51 黒き太陽
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それは……トモだった。
彼は、その小さな身体で、少女を突き飛ばした。
そして――。
ゴシャアッ、という、聞きたくもない鈍い音。
俺の目の前で、あのいつもはにかんで笑っていた少年は、一瞬で、燃え盛る瓦礫の下敷きになった。
「……トモッ!!」
俺はユランの背から転がり落ちるようにして、瓦礫の山へと駆け寄った。
熱い。痛い。だが、そんなことはどうでもよかった。
必死に、素手で、燃え盛る木材や石を掻き分ける。
「カイ、無茶だ!」
フィオナが止めようとするが、俺は構わず瓦礫を掘り続けた。
やがて、瓦礫の隙間から、血塗れの、小さな身体が見えた。
俺は、震える手で、そっと彼を抱き上げた。
トモは、もう、ほとんど息もしていなかった。その身体は、ありえないほど軽く、そして、ゆっくりと冷たくなっていく。
「……カイ、さん……」
「やめろ、喋るんじゃない! すぐにリゼットを……!」
「ううん……もう、わかるから……」
トモは、血の泡を吹きながらも、必死に微笑もうとした。その瞳は、もうほとんど何も映していない。
「……よかった……あの子……無事で……」
「馬鹿野郎! お前も無事じゃなきゃ、意味ないだろ!」
涙が、ぼろぼろと溢れて止まらない。
領主として、こんな時、泣いてはいけない。わかっている。だが、止められない。
「……僕……カイさんに……出会えて……本当に、よかった……。みんなと……笑える国を……つくれて……」
「やめろ……諦めるな、トモ……」
「……僕……ちゃんと……役に……立てました、か……?」
その、か細い問いかけ。
それが、彼の最後の言葉になった。
腕の中で、ふっと身体の力が抜け、温もりが、完全に消えた。
答えられなかった。
何の言葉も、返せなかった。
ただ、友の亡骸を抱きしめ、天を仰いで、声もなく慟哭することしか、俺にはできなかった。
「……カイ」
フィオナが、俺の肩にそっと手を置いた。
その時だった。
空から、嘲笑うかのような、甲高い声が響いた。
「――見ろ、あれがルディアの領主だ! 部下の一人も救えず、ただ泣き喚くことしかできん、無力な小僧よ!」
見上げると、竜騎士団の隊長らしき男が、ワイバーンの上から俺を見下ろしていた。
その言葉が、引き金になった。
俺の心の中で、何かが、完全に壊れた。
「…………あ?」
呟きと同時に、俺の身体から、黒いオーラのような魔力が噴き出した。
悲しみも、後悔も、すべてが憎悪に塗りつぶされていく。
「カイ様! いけません! その力は……!」
レイナの悲鳴のような声が、遠くに聞こえる。
だが、もう俺には届かない。
「お前らだけは……絶対に……許さない……!」
俺はトモの亡骸をそっとフィオナに預けると、ゆっくりと立ち上がった。
不思議と、悲しみや身体の震えはなくなっていた。
俺の身体から立ち昇る黒い魔力は、夜空の月ですら喰らうかのような、濃密な絶望の色をしていた。
仲間たちが、息を呑んで俺を見ているのがわかる。フィオナの悲痛な眼差しも、ザルクの焦燥に駆られた表情も。だが、今の俺には、彼らの心配すらも届かない。
俺の意識は、ただ一点。
空で、不遜に笑う、あの竜騎士団の隊長だけを捉えていた。
「──面白い。ようやくその本性を見せたか。創造主とやら」
隊長が、愉悦に満ちた声で言う。
「だが、貴様のその力も、我らが空にある限り、届きはしまい! 全員、聞け! あの小僧の心臓を、皇子への土産とするのだ!」
その号令一下、残りの竜騎士たちが、一斉に俺に向かって急降下してくる。炎のブレスが、槍のような突撃が、死の雨となって降り注ぐ。
もう、誰も俺を守れない。
誰も、この憎悪の奔流を止められない。
「……消えろ」
呟きと同時に、俺は天に手をかざした。
悪いな、神様。「神に等しい力」、もう一度、借りさせてもらうよ。
大地が、俺の絶望に呼応して、悲鳴を上げた。
地面から突き出したのは、もはや「岩の触手」などという生易しいものではない。黒曜石のように鋭く、禍々しい輝きを放つ、巨大な『絶望の棘』。数十、数百の棘が、空を埋め尽くす勢いで伸び、竜騎士団を串刺しにしていく。
「なっ……!?」
「ぎゃああああああっ!!」
回避する暇すら与えない、無慈悲な虐殺。
ワイバーンは翼を貫かれ、竜騎士は鎧ごと棘に貫かれ、次々と黒いオブジェとなって空に晒される。
だが、それでも敵の数は多い。四方八方から、攻撃の隙を突いてくる。
「カイ! 後ろだ!」
フィオナの声。
振り返るまでもない。背後から迫るワイバーンの顎が、俺の身体を喰らおうとしていた。
俺は、ただ、鬱陶しいとだけ思った。
「──黙れ」
俺の背中から、黒い魔力の衝撃波が放たれる。
ワイバーンは、断末魔すら上げることなく、その巨体を塵と化して消滅した。
もはや、創造ではない。これは、ただの破壊。俺の憎悪が生み出した、無慈悲な力の顕現だった。
「隊長! ダメです! こいつは、化け物だ!」
「退け! 退却する!」
生き残った竜騎士たちが、恐怖に顔を引きつらせ、我先にと逃げ出そうとする。
だが、俺がそれを許すはずもなかった。
「……逃がすと思うな」
俺は、ゆっくりと空を見上げた。
俺の瞳を中心に、空間そのものが、黒く歪んでいく。
「カイ様! おやめなさい! それ以上はその魂が……!」
レイナの必死の制止が、脳内に響く。
だが、俺は、その声ですら、振り払った。
トモの、あの最期の問いかけが、頭から離れない。
『役に、立てましたか?』
ああ、立てたさ。お前は、この俺を、ただの甘い理想家から復讐の化身に変える、最高の役に立ってくれたよ。
だから、俺も、お前のために、最高の餞をくれてやる。
お前を殺したこいつら全員の命で、弔ってやる。
「──これはお前らへの、天罰だ」
俺の背後に、それは現れた。
黒い魔力が収束し、形を成していく。
それは、巨大な、黒い太陽。
周囲の光をすべて吸い込み、ただ静かに、しかし圧倒的な質量を持って、そこに存在していた。
あれが、何なのか、俺自身にもわからない。
ただ、あれを放てば、この空にいるものすべてが、消滅するということだけは、直感で理解できた。
「……ひ……」
「な、なんだ、あれは……」
竜騎士たちが、絶望に染まった顔で、黒い太陽を見上げている。
隊長ですら、その顔から血の気を失っていた。
「ま、待て! 我らは、ただ命令に……!」
「言い訳は、地獄でしろ」
俺が、黒い太陽を解き放とうと、腕を振り上げた、その瞬間だった。
「――いい加減に、しなさいッ!!」
凛とした、しかしどこか泣きそうな声と共に、俺の頬を、痛烈な平手打ちが襲った。
パァンッ! と、乾いた音が響き渡る。
俺は、よろめき、その場に崩れ落ちた。
目の前に立っていたのは、フィオナだった。
その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「……何、を……」
「目を覚ませ、カイ! 貴殿がやっていることは、ただの八つ当たりだ! トモ殿の死を、貴殿自身の憎悪を満たすための、都合の良い言い訳にしているだけだ!」
彼女は俺の胸ぐらを掴み、必死に叫んだ。
「悲しいのは、貴殿だけではない! 悔しいのは、ここにいる全員が同じだ! だが、その悲しみに呑まれ、復讐の鬼と化すことを、トモ殿が望むとでも思うのか!? 彼が守りたかったのは、こんな、憎しみに染まった貴殿の姿ではないはずだ!」
フィオナの言葉が、杭のように、俺の心に突き刺さる。
そうだ。俺は、何をしている?
トモの死を、自分の暴力を正当化するために、利用しているだけじゃないか。
「……う……あ……」
俺の身体から、黒い魔力が、霧が晴れるように消えていく。
背後にあった黒い太陽もまた、幻だったかのように、闇に溶けて消えた。
力の抜けた俺の身体は、そのまま地面に倒れ込もうとする。それを、フィオナが、その華奢な身体で、必死に支えてくれた。
「……ごめん……フィオナ……おれは……」
「もう、いい。もう、いいから……」
彼女の腕の中で、俺は、子供のように、声を上げて泣いた。
友を失った悲しみ。何もできなかった無力感。そして、憎しみに我を忘れた、自分自身への不甲斐なさ。
すべての感情が、涙となって、溢れ出していく。
俺たちが、そうしている間にも、生き残った竜騎士団は、蜘蛛の子を散らすように、撤退していった。
誰も、追わなかった。
今の俺たちに、そんな力は残っていなかった。
「……カイ様」
遠のく意識の中で、レイナの、安堵に満ちた声が聞こえた。
俺は、フィオナの温もりを感じながら、ゆっくりと、意識を手放した。
黒翼が去った後の空には、ただ、静かな、あまりにも静かな月が、浮かんでいるだけだった。




