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66 帝国の獅子

 作戦会議の熱気が冷めやらぬまま、ルディアの心臓は再び鼓動を始め、凄まじい速度で動き出した。

 もはや、そこに悲壮感はない。あるのは、絶望の淵から這い上がり、反撃の牙を研ぎ澄ませた者たちだけが持つ、圧倒的な闘志のみ。


「──東へ向かうは、俺・ユラン・ザルク・レイナ、そしてトウラの精鋭百名! ラズとシェルカは、遊撃部隊として側面からの撹乱を頼む! フィオナ、西の防衛は任せたぞ!」

「……ああ。必ず、この街を守り抜く。だから、貴殿も必ず生きて帰ってこい!」


 本庁の前で、俺とフィオナは魂の約束を交わした。彼女の瞳にはまだ不安が残っているが、揺るぎない信頼も宿っている。その眼差しに、俺は無言で頷きを返した。


 俺たちが目指すは、東の森。避難民が隠れている場所の手前にある平原地帯、それが決戦の地だ。

 ユランを先頭に、馬に乗った俺たちは大地を蹴って駆けた。神獣の力か、あるいはレイナの加護か、その進軍速度はもはや人間の軍隊のそれではない。

 数時間後、俺たちは目的地である平原を見下ろす丘の上に立った。

 眼下には、見渡す限りの帝国の軍勢。しかし、西の本軍に比べれば大したことはない。

 総勢五千。彼らは俺たちが西で消耗しきっていると信じ込み、何の警戒もなくゆったりと森へ向かって進軍していた。その隊列は、完全に油断しきっているようだ。


「……来たな、カモどもが」


 俺の隣で、ザルクが巨大な戦斧を肩に担ぎながら笑う。

 俺は、全軍に向けて静かに手を上げた。


「……いいか。奇襲の要は、速度と、圧倒的なまでの初撃の破壊力だ。初撃が失敗したら、この戦いには負けると思え。いいか、レイナ?」

「はい、カイ様。いつでも」


 脳内に響く、頼もしい声。いつもはおちゃらけた彼女も、戦場ではここまで信頼できる相棒になるとは。


「──全軍に、女神の祝福を!」


 その瞬間、丘の上に陣取る俺たちの身体から、淡い金色のオーラが立ち昇った。

 力が、身体の芯からみなぎってくる。疲労は消え、五感は研ぎ澄まされ、闘志は極限まで高まっていく。これが、レイナの「運命の加護」……!


「すげえな、身体が嘘みたいに軽いぜ」


 ザルクが、驚きの声を上げる。俺は無防備な帝国軍を見下ろし、冷徹に命令を下した。


「──蹂躙しろ」


 その一言が合図だった。


「「「うおおおおおおおおっ!!」」」


 ザルクやトウラの獣人たちが鬨の声を上げて、雪崩を打つように丘を駆け下りていく。

 その背中には、一切の恐怖も迷いも感じられなかった。あれは人間の軍隊じゃない。百体の、怪物たちによる蹂躙だ。


「な、なんだ!? 敵襲か!? どこから!?」

「馬鹿な! 何故ルディアの兵がここに!?」


 帝国の軍勢は完全な奇襲を受け、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれた。ザルクの戦斧が鋼鉄の盾ごと、兵士を両断する。


「おい、どんな馬鹿力だよ……」


 そのザルクの戦いっぷりを見て、俺は思わず笑ってしまった。

 ゴウランの突進が、密集した隊列に巨大な風穴を開けていく。

 だが、敵もただやられるだけではない。すぐに体勢を立て直し、数に任せた波状攻撃を仕掛けてくる。


「──そこまでだ」


 俺はユランの背の上から戦場を見下ろし、創造の力を解放した。

 今度は、殲滅のための力じゃない。仲間を、守るための力だ。


 ──いでよ、金剛の城壁!


 俺たちの前線と、帝国軍の中央との間に、瞬時にして巨大で滑らかな黒曜石の壁が出現した。 

 帝国軍の進軍は、完全に分断される。


「なっ……壁!?」

「魔法か!? 構わん、打ち破れ!」

「おい、あれを見ろ! カイが丘の上にいるぞ!」

「おかしい! あいつは本軍との戦闘で消耗しきっているはず!」


 兵士たちの顔が真っ青になった。そりゃ、俺が東の森にも現れるってのは想定外だっただろうな。

 あの壁は、並の攻撃ではびくともしない。


「よし、お前ら、今だ!!」


 壁の上から、ラズとシェルカ率いる遊撃部隊が、雨のような矢を混乱する敵の後衛部隊へと一方的に浴びせ始めた。


「くそっ、罠だ! 我々は、完全に誘い込まれていた!」


 敵の指揮官が絶叫する。そうだ。ここからは、決して戦ではない。

 ──狩りの、時間だ。


「ユラン、行くぞ!」


 俺はユランと共に、空を駆けた。

 狙うはただ一点。敵の指揮官の首だ。俺の手には、光り輝く、裁きの槍が握られていた。


「させるかァッ!」


 敵の護衛部隊が対空魔法の弾幕を張る。

 だが、その全てをユランは軽々と回避していく。

 一瞬にして敵の指揮官の目の前へ到達し、俺は目を合わせた。

 彼の瞳には、信じられないという絶望の色が浮かんでいた。


「……終わりだ」


 俺が、槍を振り下ろそうとしたその瞬間。

 指揮官の背後、何もないはずの空間から音もなく二つの影が現れた。

 漆黒の外套に、顔を隠す深いフード。その手には、月光を吸い込んだかのような青白い光を放つ短剣が握られている。


「なっ……!?」

 

 俺ですらその気配を全く感知できなかった。

 二つの影は流れるような動きで、指揮官の首筋に寸分違わず刃を突き立てた。


「ぐ……ぎ……」


 帝国の指揮官は、断末魔の悲鳴すら上げることなく、その場に倒れた。

 何が起きた?

 俺は槍を構えたまま、呆然とその光景を見つめていた。

 二人の暗殺者は、返り血ひとつ浴びることなく、静かにフードを取った。

 その下から、老いてなお、その眼光に獅子のような鋭さを宿した一人の壮年の男。そして、銀髪を編み込み、冷徹な美貌を持つ一人の若い女性。


 壮年の男が俺を見上げ、その口元に笑みを浮かべた。

 そして、彼の声は先生の喧騒を貫き、俺の脳内に直接響き渡った。念話か。


「──カイ=アークフェルド殿。我らが届けた手紙は、お読みになられたかな?」

「……お前たち、まさか……!」

「いかにも」


 男──ゲルハルト公爵本人が深く頷いた。


「皇子ジェイルに忠誠を誓うこの愚か者たちは、我らが始末した。これは貴殿らへの、我らが誠意の証。そして、帝国を憂う我ら古き貴族からの、血塗られたメッセージだ」


 その言葉と共に、公爵は手を上げた、それを合図に、戦場へ第三の勢力が姿を表した。

 帝国軍の後方、その側面を突くようにして、突如として現れたもうひとつの軍団。

 彼らが掲げる旗は帝国の紋章ではあったが、その色は皇子ジェイルの好む深紅ではなく、古き帝国が掲げた誇り高き黄金だった。


「な、なんだあいつら!?」

「味方か!? いや、違う! あの旗は……反乱軍!」


 混乱する帝国軍。指揮官を失い、もはや機能停止寸前の状態だ。

 ゲルハルト公爵率いる帝国内の穏健派貴族たちが、この瞬間に合わせて一斉に蜂起したのだ。


「全軍、聞け!」


 公爵の雷のような声が戦場に響き渡る。


「我らは、帝国の正当なる後継者! 皇子ジェイルの暴政を正し、帝国の誇りを取り戻すため、今ここに立っている! 暴君に与する愚か者どもに、鉄槌を下せ!」

「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!」」」


 黄金の旗を掲げた軍勢が、ジェイル派の帝国軍に背後から襲いかかった。

 完璧な挟撃。

 もはや勝敗は決まったようなものだ。

 

 敵の、敵。それは果たして俺たちの味方なのか?

 

「……カイ殿。我らは、貴殿らに服従するつもりはない。我らには、我らの戦うべき理由がある」


 公爵の念話が、再び俺の脳内に響く。


「だが、共通の敵を持つ者同士、一時的に牙を並べることはできよう。この戦、我らがいただく。貴殿らは、その間に民を救い、傷を癒すがいい」


 そう言うと、彼は再びフードを深く被り、銀髪の女性とともに戦場の中心へと消えていった。

 ……帝国軍同士が、激しい同士討ちを繰り広げている。


「……すげえな」


 ラズが呆然と呟いた。


「敵のど真ん中で、もう一つの戦争を始めやがった。……帝国の連中、思ったより一枚岩じゃないらしいな」

 

 そうだ。

 俺らの戦いはルディアだけの戦いではない。帝国という、巨大な獅子の内側で始まった壮絶な後継者争い。

 俺たちはその渦の中心に、巻き込まれてしまったのだ。


「……全軍、撤退!」


 俺は我に返り、思い切り叫んだ。


「これより、我々は戦闘を中断! 負傷者の級ごと、避難民の保護を最優先とする! この戦はもう、俺たちの手から離れた!」


 混乱する戦場を背に、俺たちは急いで東の森へと向かった。

 盤上はあまりにも複雑に、そしてあまりにも激しく動いていた。


「信頼したというわけではないが……あいつらに帝国の未来を委ねてみるのも面白いかもな」

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