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69 帝都潜入、空っぽの街

 シレジア艦隊による航海は神速だった。 

 リオンの言う通り、帝国の海上警備網はまるで存在しないかのように、俺たちを捉えることができなかった。彼の卓越した航海術と、この艦隊がどれほど規格外であるかを俺たちは改めて思い知らされた。

 

 そして、作戦開始から二日目の深夜。

 俺たちは、帝都カレドニアの目と鼻の先、険しい崖に囲まれた、地図にも載らない小さな入り江に投錨した。


「──此処から先は、我々の出番ですな」


 小舟で陸地に降り立ったアイゼンが、懐から取り出した古い羊皮紙を広げた。そこには、彼とミレイが解析した、帝都の地下に広がる地下水路網が詳細に記されている。


「この水路を使えば、帝都の中心部、王宮の真下まで誰にも気づかれずに到達できるはずです。……ただし、内部がどうなっているかは、我々にも未知数ですが」

「結構だ。奇襲なんざ、それくらいのスリルがあったほうが面白い」


 ザルクが、関節を鳴らしながら獰猛に笑う。  

 作戦は、最終段階へと移行する。

 俺、フィオナ、ゴウラン、ザルク、ラズ、シェルカ、そしてユラン。

 潜入部隊は、それぞれの組織から選びぬかれたわずか数十名の精鋭。俺たちは、この地下水路から、王宮の中枢を直接叩く。

 そして俺たちの突入を合図に、背後に控える数千の連合軍本隊が一斉に、帝都へと雪崩れ込む手筈だ。


「……カイ殿」


 リオンが、少し憂いを帯びた表情で歩み寄ってきた。

 

「この作戦の成否はすべて、貴方と仲間たちの双肩にかかっております。……くれぐれも、無理をしないでください。そして、必ず生きて帰ってきてくださいね。勝利の祝杯を、一緒にあげましょう」

「……ああ」


 リオンの力強い激励。

 俺は深く頷き、潜入部隊の仲間たちに向き直った。

 皆の顔には極度の緊張が浮かんでいたが、それ以上に揺るぎない覚悟が宿っていた。


「……いいか、お前ら」


 俺は咳払いをした。


「これから俺たちは、歴史以上最も大胆な城盗りを行う。失敗は許されない。だが、俺はお前たちを信じている。それぞれの最高の技を、存分に見せつけてやれ」

「「「応!!!!!」」」


 ユランを先頭に、地下水路の湿った入り口に身を滑り込ませた。

 ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 聞こえるのは自分たちの息遣いと、遠く滴る水の音だけだ。


 水路の内側は複雑で、迷宮のように入り組んでいた。

 シェルカの優れた方向感覚が光り、俺たちを最適なルートで導いていく。


「……待て。人の気配がする」


 シェルカがすっと手を挙げて、俺たちを制止した。

 壁の向こうから、微かに話し声が聞こえた。

 ──地下牢の警備兵か?

 

「……どうする、旦那?」


 ラズはナイフを抜きながら俺に問う。

 俺は、静かに首を横に振った。


「いや、力づくは最後の手段だ」


 俺は脳内で、レイナに指示を飛ばした。


「レイナ、あの警備兵たちの運命を、ほんの少しだけズラしてくれ。腹痛か何かで、持ち場を離れるように」

「ふふ、お任せを。カイ様の平和的な解決、とっても素敵ですよ」


 数秒後。

 壁の向こうから、「ぐっ……腹が……!」「おい、どうした!?」という慌てた声が聞こえる。やがて、足音は遠ざかっていった。


「今のは……?」


 フィオナが不思議そうな顔でこちらを見る。

 俺は悪戯っぽく、人差し指を口に当てた。


「女神様の、気まぐれだよ」


 誰の血を流すこともなく、王宮の心臓部へとその歩みを進めていく。

 やがてラズが、地図の一点を指さし、足を止めた。


「……ここだ。壁の向こうは、玉座の間の真下にある、儀式用の広間のはず」

「よし……」


 深呼吸を、一つ。

 創造の力を使い、目の前の石壁を、音もなく砂のように崩れさせていく。

 壁の向こうから漏れ出す眩しい光。そして、人々の話し声。

 俺は仲間たちと無言で視線を交わした。

 ──ショータイムの、始まりだ。

 

「行くぞ!」


 俺たちは一斉に、光の中へと躍り出た。


   ◇◇◇


 一方、その頃。

 ルディア=アークフェルド連邦はかつていないほどの静寂に包まれていた。

 活気に満ちていた大通りはからは人の姿が消え、工房地区の炉の火は落とされている。

 すでに全員が、避難場所に移動を完了させていた。

 街の残されたのは、アルディナ陛下とアイゼン、ミレイ、そしてわずか数百の王都騎士団の精鋭と、最低限の防衛要員だけ。彼らは巨大な街のあちこちに潜み、息を殺してその時を待っていた。


 本庁の最上階。

 アルディナ陛下は、窓から西の渓谷地帯を静かに見つめていた。

 その隣には、緊張した面持ちのミレイが背筋を伸ばしてい立っている。


「……ミレイ殿、怖くはないか?」


 アルディナが静かに問うた。


「……怖いです。ただ、」


 ミレイは震える手で、胸に抱いたルディアの法典を握りしめた。


「カイ様が、フィオナ様が命をかけて創ろうとしている未来を信じています。私にできるのは、彼らが帰ってくる場所をこの身に代えても守り抜くことだけです」

「……見事だ」


 アルディナは感心するように頷いた。


「本人の前では決して言わないが……あの若者は、実に恐ろしい男だ。人の心を掴み、国の未来を握り、帝国を手のひらの上で踊らせる。一体彼の『手』は、次に何を持つのだろうか」


 やがて、地平線の彼方からおびたただしい数の黒い点が見え始めた。

 ……来たか。

 

 帝国の将軍バルカスは信じられないという表情で、眼下に広がる光景を見つめていた。

 数日前、目の前から忽然と姿を消したゲルハルト公爵の反乱軍。

 そして今、進軍した先に待っていたのは、この不気味なほど静まり返った、もぬけの殻の街。

 

「……報告! ルディア市街、人の気配が全くありません! 城壁は見張りもなく、街は完全に放棄されております!」


 斥候からの報告を聞き、バルカスは眉間に深いシワを寄せた。


「……罠だ。間違いなく、あのカイという小僧は我々を誘い込み、一網打尽にするつもりだろう」


 副官が進言する。


「将軍、警戒すべきです! このまま深入りするのは危険でしょう!}

「わかっておる!!」


 バルカスは苛立たしげに叫んだ。

 罠だとわかっている。だが、ここで退くわけにはいかない。皇子ジェイルからは、「何としてもルディアを落とせ」との厳命が下されている。

  

「あのクソ皇子……父皇帝のおかげで得た権威を振りかざしおって。何が戦は芸術、だ」


 バルカスの苛立ちはピークに達した。

 進むも地獄、退くも地獄。

 カイの仕掛けた「空城の計」は、敵将の心理を完璧に追い詰めていた。

 

「ええい、ままよ!!」


 数時間の逡巡の末、バルカスはついに決断した。


「全軍、突入! 街の隅々まで捜索し、潜んでいるであろう敵の残党を一人残らず炙り出せ!! 罠であろうと、その罠ごと踏み潰してくれるわ!!」


 帝国の大軍が鬨の声を上げ、もぬけの殻となったルディアの街へとなだれ込んでいく。

 その光景を、アイゼンが冷ややかに見下ろしていた。


「……愚かな。カイ殿の、本当の狙いにも気づかずに」


 そうだ。

 この「空城の計」の本当の恐ろしさは、伏兵がいるかもしれないという恐怖ではない。

 ――この何もない街に、敵の大軍を釘付けにしているというその事実そのものなのだ。

 西の帝国本隊が、もぬけの殻のルディアに時間を浪費しているその瞬間。

 カイたちが、誰にも邪魔されることなく帝国の心臓を貫こうとしている。

「……カイ殿。貴方という男は、戦場すらも一つの巨大なステージに変えてしまうらしい」


 アイゼンは東の空を見つめた。


 そこには今、この大陸の新たな歴史を創ろうとしている仲間たちの姿があるはずだ。


「さあ、見せてもらおうか。――盤上の創造主の、最後の一手を」

 

 静まり返ったルディアの街で、帝国の無駄な探索が始まった。

 彼らが自分たちの本当の敗北を知るのは、まだ少しだけ先の話である。

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