54 祝祭の後、影は謳う
俺の開会宣言を皮切りに、三日三晩にわたるルディア建国記念祭の火蓋が、ついに切って落とされた。
初日は、復興を成し遂げたルディアの民と、助太刀に来てくれたトウラの仲間たちが主役だった。
広場の中央では、ザルクが主催する恒例の「腕っぷし自慢大会」が開催された。
「うおおおおおおおっ! どうだ、見たか! この俺様の力を!!」
ザルクが、巨大な岩を頭上まで持ち上げて見せると、観客から野太い歓声が上がる。だが、次の瞬間、トウラの猛将ゴウランが、その倍はあろうかという岩を軽々と持ち上げ、ニヤリと笑った。
「ふん、まだまだ鍛え方が足りんな、人間の若造よ」
「くっそ! もう一番!」
人間と獣人の脳筋代表が、子供のようにムキになって張り合う姿に、広場は爆笑の渦に包まれた。
大通りには、屋台がずらりと並ぶ。ミナの焼く香ばしいパン、リゼットが調合した(意外にも美味い)薬膳ジュース、そして獣人たちが振る舞う、豪快な串焼き。そのどれもが飛ぶように売れていく。
「カイ様、これ、新作の味見! 自信作だよ!」
「カイ殿、こっちの酒も試してみてくれ!」
俺はといえば、街を歩くだけで両手に食べ物と酒のジョッキが満載になる、幸せな悲鳴を上げていた。
夜には、学び舎の跡地に作られた花壇の前で、ささやかな追悼の儀式が執り行われた。
子供たちが、トモが好きだった歌を合唱する。その澄んだ歌声は、涙を誘うものではなく、明日への希望を感じさせる、力強いものだった。
俺は、光り輝く若木に、そっと酒を注いだ。
「見てるか、トモ。お前の見てた未来、ちゃんと創れてるだろ?」
二日目になると、ルディアにはさらなる活気がもたらされた。
王都から国王アルディナが、そしてシレジアからリオンが、それぞれ少数の側近だけを連れて、完全な「お忍び」で祭りに参加しに来たのだ。
「いやはや、見事なものだな、カイ。この熱気、この一体感……我が王都ですら、これほどの祭りを催したことはない」
アルディナ陛下は、普段の威厳をかなぐり捨て、一人の男として、目を輝かせながら屋台の串焼きを頬張っている。その横で、アイゼンが「陛下、お行儀が…」と、頭の痛そうな顔をしているのが面白かった。
「カイ殿! 聞いてください! 先日お話しした、我が国の最新鋭の小型帆船の設計図持ってきましたよ! これが、我々の友情の証です!」
リオンは、もはやただの商人ではなく、すっかり気のいいダチ公の顔で、酒の勢いも手伝って国の重要機密をあっさり俺に渡してきた。いいのか、それ。
その日のメインイベントは、ラズとデリン、そしてドワーフたちが主催する「ルディア技術博覧会」だった。
対魔力合金で作られた盾が、魔法使いの放つ火球をいとも簡単に弾き返す。ネリアが考案した「竜骨構造」の壁が、ザルクの渾身の一撃にびくともしない。
その光景を目の当たりにしたアルディナやリオンは、驚きと称賛の声を惜しみなく送っていた。ルディアが、もはやただの辺境都市ではないことを、その技術力が雄弁に物語っていた。
そして、最終日。
祭りのフィナーレを飾ったのは、「三国合同模擬戦闘」だった。
フィオナ率いる王都騎士団、バルハ率いるトウラ戦士団、そしてザルク率いるルディア警備隊。三つの組織が、赤と白の二組に分かれ、広場で激突する。
騎士の陣形、獣人の突破力、そしてルディアの地の利を活かした奇策。三者三様の戦術がぶつかり合い、観客を熱狂の渦に巻き込んだ。
「……すごいな」
舞台の上からその光景を見下ろしながら、俺は呟いた。
かつてはバラバラだった者たちが、今や互いを認め、競い合い、高め合っている。
勝負がついた後、俺は舞台の中央に進み出た。
三日間の祭りで、すっかり一体となった観衆が、静かに俺の言葉を待っている。
「──最高の三日間だった!」
俺は、マイクも使わず、地の声で叫んだ。
「俺たちは、この祭りで、種族も国も関係なく、笑い合えることを証明した! 悲しみを乗り越え、手を取り合えることを、世界に示した! これこそが、俺たちルディアの力だ!」
俺は、天に拳を突き上げた。
「帝国が、何を仕掛けてこようと、もう俺たちは揺るがない! この絆がある限り、俺たちは無敵だ! ──ルディア=アークフェルド連邦に、栄光あれ!!」
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
地鳴りのような歓声が、天まで届けとばかりに響き渡った。
その歓声に包まれながら、俺は確信していた。
俺のスローライフは、確かに遠い場所へ行ってしまった。
だが、その代わりに手に入れた、このかけがえのない仲間たちと、この最高の国。
これこそが、俺が、この世界で生きる意味そのものなのだ。
◇◇◇
三日三晩続いた不死鳥たちの祝祭は、熱狂と、そして確かな一体感をルディアに残して、その幕を閉じた。
街は祭りの後片付けと、賓客たちの見送りに追われながらも、どこか満ち足りた、心地よい疲労感に包まれている。破壊の跡はもはやどこにもなく、そこにあるのは、悲劇を乗り越えた者たちだけが持つ、力強く、そして優しい日常の光景だった。
「いやはや、見事な祭りだった。貴殿の国は、必ずやこの大陸の新たな中心となるだろう」
帰国の途につくアルディナ陛下は、満足げにそう言って、俺と固い握手を交わした。バルハも、リオンも、誰もがルディアの未来に大きな期待を寄せ、それぞれの国へと帰っていく。
彼らの背中を見送りながら、俺は深い安堵に包まれていた。
これで、ようやく一息つける。また、地道な国づくりに専念できる。
そう、思っていた。
だが、祭りの光が強ければ強いほど、その下に落ちる影もまた濃くなることを、俺はまだ知らなかった。
◇◇◇
祭りの喧騒の中、一人の老婆が、誰にも注目されることなく、静かにその役目を果たしていた。
大陸中を旅するという、吟遊詩人の老婆。
彼女は、その人当たりの良い笑みと豊富な知識で、いつの間にか街の人々の信頼を得ていた。特に、他国からの賓客やその側近たちと、実に巧みに言葉を交わしていた。
「おぉ、なんと素晴らしいお祭りじゃろう。じゃが、あのカイ様というお方の力は、あまりに強大で、時としてご自身でも制御できぬこともあるとか……先の戦いでも、我を忘れて暴走されたと聞く。この平和も、いつまで続くことやら」
それは、心配するふりをした、巧妙な毒の言葉。
相手の心の隙間に入り込み、疑念という小さな種を植え付ける。彼女の言葉は、直接的な嘘ではない。だが、真実の一部を切り取り、悪意で歪ませることで、何よりもたちの悪い「呪い」となった。
その囁きは、賓客たちがそれぞれの国へ持ち帰り、やがてじわじわと、ルディアへの不信感として芽吹いていくことになる。
だが、その企みに、まだ誰も気づいてはいなかった。
そして、祭りが完全に終わり、街が静かな眠りについた、その深夜。
老婆は一人、ルディアの街並みを見下ろす丘の上に立っていた。その手には、黒い水晶でできた、不気味な通信用の魔道具が握られている。
「──報告。ルディアの結束は想定以上に強固。しかし、弱点もまた明確。すべては、カイ=アークフェルドという一点に収束する」
その声は、もはや老婆のものではなかった。冷たく、怜悧で、性別すら判然としない、無機質な響き。
「彼の心を孤立させ、絶望で染め上げることこそ、我ら『還し手』の至上命題。次の段階へ移行する。器から、聖なる力を引き剥がすための、最終段階へ」
老婆――帝国の「影」であり、「大地の還し手」の工作員が、通信を終え、魔道具を懐にしまおうとした、その時だった。
「……ずいぶんと、お探ししましたよ」
背後に、一人の女性が、音もなく立っていた。
月光を浴びて輝く、白銀の髪。いつもの軽やかさを消し、神としての威厳と、静かな怒りを湛えた金色の瞳。
そこにいたのは、これまでカイの脳内にしか存在しなかったはずの、実体化した女神レイナだった。
「影」は、ゆっくりと振り返った。その顔には、初めて焦りの色が浮かんでいる。
「……まさか、貴女が直接この地に降りてくるとは。運命の女神、レイナ」
「ええ。長らく隠れていましたが、そうも言っていられなくなりましたので」
レイナは、優雅に微笑んだ。だが、その瞳は、絶対零度の光を宿している。
「貴方たちのやり方は、見ていて反吐が出ます。アレアの願いを踏みにじり、ただ自分たちの歪んだ信仰のために、世界をかき乱すだけの、愚かな一族。『大地の還し手』──いいえ、ただの『女神の力の盗人』よ」
「……何とでも言うがいい。女神の力は、不完全な人間が持つべきではない。我らは、それを本来あるべき姿に『還す』だけだ。貴様こそ、一人の人間に肩入れし、運命を歪める愚かな神よ」
風が、丘の上の二人を通り過ぎていく。
人知を超えた、二つの強大な意志が、静かに、しかし激しく火花を散らす。
「私の愛する、可愛い可愛いお人が、ようやく見つけた楽園です。これ以上、貴方たちの好きにはさせませんよ」
女神と、女神の力を奪う者。
ルディアの静かな夜の下で、世界の運命を左右する、もう一つの戦いの火蓋が、今、切って落とされた。