56 騎士団長の休日
女神レイナ顕現と説明責任騒動の翌朝。
俺は本庁の廊下で、人生で最も気まずい鉢合わせを体験していた。相手は、言うまでもなくフィオナだ。彼女は俺の顔を見るなり、昨日のことを思い出したのか、カッと顔を赤らめた。
「……き、今日も任務に励む! 以上だ!」
そう言ってぎこちない敬礼をすると、カツカツと早足で去ろうとする。その背中からは、「私に話しかけないで」オーラが満ち満ちていた。
このままではマズい。絶対にマズい。俺たちの間の信頼関係に亀裂が入りかねない。
「フィオナ、待て!」
俺は、勇気を振り絞って彼女を呼び止めた。
「その……今日の午後、少しだけ時間をもらえないか? 街の、復興後の状況視察に、付き合ってほしいんだ。……二人で」
最後の「二人で」という部分を、俺はか細い声で付け加えた。
フィオナの動きが、ピタリと止まる。彼女は、ゆっくりと振り返った。
「ふ、二人で……!?」
その目は驚きに見開かれ、顔はさらに赤くなっている。しかし、俺の必死の形相と、その眼差しの奥にある真剣さを感じ取ってくれたのだろう。彼女はやがて、こくりと小さく頷いた。
「……わ、わかった。同行しよう」
その声は、蚊の鳴くようなか細い声だった。
こうして、俺とフィオナのなんとも言えぬぎこちない「公務という名のデート」が決定した。
◇◇◇
俺は、ただの視察のつもりだった。
だが、その噂は俺が執務室に戻るよりも早く、街中に光の速さで広まっていた。完全にラズあたりのせいだ。
「あーっ! カイとフィオナさん、お出かけですか? いいなー、私達も混ぜてください!」
商業地区を歩き始めた途端、どこからともなくミナとミリアが、目をキラキラさせながら現れた。悪気がないのが、逆にタチが悪い。
「ち、違う! これは公務だ! 街の治安維持と経済状況の確認でだな……」
俺が必死に取り繕っていると、物陰からラズがひょっこり顔を出した。
「よぉ、旦那。邪魔しちゃ悪いと思ってな。こいつらが飛び出さないように、しっかり見張っててやったぜ。感謝しろよ?」
そのニヤニヤ顔が、すべてを物語っていた。
「結局飛び出してきてるじゃねえか!」
気を取り直して、屋台通りへ向かう。だが、そこは第二の関門だった。
「おおっ! 領主様と騎士団長様のおデートだって!? そりゃサービスしないわけにはいかんぜ! お代はいいから、うちの串焼きを食っていきな!」
「こっちの果物ジュースは『恋が成就する』って評判なんだぜ、団長さん!」
行く先々で、サービスという名のお節介の嵐。もはやゆっくり話すどころではない。
ふと見ると、通りの向こうでなぜか私服姿のザルクが腕組みしながら「たまたま通りかかった」というには無理がある体で、仁王立ちしてこちらを見守っていた。
「……フィオナ、すまん。どうも皆に誤解されちゃってるみたいだ」
「……構わん。街に活気があるのは、良いことだ」
彼女はそう言いながらも、その耳は真っ赤だった。
俺はなんとか「視察の一環」という雰囲気を出すため、ドワーフたちが営むアクセサリー店に立ち寄った。
そこで、ふとフィオナの足が止まった。
彼女が見つめていたのは、ガラスケースの中に飾られた、一つの髪飾り。月の光を銀で編み込んだかのような、繊細で、しかし凛とした美しさを持つ一品だった。その髪飾りを見つめる彼女の横顔は、いつもの厳しい騎士団長ではなく、美しいものに心惹かれる一人の女性の顔をしていた。
俺は、その表情から目が離せなかった。
そして、気づけば口が勝手に動いていた。
「……それ、買うよ。いつも世話になってるから、その礼だ」
「えっ……!?」
俺は、店主から髪飾りを受け取ると、照れくささをごまかすようにフィオナにそれを手渡した。
彼女は顔を真っ赤にしながらも、壊れ物を扱うかのような優しい手つきでそれを受け取った。その瞳は、喜びで潤んでいるように見えた。
二人の間に、ようやく少しだけ甘い空気が流れ始めた。
◇◇◇
街の喧騒から逃れるように、俺たちは、ルディアを見下ろす追悼の花壇がある丘へとやってきた。
夕日に照らされる街を眺めながら、俺は改めて昨日のことを謝罪した。
「変な誤解をさせて、本当にすまなかった」
「……いや」
フィオナはプレゼントされた髪飾りをぎゅっと胸に抱きしめながら、静かに首を振った。
「驚きはしたが……嫉妬、も……少しは、したが……それ以上に、嬉しかったのだ」
「え?」
「貴殿がそれほどまでの女神に愛され、守られている存在だと知って……安堵した。貴殿が、一人ではないのだと」
そして、彼女は、決意したように俺の目を見つめた。
「だが、それでも、言わせてほしい。……レイナ殿だけではない。この私も、貴殿の傍で、貴殿の剣となり、盾となり続けたい。いや……ただの一人の仲間としてではあるが、これからも、傍にいさせてはくれないだろうか」
その、不器用で真っ直ぐな言葉。それは、恋の告白ではなかった。だが、それ以上に重くて温かい、魂の誓いだった。
俺は、照れながらも真っ直ぐに答えた。
「もちろんだよ。これからも、傍にいてくれ」
俺は、フィオナがずっと持っていた髪飾りを取って、そっと彼女の髪につけた。つける時に彼女の顔に近づきすぎて、お互いに赤面したのは内緒だ。
「……似合ってるよ」
その言葉を聞いたフィオナは、これまでで一番美しい笑顔を見せた。
その、感動的な瞬間をぶち壊すように。
「「「おめでとう(ございます)!!」」」
物陰から、ラズ、ザルク、ミナ、ミリア、リゼット、シェルカ、その他大勢が、一斉にワッと姿を現した。手には、クラッカー代わりの花びらが満載だ。
「お前らああああっ!!」
俺の絶叫と、真っ赤になって「ち、違う! これは誓いだ!」と慌てるフィオナの姿。そして、仲間たちの楽しげな笑い声が、ルディアの夕空にいつまでも響き渡っていた。