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59 影狩り

 新たな留学生たちを迎え入れてから早数週間。

 ルディアは、収穫期を目前にして活気に満ちた日々を送っていた。俺が恵みの庭スキルでとんでもないサイズの畑を作ったときはどうしたものかと思っていたが、他国との交易が盛んになった今、多すぎるほどの 収穫があってよかったと実感している。

 だが、その水面下では、見えざる毒が根を広げ始めていた。

 最初の異変は、街の診療所からだった。


「……カイ。最近、妙な症状の患者が増えているわ」


 リゼットがいつになく深刻な顔で執務室を訪れた。


「妙なって、どんな?」

「最初は、ただの風邪か長旅の疲れだと思ってたの。でも、違う。高熱と、止まらない咳。そして何より、患者たちの魔力が日に日に衰弱していくの」

「魔力が衰弱って?」

「治癒魔法をかけても、その場しのぎにしかならないの。普通は、自分の体内にある魔力と結びついて、治癒魔法の効果は持続するんだけど……。まるで、身体の芯から、生命力そのものが削り取られていくみたい。特に新しく来た留学生や、体力の弱い子供たちから症状が出始めているわ」


 リゼットの報告に、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 原因不明の病。ある種、戦争よりももっと怖い存在だ。

 最初はささやかな噂だけだった。「最近、体調を崩す者が多い」「新しい病が流行っているらしい」。

 だが、患者の数は増えるに連れ、その噂は人々の心の中に、じわりと疑心暗鬼の染みを作っていく。


「なあ、聞いたか? 病気にかかってるのは、新しい移住者ばかりらしいぜ」

「トウラから来た獣人たちも、何人か咳をしてるのを見たぞ……」

「やっぱり、獣人の国ってのは衛生管理がずさんなんじゃないか?」


 井戸端で、そんな声が交わされるようになった。

 俺はリゼットを中心に特命の医療チームを編成し、病の原因究明と対策に全力を挙げさせた。だが、病の正体は一向に掴めず、患者は増える一方だった。


 街全体が重い空気に包まれ始めたある日のこと。

 第二の、衝撃的な事件が起こった。

 ──ザルクが、姿を消したのだ。


「馬鹿な! あのザルクが、何の連絡もなしに消えるだと!?」


 警備隊の詰所に、俺の怒声が響き渡った。

 報告に来たザルクの子分は、顔面蒼白で震えている。


「は、はい……。昨夜、一人で夜警に出たまま、朝になっても戻られず……。彼の部屋にも街道にも、一切の痕跡がありません」

「まず、夜中に一人で行かせるなよ……! いくらザルクが強いからって」

「申し訳ありません」


 まあ、子分を責めたって仕方はないのだが。

 あのザルクだぞ?ルディアで一、二を争う武力を持つあの男が音もなく消えるなど。

 俺は、フィオナとともに即座に大規模な捜索隊を編成した。騎士団と警備隊、そしてシェルカ率いるトウラの斥候たちが街の隅々から周辺の森まで、虱潰しに捜索を開始した。


 俺はなんとなく、見つからない気がしていた。

 案の定、丸一日捜索してもザルクの痕跡は何一つ見つからなかった。 

 その夜、本庁の会議室には絶望的な空気が満ちていた。


「……疫病の蔓延、警備の要であるザルクの失踪。こんなことが普通、同時に起きるだろうか」


 フィオナが吐き捨てるように言った。


「ああ。間違いなく何者かが裏で糸を引いている。だが、誰が何のために……」


 ラズが苛立ちを隠さずに机を叩く。

 

「……まさか」


 俺は、レイナとの会話を思い出した。

 突然の失踪、見つからない痕跡。


「……その『まさか』でございます」


 レイナが突然、会議室に姿を現した。


「この疫病……そして、ザルク様の失踪…・・。間違いなく、どちらも『還し手』の仕業です。彼らは、二つの異なる呪いを、同時にこの街に仕掛けています」

「なんだと!?」


 ラズが立ち上がった。


「疫病は、人々の絆を内側から腐らせる『不和の呪い』。そして、ザルク様の失踪はおそらく、人の記録を喰らう『忘却の旋律』。今回は記憶までは失われていないようですが」


 俺は戦慄した。

 

「どうすればいい!? 奴らはどこにいる!?」

「わかりません。 彼女は、気配を完全に消しています。ですが……ザルク様の記憶が、まだ残っている今なら……」


 俺は、拳を強く握りしめた。


「兎にも角にも、あのババアを探し出さないことには何も始まらない。見つけるべきはザルクじゃなくて、あの吟遊詩人のババアだ。そうだろ?」

 

 俺がラズを見て言うと、彼は頷いた。


「ああ。奴を放っておいちゃいけねぇ。まだこの街にいるはずだ。何が何でも、引きずり出してやる」


   ◇◇◇


 だが、捜索は困難を極めた。

 老婆──「還し手」の術は、俺たちの想像以上に隙がない。


「昨日、確かにこの路地でそれらしきバ……老婆を見たという証言があった。だが、今朝になって、その目撃者は『誰のことだったか、思い出せない』と……」


 フィオナが悔しそうに報告する。

 老婆は、自らの痕跡を人々の記憶からリアルタイムで消し去っているのだ。まるで水面に描いた絵のように、追えば追うほど、その輪郭は曖昧になっていく。


「くそ、これじゃいたちごっこだ! 奴は、俺たちの思考を読んで先回りしてるのか!?」


 ラズは、苛立たしげに壁を殴りつける。

 このままでは街に蔓延する病は勢いを増し、ザルクという存在も、いずれは完全に忘れられてしまうだろう。

 何か、別の手は……。

 思考の袋小路にはまり込んでいた、その時だった。


「カイ様」


 レイナの声が、脳内に響いた。


「彼女の術は、人の『記憶』に干渉します。ならば、記憶を持たないもの、あるいは記録そのものを頼りにするのです。例えば……街の建築記録、住民台帳のインクのシミ、あるいは……動物たちの純粋な五感、など」


 動物……? 

 その言葉に、俺ははっとした。

 そうだ。俺には、最高の相棒がいるじゃないか。

 俺はすぐに本庁の自室へ駆け戻った。

 ベッドの上で、主の帰りを待っていたルオが、心配そうに俺を見上げている。


「ルオ、頼みがある」


 俺はしゃがみ込み、彼の目を見つめた。


「お前の、その鼻を貸してくれ。この街に紛れ込んだ『異質な匂い』を見つけ出してほしいんだ」


 俺は、老婆が残していったとされる布切れを、ルオの鼻先に近づけた。

 ルオは、ふんふんと匂いを嗅ぐと、一度鋭く吠えた。

 ──わかった。

 そう言っているようだった。

 

 それから、ルオを先頭にした新たな捜索が始まった。

 彼は、人間の記憶や認識に惑わされない。ただ、純粋な嗅覚だけを頼りに街を駆け抜けていく。

 大通りを抜け、裏路地を抜け、やがて、彼が足を止めたのは、誰もが忘れ去っていた、旧領主邸。そう、元領主である、グレイの家だ。


 

「……ここか」

 

 ラズがナイフを抜きながら、息を呑む。

 シェルカが静かに弓を構え、フィオナが部下たちに突入の合図を送る。ユランも、俺たちの最後尾に佇んでいた。

 俺は、深呼吸を一つ。

 ──ようやく見つけたぞ、クソババア。 

 まずはフィオナの部下である騎士たちが扉を蹴り飛ばし、中に突入した。ああ、グレイさんの家が……。

 あらゆる部屋を捜索した。そして、最後。グレイが息を引き取った寝室に、老婆が静かに祈りを捧げていた。


「……ようやく、お気づきになりましたか。我が『聖域』に」


 老婆は、ゆっくりと振り返った。その顔には、もはや人の良い笑みはない。ただ、すべてを見透かしたかのような目をしていた。


「ですが、少し遅かったようですね」

 

 老婆の背後から、一体の巨大な影がゆっくりと姿を表した。

 筋骨隆々の、見慣れた巨躯。ひと目見ただけでわかる。ザルクだ。

 だが、その瞳には何の光も宿っていなかった。まるで魂を抜き取られた操り人形のように。


「さあ、始めましょうか。カイ=アークフェルド。貴方の心を折るための、最後の儀式を。──お友達と、殺し合っていただきましょう」


 絶望的な状況。

 だが、俺の心は不思議と静まり返っていた。 

 この大事な旧領主邸を戦場に変えたことも、ザルクを操り人形に変えたことも、全て後悔させてやる。

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