62 ルディアの日常
大地の還し手との戦いから、数日が過ぎた。
ルディアの街は、急速にその日常を取り戻しつつあった。病に倒れていた人々も快方に向かっているが、見えない敵の脅威を知ったことで、緊張感のある面持ちの人々も
工房地区の一角。そこは、ルディアの心臓部とも言える場所。
鍛冶師デリンは、いつものように無言で鉄と向き合っていた。だが、その槌を振るう手にはこれまで以上の力がこもっている。
「……おい、デリン。少しは休めよ。あんた、もう丸二日寝てねえだろ。健康が第一優先だぜ」
ラズが呆れたように声をかけるが、デリンは作業の手を止めない。
「この作業が終わったら寝る。……奴らの術は厄介だ。だが、物理的な攻撃に対しては脆い部分もあるはずだ」
彼が今精錬しているのは、試作段階の「対魔力合金」。もし、還し手の工作員が再び現れた時、今度は一撃でその核を砕けるような、特別な武器を作るためだ。
「カイ様に、二度とあんな無茶はさせられん。俺たちの技術で、この国を守る。それが俺の戦いだ」
普段は寡黙な男の、燃えるような決意。
「そうだ、何か飲み物いるか? ついでに買ってくるぞ」
ラズが尋ねると、デリンは小さな声で「ミルクティー」とだけ答えた。
「……あんた、ほんと甘い物好きだな」
一方、街の外周部。そこは狩人ガランの領域だ。
彼は、トウラの斥候たちと共に森の奥深くへと分け入っていた。
「……おかしいな。この時期にしては、魔物の動きが妙に活発だ」
ガランは、地面に残された微かな痕跡を見つめながら険しい表情で呟いた。
帝国の動きか、それとも……。
「カイは街のことに手一杯だ。外の脅威は、俺たちが未然に防がねばならん」
彼は、長年培って来た狩人としての勘を研ぎ澄まし、見えない敵の気配を探っていた。この森を知り尽くした彼にとって、ここは誰にも侵すことのできない、神聖な戦場だった。
「前方に二匹の魔物を確認!」
斥候が報告を終える頃には、ガランは猟銃の引き金を引いていた。
彼の放ったニ発は正確に魔物の首元を撃ち抜いていた。
「……流石です」
「ニ体ともイノシシの魔物か。さっさと持ち帰って、肉屋に売りつけるぞ」
本庁の執務室、そこではまた別の戦いが繰り広げられていた。
書記官ミレイは、膨大な量の書類の山と格闘していた。
「シレジアとの交易協定の細則、ドワーフとの技術提携に関する覚書、そして王都への定例報告……ああ、もう! 人手が足りません! さっさと書記官を増やしてください!」
彼女は小さく綺麗な顔をくしゃくしゃにしながら悲鳴を上げた。
そこにひょっこりと顔を出したのは、元村長、今は市長として街のまとめ役を担うオルドだった。
「ミレイ殿、あまり根を詰めなさるな。ほれ、リゼット殿からお茶の差し入れだ」
「……オルド様、ありがとうございます」
ミレイは少しだけ表情を和らげ、湯気の立つ茶を受け取った。
「わしのような老いぼれには、難しい書類仕事はわからん。だが、この街の民が皆笑顔で暮らせるように、下働きなら何でもするつもりだよ」
オルドは、皺だらけの顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「カイ様は、この国の『光』。わしらは、その光が届かぬ場所に、そっと灯りをともす。それもまた、立派な国づくり……だな」
「ちょっと静かにしてください」
書類を読んでいる最中のミレイは頭を抱えながら言った。
「も、申し訳ない。ミレイ殿」
カイ=アークフェルドという規格外のリーダーの元に集った、個性豊かな仲間たち。彼らはそれぞれの場所で、それぞれのやり方で、この国を支え、守ろうとしていた。
そんなルディアの日常が静かに回っていた、その日の夕方。
ミレイは、外交担当の職員から手渡された一通の書状を見て、その目を大きく見開いた。
それは、帝国の紋章が押された、極秘の親書だった。
「……これは、すぐにカイ様にお知らせしなければ」
彼女は書状を握りしめ、慌ててカイの執務室へと向かった。
書状の差出人は、帝国の穏健派貴族。
そしてそこには、こう記されていた。
「我らは、皇子ジェイルの暴走を憂う者。貴殿に、帝国の、そして世界の未来に関わる、重大な情報を提供したい」