人間の重さが前に出てきた顔だ。


「まずは、命の話からだ」


 口火を切ると、彼は小さく頷いた。


「停戦はすでに成っている。残るは撤兵の順序と道筋。帝都周辺からの段階的撤収、三日刻みで四段階。市民の生活圏を優先する。異論は?」

「ない。……市街の安全回廊は我々が確保する。君の軍が通る間、武器を抜かせないと約束しよう」


 フィオナが横で記録を取る。紙の上で、ペンが一定のリズムを刻む音が心地良い。


「次。捕虜と負傷者の交換。医薬品と食糧の相互支援。帝国側の病院も逼迫してるはずだ。物資はルディア経由、王都の備蓄も回せる」

「……助かる」


 ジェイルの視線が、一瞬だけ揺れた。彼の中で「助かる」という言葉は、きっと今まで禁句だったのだろう。


「賠償については?」


 彼が切り出す。


「敗北の責は、私だ。金で精算する気はないが、何かを差し出さねばならない」

「金はいらない。俺が欲しいのは未来だ」


 俺は指を折る。


「一つ、境界地帯の共同復興特に渓谷付近だ。建築局と土木隊を混成にして、三か月単位で現場長を交代。二つ、交易路の整備。帝都の工房からは鉄と工具、ルディアからは穀物と薬草。関税は当面ゼロ。三つ、教育と人材の往来。留学生と技術者を双方向に。学び舎は政治宣伝の場にしない。四つ、『還し手』対策の共同捜査。情報は相互に開示。……内側から腐らせる連中だ。国境では止められない」


 ジェイルは黙って聞いていたが、最後の項目で目を細めた。


「影は、君の内側を狙ってくると聞いた」

「俺だけじゃない。権力の中枢は、どこも餌場だ」

「……わかった。内務局を整理し、対策局を新設する。君の側からも吏員を入れてくれ」

「ああ。ミレイに派遣できる人材のリストを作ってもらおう」

「了解」

 

 フィオナのペン先が止まらない。


「そして──」


 ジェイルが息を呑み、言い直す。


「──責任の件だ」


 彼は机の縁を握った。爪が白くなる。


「私はやはり、裁かれるべきだ。処刑台でも、降格でも、君の望む形で」

「だから、君を罰することはないって」

 

 俺は肩をすくめる。


「責め立てるだけの『正義』は、もう間に合ってる。必要なのは整えることだ。真実公聴会を開こう。君が命じたこと、止められなかったこと、現場で起きたこと──全部、記録して晒す。人を罰するためじゃない。次に同じことを起こさないために」

「耐えられるだろうか、帝国が」

「耐えさせるのが、王族の仕事だろ」


 思わず、少しきつい言い方になった。ジェイルは目を伏せ、苦笑した。


「歳下のくせに、手厳しい」

「年齢なんて、今は飾りだ」


 しばらく沈黙が落ちた。窓の外で、風鈴のような金属音が小さく鳴る。片付けの音だ。


「……父に会う」


 ジェイルが言った。


「君が言った通り、もう一度共に国を創る覚悟があるか、確かめたい」

「ああ。俺の名で橋をかける。王都のアルディナとも正式に会ってくれ。玉座の痛みは、あの人が一番知ってる」


 彼は深く頷いた。視線に、逃げ場のない現実と、ほんのわずかな光が同居している。


「最後に、形にする話を」


 俺は机の上に、薄い紙片を三枚並べた。各国印章の朱が乾いている。


「不可侵と通商の基本条約。三者で安全保障会議を設ける。帝国・王都・ルディアの定例会合だ。利害がぶつかったら、まずそこで殴り合わずに喋る」

「殴り合う方が早い時もある」

「殴る前に、三回数えよう。それでも駄目なら、殴れ」


 ジェイルがかすかに笑った。やっと、まともな表情になった。


「……ありがとう。君が敵で良かった。味方になるなら、なおさら」

「じゃ、今日から味方ってことで」


 握手はしない。俺は立ち上がり、彼も同じように立つ。立ち上がり方で、覚悟の質が見える時がある。

 今は──悪くない。


「撤兵の段取りは回す。昼過ぎに合同発表を。文面はこっちで起草した草案を送る。過剰な謝罪も、無意味な勝ち誇りも、どっちも要らない」

「うむ」


 扉の外で、フィオナの足音が止まる。時間だ。俺は軽く顎で合図をして、ジェイルに背を向ける。

 世界は、まだ荒い。けれど、少しずつ整えていける。そういう仕事なら、やってもいい。

 俺のスローライフは、きっとまた遠のく。──でも、これぐらいの遠回りなら、悪くない。

これにて「バルディア決戦編」は完結となります!

再び王としての覚悟を決めたジェイルとともに、カイはどんな「世界」を創っていくのか。乞うご期待!

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