64 罪を背負ってでも
開戦の狼煙が上がってから、数十分。
西側の城壁には、デリンとドワーフたちが作り上げたありったけのバリスタと投石機が据え付けられている。ラズが開発した、指向性の高い音響爆弾も切り札として配置された。
ネリアの指揮のもと、建築部隊が大通りに即席のバリケードを次々と構築していく。その手際の良さはもはや職人の域を超え、戦場の工兵のそれだった。
「カイ様! 住民避難の進捗状況は約ニ割であります!」
「了解! まだ数時間はかかりそうだな……」
「第一防衛線は、西の渓谷! トウラの戦士たちとガランの遊撃隊、そして騎士団が、地形を利用して敵の進軍速度を可能な限り削ぐ!」
「第二防衛線は、この城壁だ! ルディアの兵士たちを主軸に、ザルクの警備隊が側面を固める! 何があろうとここを突破させるな!」
「カイの旦那は、ユランと共に遊撃部隊として最も危険な戦線を支援! 頼んだぞ、旦那!」
大議事堂での短い作戦会議を終え、俺たちはそれぞれの戦場へと散っていった。
ミレイとオルドは、涙ながらに戦えない民の避難誘導を続けている。その光景に胸が張り裂けそうになるのを、俺は奥歯を噛み締めて堪えた。
「行くぞ、ユラン!」
「御意、我が主!」
ユランの背にまたがり、戦場の最前線、赤く染まる西の空へと駆けた。
眼下に広がる光景はまさに地獄だった。
渓谷を、黒い鉄砲水のように、帝国の兵士たちが埋め尽くしている。その数、まさに五万。先頭を行く重装歩兵の掲げる盾が、不気味な黒一色に統一されている。
対するトウラとルディアの連合部隊は、わずか数百。
だが、彼らは一歩も引いていなかった。
「うおおおおおっ! 獣の牙を、舐めるなよォッ!」
ゴウランが巨大な戦斧を振り回し、帝国の兵士を薙ぎ払う。シェルカの放つ矢が寸分違わず、敵の指揮官の喉を射抜いていく。
だが、いかんせん数が違いすぎる。倒しても倒しても、兵士が後方から無限に湧いてくる。
「カイ殿! 上だ!」
バルハの声。
見上げると、空には再びあの黒翼──ワイバーン部隊が、編隊を組んで迫ってきていた。
「また来やがったか、トカゲどもが!」
俺は、ユランの背の上で創造の力を解放した。
――いでよ、光の槍衾!
無数の光の槍が空を埋め尽くし、ワイバーン部隊へと突き刺さる。数機が悲鳴を上げて墜落していくが、敵の数は前回の比ではない。
「よし、魔力切れを起こしてない……! これなら戦える!」
源泉に近づくってのはこういうことだったんだな、レイナ……!
「ユラン! 奴らの指揮官機を叩くぞ!」
ユランが、神獣の名に恥じぬ神がかり的な速度で空を駆けた。
敵のブレスを紙一重でかわし、反撃とばかりにその角から聖なる光線を放つ。光線に触れたワイバーンは、浄化されるように光の粒子となって消滅した。
強い。ユランは間違いなく、この戦場で最強の存在だ。
しかし、そんなユランの身体にも徐々に、敵の攻撃による傷が刻まれ始めていた。
「ぐっ……!」
俺たちの奮戦も虚しく、戦況は絶望的なままだ。第一防衛線は、少しずつ後退を始めている。トウラの戦士も、次々と力尽きて倒れていく。
これは「戦っている」とは言えない!兵力の浪費だ!
「くそっ! このままじゃ……!」
その時。俺の脳内に、レイナの切羽詰まった声が響いた。
「カイ様! 王都とシレジアの代表、アイゼン様とリオン様からの緊急通信です!」
「なんだ!?」
「帝国の別動隊が大きく迂回し、ルディアの東から侵攻を開始したとの報せが! おそらく、避難民を狙うつもりです!」
──しまった!
西の総攻撃は陽動だったってことか!?いや、陽動にしては規模が大きすぎる。両面作戦か……!
ジェイルめ、どこまでもこちらの想像を超えてきやがる。
仕方ねぇな、いくらでも付き合ってやるよ……!
「カイ、どうした!」
俺の表情の変化に、騎士団の指揮を執っていたフィオナが気づいて叫ぶ。
「東にも敵が来た! 避難民が危ない!」
フィオナの顔が、絶望に染まった。
もう、ダメだ。兵力に差がありすぎる。
「撤退だ!」
俺は大声で叫んだ。
「全軍、第二防衛線まで後退! 籠城戦に切り替え、王都からの援軍を待つ! これ以上、無駄な血を流すな!」
「しかし、カイ殿、ここを抜かれれば!」
「いいから行け! これは領主命令だ! ここは、俺に任せとけ!!!」
俺は喉から血が出るまで叫んだ。俺は絶対に、仲間を見捨てない。
最後まで戦場に立つのは、俺だ。
「カイ、貴殿、何を……!?」
「フィオナ、お前は、民と仲間を守れ。それが、お前の任務だ!!」
顔を合わせるのは、これが最後になるかもしれない。覚悟を決め、俺は力強く微笑んでみせた。
彼女は何かを言おうとして、唇を強く噛み締めた。そして、涙を振り払うように全軍に後退命令を下した。
仲間たちが渓谷から撤退していく。その背中を、俺はただ見守っていた。
広大な渓谷に残されたのは、俺とユラン、ただ二人だけ。
そして、俺たちを取り囲む、数万の帝国の軍勢。
「おいおい、ルディアの領主さんは戦うことを諦めたご様子だぜ! カッコつけて仲間だけは逃がしたのに最後はそのザマかよ!」
帝国の兵士が笑い泣きしながら言った。今から、何が起こるのかも知らずに。
「……そうだな、こんなザマだよ」
さて、と。
俺は、ゆっくりと天を仰いだ。
「──レイナ。今から、ちょっと無茶をする。お前の力、全部、俺に貸せ」
「カイ様。それは、貴方の魂そのものを削る、禁忌の御業。それでも……」
「仲間を守るためなら、魂の一つや二つ、くれてやるさ」
俺は目を閉じた。
そして、俺の魂と、このルディアの大地、そして天にいる運命の女神の力を、一つに束ねる。
今なら、何でもできるような気がした。力がみなぎって、今何をすべきかがはっきりとわかる。
スキル「創世の権能」が、限界を超えて励起していく。
「このスキルは、大地の女神が姿を消したから与えられたわけじゃない。『俺』だから、与えられたんだ」
「な、なんだ、あいつは……?」
「魔力反応、計測不能! 規格外だ!」
帝国の兵士たちが狼狽する。さっきまでの威勢はどこへやら。
俺は彼らを見下ろし、渓谷全体に響き渡る声で宣言した。
「──俺の名は、カイ=アークフェルド。ルディアの地を踏み荒らす者に、天罰を与える存在だ」
そっと、手を地面にかざす。
「……天岩戸」
次の瞬間、世界が変わった。
渓谷の地面が、まるで生き物のように隆起し、轟き始めたのだ。
巨大な岩の壁が帝国の進軍路を塞ぎ、地割れが彼らの隊列を分断する。
それだけではない。
大地から、無数の、巨大な石の兵士たちが、次々と生まれ出てきたのだ。その数は、百、千、いや、万を超える。
俺の創造の力で生み出された、土と岩の軍団。
「……行け、我が兵士たちよ。害虫を一匹残らず、駆除しろ」
あ俺の命令一下、石の軍団が帝国の軍勢へと一斉に襲いかかった。
人々の阿鼻叫喚が聞こえる。
そうだ。いくら敵国の兵士とはいえ、俺は人間を殺しているのだ。もはや戦争ではなく、一方的な蹂躙。それでも俺は、手を止めない。
──人を殺める罪を背負ってでも、守りたいものがあるのだ。
「化け物め……! 全軍、一旦引け! 体勢を立て直す!」
敵の指揮官が裏返った声で撤退を命じる。
だが、その声は轟音によってかき消された。
俺が最後の仕上げとばかりに、両手を天に掲げたからだ。
「──裁きの時は、来た」
空に、巨大な魔法陣が幾重にも展開される。
そこから降り注いだのは、光の雨。
いや、違う。無数の、巨大な隕石だった。
轟音、閃光、衝撃。
帝国の軍勢は、その大半が跡形もなく消滅した。
渓谷は、地形そのものが完全に作り変えられていた。
「……はぁ……はぁ……」
俺は、その場で崩れ落ちた。体に力が入らない。
魔力切れではない。……身体の限界だ。
「カイ様!」
「ユラン……逃げるぞ……」
俺は最後の力を振り絞り、ユランの背にしがみついた。
ユランが翼を広げ、俺を乗せたまま空へと舞い上がる。
お前、飛べたのかよ……。
遠のく意識の中で、確かに見えたものがある。
遠く、ルディアの城壁の上で、俺の名を叫びながら泣き崩れる、フィオナの姿を。