50(1) 四つの光、一つの卓
おかげさまで本作も50話達成です!
今回はボリューミーな内容ですので、二部構成となっております!
今後も執筆を続けていきますのでよろしくお願いします!
リオン=ディーゼルという海からの風が吹き抜けてから、一週間。
その日、ルディアの街は、歴史が生まれる瞬間の、静かな熱狂に包まれていた。本庁へと続く道は、フィオナ率いる王都騎士団と、ザルクの警備隊によって、最高レベルの厳戒態勢が敷かれている。
大議事堂には、四つの旗が掲げられていた。
我がルディア、獣人のトウラ、海洋国家シレジア。
そして――白銀の獅子の紋章。王都グランマリアの旗だ。
円卓を囲むのは、それぞれの国を代表する顔ぶれ。
トウラからは、揺るぎない威厳を放つ族長バルハ。
シレジアからは、人の良い笑顔の裏に商人の鋭さを隠した、特命全権大使リオン=ディーゼル。
そして、王都グランマリアからは──国王、その人。玉座を離れ、この辺境の地にまで自ら足を運んだ、アルディナ=レーヴェル陛下。
その隣には、護衛としてフィオナやアイゼンが控えている。
前代未聞の光景に、議事堂の空気は、張り詰めた弦のように、鋭い緊張感を帯びていた。
「──まず、この呼びかけに応じてくれたこと、主催者として心から礼を言う。特にアルディナ陛下、貴方自らがお越しくださるとは、望外の喜びでございます」
俺は、静かに口火を切った。
「うむ。カイ、貴殿が『大陸の未来を左右する』と言うのだ。この目で直接確かめぬわけにはいくまい。それに、敬語など不要だ。今や貴殿の方が、世界の命運を握っておる」
アルディナ陛下の声は、穏やかだが、王としての重みに満ちていた。
俺は、まずリオンに視線を移した。彼は、この場の異常な緊張感に、さすがに笑顔を引きつらせている。
「それと、海洋国家シレジアがここにいる経緯だが……これは、棚からぼた餅というやつだ。先日、彼らが商談に訪れた際、俺が『面白そうだから』という理由で、半ば強引にこの会議に引きずり込んだ。以上だ」
「た、棚からぼた餅……!?」
リオンが絶句する。バルハは呆れたように肩をすくめ、アルディナ陛下は「ふっ、貴殿らしいな」と面白そうに笑った。この場の緊張をほぐすための、俺なりのジャブだ。
「さて、本題に入ろう」
俺は、表情を引き締め、テーブルの中央に例の資料を並べた。古代兵器のスケッチ、偽の密約書、そして帝国貴族アルブレヒト辺境伯に関する情報。
「ここにいる我々は、それぞれ異なる歴史を持つ。だが今、一つの共通の脅威に直面している。──バルディア帝国という名の、傲慢なる力に」
俺は、これまでの経緯と帝国の策謀、そして奴らの狙いを、包み隠さず三国の代表たちに語った。
「……奴らは、俺たちが『判断する』という、一番厄介な攻撃を仕掛けてきた。俺たちが、互いに疑い、意見を違え、内側から分裂することを狙っている」
俺の言葉に、バルハが重々しく頷いた。
「うむ。帝国のやり方は、あまりに卑劣。誇りというものを知らぬ。我らトウラは、カイ殿と共に、その牙に立ち向かう覚悟はできている」
「我がシレジアも、帝国の覇権主義は看過できません」
リオンも、覚悟を決めた表情で続く。
「自由な交易こそが、世界の富を育む。それを力で支配しようとする者は、我々商人すべての敵です」
二国の意志は固い。
全員の視線が、静かに腕を組んでいたアルディナ陛下に集まる。
王は、ゆっくりと口を開いた。
「……カイ。貴殿は、この状況を打開するための策がある。そうだな?」
「ああ。俺が提案するのはもっと建設的で、そして、もっと帝国にとって屈辱的なことだ」
俺は、一枚の新しい羊皮紙をテーブルの中央に広げた。
「──『大陸自由交易憲章』の締結を提案する」
もちろん、これはレイナの提案である。
「……憲章?」
「ああ。ここにいる四つの国が中心となり、自由で、公正で、安全な交易を保障するための、新たな国際ルールを創るんだ。内容はこうだ」
俺は、ミレイたちと練り上げた条文を、一つ一つ読み上げていく。
関税の撤廃、合同警備隊の設立、そして、不当な圧力に対する共同経済制裁。
俺が語るたびに、場の空気が熱を帯びていくのがわかった。
「……つまり、帝国を名指しせずとも、帝国の行動そのものを『ルール違反』として封じ込める、と。そして、この憲章に加盟する国が増えれば増えるほど、帝国は経済的に孤立していく……」
アイゼンが、感嘆とも呆れともつかぬ声で呟いた。
「その通り。戦争で帝国を滅ぼすんじゃない。俺たちが創る新しい『豊かさ』の輪の中から、帝国を弾き出すんだ。戦わずして、奴らの力を削ぎ落としていく。それこそが、俺たちの戦い方だ」
俺の提案を聞き終えたリオンは、もはや興奮を隠しきれない様子だった。
「素晴らしい……! なんて壮大で、したたかな構想だ! これが実現すれば、世界の富の流れは根底から変わる! 我がシレジア、この憲章に、国の全威信を懸けて賛同いたします!」
バルハもまた、その金色の瞳を爛々と輝かせていた。
「力だけではない。知恵と、未来を見据えた策謀。カイ殿、貴殿の器の大きさ、改めて見せてもらった。我らトウラも、この新たな盟約に、我が民の未来を賭けよう」
残るは、王都の判断。
全員の視線が、玉座の主、アルディナ陛下に集まる。
王は、しばらく目を閉じていたが、やがてその口元に、満足げな、そしてどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「……ククク。ハッハッハ! 見事だ、カイ=アークフェルド! 貴殿は、ただ奇跡を起こすだけの男ではなかったな。時代の流れそのものを、自らの手で創り出そうとしているのか!」
王は、玉座にいる時とは違う、一人の男としての、飾り気のない声で言った。
「よかろう! 王都グランマリア、そしてこの私、アルディナ=レーヴェルは貴殿のその途方もない計画に乗る! この憲章は、帝国の軛から世界を開放するための、希望の光となるだろう!」
その言葉と共に、王は立ち上がり、俺に向かって手を差し出した。
「しかし、この憲章は他国に加盟してもらうのが難しいのではないか? もちろん、我らも協力するが……」
アルディナはやや険しい表情を見せた。
「これから、俺はあらゆる国に使者を送っていくつもりだ。すぐに憲章を持ち出すつもりはない、関係を築いてから加盟を提案するつもりだよ」
「長い目で見れば……それが一番であるな」
バルハが頷いていた。
「うむ、王都からも使者を送るとしよう」
「助かるよ、そうすれば憲章の信頼性が高まる」
「共に、新たな時代を築こうではないか。盟友よ」
「……光栄の至りだ、陛下」
その瞬間、議事堂に集った四つの国の代表たちの心は、確かに一つになった。
帝国という巨大な影に対抗するための、光の同盟。
その歴史的な第一歩は、今、このルディアの地で、確かに記されたのだ。
◇◇◇
歴史的な会議を終えた夜、俺は一人、本庁の屋上に立っていた。
眼下には、ルディアの街の灯りが、まるで地上に降り注いだ星々のように、どこまでも広がっている。昼間の喧騒は嘘のように静まり返り、冷たく澄んだ夜風が、高揚した俺の思考を優しく冷ましていく。
アルディナ陛下やバルハたちは、今頃、迎賓館で祝杯を挙げているだろう。俺も誘われたが、「少しだけ、一人にさせてくれ」と言って、この場所に来た。
どうしても、一人で振り返りたかったのだ。
この、信じられないような一日と、そして、ここまでの道のりを。
ポケットから、くしゃくしゃになった一枚の紙を取り出す。
それは、この世界に来て間もない頃、トモが初めて描いてくれた、ルディア村の粗末な地図だ。数十軒の家と、一つの井戸、そして小さな畑が描かれているだけの、頼りない地図。
あの頃は、穏やかに暮らせればそれでよかった。
ブラック企業で心をすり減らし、過労死した俺にとって、この世界は、ただ息をすることができるだけで、奇跡のような場所だった。
ミリアが差し伸べてくれた、温かい手。
グレイさんが最後に託してくれた、村への想い。
フィオナが自らの立場を懸けて、俺の道を切り開いてくれたこと。
ラズやネリア、ザルクたちと出会い、ただの村が、仲間と共に笑い合える「帰る場所」になっていった日々。
ユランとの出会い、トウラとの盟約、そして今日、この場所に、大国の王や海の覇者までが集った。
指先で、地図に描かれた小さな井戸をなぞる。
ここから、始まったんだ。
俺の、二度目の人生が。
「……スローライフ、希望だったんだけどな」
思わず、苦笑が漏れた。
現実は、スローライフとは程遠い、嵐のような毎日だ。帝国の脅威に晒され、仲間を失う痛みを知り、自分の無力さに何度も打ちのめされた。
投げ出したくなったことは、一度や二度じゃない。
けれど。
眼下に広がる、無数の灯りを見つめる。
あの灯りの一つ一つに、誰かの暮らしがある。笑い声があり、涙があり、そして、明日への希望がある。
かつて、たった一人で冷たいオフィスに倒れた俺には、決して見ることのできなかった光景。
「……悪くない」
いや、悪くないどころじゃない。
最高だ。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。それは、権力欲でも、支配欲でもない。ただ、この愛おしい光景を、何があっても守り抜きたいという、純粋な想い。
「カイ様。良い夜ですね」
レイナの声が聞こえた。今夜の彼女はひどく穏やかで、優しい。
「ああ。最高の夜だ」
「貴方が、貴方自身の力で掴み取った夜ですよ。私は、ほんの少し、背中を押しただけです」
「それでも、感謝してる。お前がいなきゃ、俺はとっくに潰れてた」
「……お礼を言われるのは、少し、照れますね」
レイナの少しはにかんだような声が、夜風に溶けていく。
俺は、くしゃくしゃの地図を、そっと懐に戻した。
レイナの少しはにかんだような声が、夜風に溶けていく。
俺は、くしゃくしゃの地図を、そっと懐に戻した。
そうだ。俺の願いは、いつの間にか変わっていた。
ただ穏やかに生きたい、という個人的な望みから、この大切な仲間たちと、この愛おしい街と共に、未来を築きたい、という、もっと大きくて、温かい願いへ。
前世でできなかったこと。
誰かと笑い合うこと。誰かに必要とされること。誰かのために、本気で戦うこと。
そのすべてが、今、ここにある。
振り返れば、決して平坦な道ではなかった。
だが、一歩一歩、確かに歩んできたこの道は、間違いなく、俺が心の底から「生きたい」と願った道そのものだった。
「……よし」
俺は、一つ大きく伸びをすると、仲間たちが待つ宴の席へと踵を返した。
感傷に浸るのは、もう終わりだ。
明日からは、また新しい戦いが始まる。もっと面倒で、もっと厄介な問題が、山のように待ち構えているだろう。
だが、もう怖くはない。
この胸に灯った、温かい光がある限り。
俺は、何度だって立ち上がれる。