68 決戦前夜
作戦名「トリオ・ソナタ」。
その、あまりに大胆で、あまりに精密な計画が承認された瞬間から、ルディアは一つの巨大な戦争機械へと姿を変えた。
街全体は静かでありながら、熱狂的な興奮に包まれている。誰もが、これから始まる歴史的な戦いにおける自らの役割を理解し、魂を燃やしていた。
工房地区は、もはや不夜城だった。
ラズとデリン、そしてドワーフたちは炉の火を絶やすことなく、槌を振るい続けている。彼らが作っているのは、シレジアから提供された特殊な軽量金属を使用した、海路での長距離輸送に耐えうる折り畳み式の新型バリスタだ。
「おい、もっとだ! もっと風の抵抗を減らせ! 海の上じゃ、コンマ一秒のズレが命取りになるぞ!」
「わかっとるわい! 人間の若造は、口を動かす前に手を動かせ!」
ラズとドワーフたちは言葉のプロレスを繰り広げながらも、その目に宿る真剣さはまさに神業の領域。彼らの手によって、ルディアの技術の粋を集めた決戦兵器が、次々と産声を上げていた。
本庁の大ホールは、巨大な作戦司令室へと変貌を遂げていた。
ミレイとアイゼンが、大陸中から収集した情報を元に、帝都への潜入ルート、王宮の警備体制、そして皇子ジェイルの動向を不眠不休で分析している。
「……面白い。帝都の地下には、古代に作られた古い水路網が存在するらしい。ここを使えば、王宮の直下まで、音もなく兵士を送り込めるかもしれん」
「ですが、罠の可能性も。シレジアの諜報員に、裏取りを急がせます」
知略と情報が、勝利への道を一本の線として紡いでいく。
そして、街の外れの訓練場では、これまでにない規模の壮大な光景が広がっていた。
フィオナが率いる王都騎士団の、鉄壁の盾の陣形。
ゴウランが率いるトウラ戦士団の、全てを貫く矛のような突進力。
ザルクが率いるルディア警備隊の、地形を活かした変幻自在の遊撃戦術。
若い大将が率いるシレジア軍隊の、圧倒的な活力に満ちた表情。表情以外に特記事項はない。
これまで決して交わることのなかった四つの軍隊が、互いの長所を学び、短所を補い合い、一つの完璧な軍団へと変貌を遂げようとしていた。
「騎士団、前へ! 獣人の突撃を、その身で受け止め、左右に捌け!」
「トウラの戦士たちよ! 人間の陣形を信じよ! 彼らが作った隙を、お前たちの牙で抉り取れ!」
フィオナとゴウランの檄が、訓練場に響き渡る。
その光景を、俺はアルディナなリオンと共に丘の上から眺めていた。
「見事なものだな。貴殿は、国と国を、種族と種族を、真の意味で『融合』させようとしている」
アルディナが感嘆の声を漏らした。
「ええ。こんな軍隊、歴史上のどこを探しても存在しませんよ」
リオンも興奮した様子で目を輝かせていた。
これは、俺たちが世界に示す、新たな時代の軍隊の姿だ。
夜。
出撃を明日に控え、俺は一人、ユランの元を訪れた。
「……ユラン、明日、とんでもない無茶をさせることになる。すまない」
「何を今更。我が主の歩む道が平坦であったことなど、一度たりともありませぬ」
ユランは鼻を鳴らし、その巨大な身体を俺に優しくすり寄せた。
「貴方が望むなら、このユラン、星すらもこの角で砕いてご覧にいれましょう」
「はは、頼りにしてるぜ。相棒」
俺は彼の首筋を、力強く抱きしめた。
「お前はしばらくお留守番だな。ご飯は、肉がいっぱいあるから好きに食べてていいぞ」
ユランの足元で寝ているルオの頭を撫でた。
準備は、すべて整った。
仲間たちの覚悟も、俺の覚悟も決まっている。
誰もが、明日の夜明けを、固唾をのんで待っている。
「──カイ様。ご武運を」
レイナの、祈るような声が聞こえた。
「ああ。見てろよ、レイナ」
俺は夜空に浮かぶ月に向かって、にやりと笑った。
「歴史が変わる瞬間を、特等席で見せてやる」
◇◇◇
夜明け前。
東の空がまだ深い藍色に沈んでいる、一日のうちで最も静かな時間。
ルディアの街は、音のない興奮に包まれていた。
本庁の前に広がる大通りには、数千の兵士たちが完璧な隊列を組んで、その時を待っていた。
俺はユランの背にまたがり、その隊列の先頭に立っていた。
俺の隣には、黒い軍馬にまたがったフィオナ。その逆には、巨大な戦斧を肩に担いだゴウラン。そして、少し後ろにはザルクとラズ、シェルカたちの顔が見える。
誰も、何も語らない。
だが、互いに視線を交わすだけで、その覚悟は痛いほどに伝わってきた。
「いよいよ、決戦の日がやってきた!! お前ら覚悟はできてるか!!」
俺は腕を突き上げ、兵を鼓舞した。
「「「おおおおおおおおおおおっ!!」」」
「今この瞬間も、避難民は恐怖と不安で震えながら生きている! これは帝国のせいであり、俺のせいだ! でも、もう一度彼らに笑顔を取り戻してもらうには、この戦いに勝つ以外の方法はない! この戦いは、責任を果たすための戦いだ! 決して皆の覚悟を、命を、無駄にするな!!」
「「「うおおおおおおおおおおっ!!」」」
俺が走り始めると、雄叫びを上げながら連合軍は動き出した。
門を出る時、アルディナやミレイ、アイゼンたちが見送ってくれるのが見えた。みんなをがっかりさせないために、頑張らなくちゃな。
街を出ると、トウラの斥候たちが切り開いた、地図にも載らない秘密の獣道へと入っていった。
俺たちの目の前に、広大な海岸線が広がった。
そして、その沖合。数十隻の黒い影があった。シレジアの紋章を掲げた、大陸最強の艦隊が俺たちを待っていた。
先頭の旗艦の甲板には、リオンの姿があった。
彼はこちらに気づくと、楽しそうに大きく手を振った。
「ようこそ、カイ殿! 我がシレジア海軍の、ささやかな歓迎です! さあ、帝都までの快適な船旅をお楽しみください!」
兵士たちは次々と、用意された小舟に乗り込み、沖合への艦隊へと移っていく。
その光景はあまりに幻想的で、壮大だった。
「昨日までルディアにいたのに、わざわざここまで来てたのか?」
「もちろんですよ。歴史が変わる瞬間に立ち会えるのです。これくらいの演出は、安いものですよ」
リオンはいたずらっぽく笑うと、水平線の彼方……帝国のある方角を、鋭い目で見据えた。
「全艦、錨を上げろ! 帆を脹れ!!!」
彼の号令一下、シレジア艦隊の巨大は帆が朝日を浴びて、一斉に広げられた。
「目標、帝都カレドニア!」
「我々の手で、偽りの王を、その玉座から引きずり下ろす!」
この後、帝都カレドニア付近の海に停泊し、少数部隊は地下を通って王宮の直下へと向かう。
残った兵士たちは王宮の後ろに控えて、出てきた兵士たちを叩く。
正直、俺のスキルがあれば王宮自体を崩すこともできるが……それでは民間人への被害が出てしまう。それは俺にとっても、帝国にとっても不都合だ。俺に殺されたって噂が流れたら、戦いに勝っても俺たちへの信頼には期待できない。
「……勝利と、本当の平和を手土産に持って帰ろうではありませんか」
リオンが呟いた。
「かっこいいこと言うじゃん」
「なっ……!?」
急にリオンの頬が赤くなった。恥ずかしがるなら言うなよ。
「……でも、そうだな。みんなが喜ぶ手土産を持って帰ろうぜ」
四カ国連合軍、その歴史的な出航である。