49 盤石なる礎のために
リオンを半ば強引に引き留めた後、俺は「お楽しみ」のために、溜まっていた書類仕事を驚異的な集中力で片付けていった。最高の夜にするためには、まず目の前の現実をクリアしなければならない。前世で培った社畜根性が、今ほど役に立ったことはないだろう。
その日の夕方。本庁の食堂は、急遽しつらえられたとは思えないほど、豪華な宴会場と化していた。テーブルには、リゼットとミナが腕によりをかけて作った料理が、これでもかと並んでいる。巨大な獣肉のロースト、山盛りの焼き魚、色とりどりの温野菜、そして俺が『恵みの庭』でこっそり実らせた、南国風のトロピカルフルーツ。
「さあさあ、リオン殿! 遠慮はいらん! 我がルディアの食い物は、美味いだけじゃなく、力も湧いてくるんだ!」
ザルクが、自分の腕の筋肉を自慢しながら、リオンの皿に肉の塊を放り込む。
「は、はあ……これはまた、豪勢な……」
リオンは、昼間の切れ者っぷりが嘘のように、完全に雰囲気に呑まれていた。隣ではラズが「シレジアの酒とどっちが美味いか、飲み比べと行こうぜ!」と絡んでいる。
「……ちなみに、カイ殿はまだお若いのでは? お酒を飲める年齢には見えませんが……」
「ああ、そうだな。だが、ルディアには『領主は成人扱い』っていう便利な法律があってな。俺が作った」
「ご自分で!?」
もはやツッコむ気力も失せたのか、リオンは諦めたようにジョッキを傾けた。
「……美味い。こんなフルーティーな酒は、初めてです」
「だろ? さあ、今日は無礼講だ! 食って飲んで、明日からの面倒なことは、明日の俺たちに任せようぜ! 乾杯!」
俺の号令で、食堂は「乾杯!」の大合唱に包まれた。
宴は、大いに盛り上がった。
ザルクとゴウランとシェルカ(いつの間にかトウラから遊びに来ていた)が腕相撲を始め、テーブルをミシミシ言わせる。ラズはどこからか持ち出した弦楽器をかき鳴らし、デリンがそれに合わせて静かに足でリズムを取る。俺はといえば、リオンを相手に、前世の知識を元にした「この世界の未来予想図」を熱く語っていた。
「いいかリオン! これからは『情報』が金になる時代が来る! 遠くの情報を、いかに早く、正確に手に入れるか、それが国家の命運を分けるんだ!」
「じょ、情報……なるほど……!」
リオンは、酔いも手伝ってか、目をキラキラさせながら俺の話に聞き入っている。やっぱり、根は素直で面白い奴だ。
宴もたけなわ、皆が心地よい酩酊感に包まれ始めた頃。
俺は、ニヤリと笑って立ち上がった。
「さて、と。腹も膨れて、いい感じに酔いも回ってきたことだし、お待ちかねのメインイベントと洒落込もうか」
「メインイベント?」
リオンが、不思議そうに首を傾げる。
「ああ、男だけの、最高に贅沢な夜のお楽しみだ。──ついてこい」
「男だけのって……旦那、まさか!!」
ラズが鼻息を荒くしている。おそらくあんたの想像とは違う。
「まあまあ、ついてこいって」
俺は、ザルク、ラズ、デリン、そしてリオンを連れて、本庁の裏手から少し離れた丘へと向かった。
夜の冷たい空気が、火照った身体に心地いい。
「旦那、どこへ行くんだ?」
「いいからいいから」
丘の中腹に、ネリアに頼んで秘密裏に作らせておいた、湯小屋が見えてきた。
扉を開けると、湯気がもうもうと立ち上り、硫黄の香りがふわりと鼻をくすぐる。
そして、その奥。
岩を組んで作られた巨大な露天風呂が、月明かりを浴びて、きらきらと輝いていた。
「……な、なんだ、これは……!?」
リオンが絶句した。
「はっはっは! どうだ、驚いたか! 俺が数日前、スキルで掘り当てた、ルディア初の天然温泉だ!」
そう、これが俺の「お楽しみ」。『創造の手』の応用で、地下の温泉脈を無理やり引きずり出したのだ。湯船からは、ライトアップされたルディアの夜景が一望できる。最高のロケーションだ。
「温泉……? こんな山の上に……?」
「理屈は捨てるんだ! 入ればわかる!」
俺たちは、遠慮なく服を脱ぎ捨て、ざぶんと湯船に飛び込んだ。
「あ゛あ゛あ゛~~~~~~~~……」
思わず、前世のオッサンの頃のような声が出た。骨の髄まで、疲れが溶けていくようだ。
「こりゃ、たまんねえな……」
ザルクも、ラズも、普段は無口なデリンですら、恍惚の表情を浮かべている。
「信じられない……これが、風呂……」
リオンは、恐る恐る湯に浸かりながら、目の前に広がる絶景と、身体を芯から温める湯の心地よさに、完全に言葉を失っていた。船乗りである彼は、これまで真水で身体を拭うくらいしかできなかったのだろう。
「どうだ? 悩み事とか、国のこととか、一旦全部忘れて、ただこの湯を楽しむ。これも、立派なスローライフだ」
「スロー……ライフ……。ええ、最高です……」
リオンの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。よっぽど感動したらしい。
俺たちは、肩まで湯に浸かりながら、どうでもいい馬鹿話に花を咲かせた。好きな女のタイプとか、子供の頃の失敗談とか。役職も、国も、ここでは関係ない。ただの「男同士」の、裸の付き合いだ。
「……カイ殿」
しばらくして、リオンがぽつりと呟いた。
「ん?」
「ええ、もう、わかりました。私は、貴方に、心底惚れ込みました。シレジアに帰ったら、すぐにでも最高の船乗りと技師を連れてきます。……そして、今度はぜひ、うちの国の最高の海も、貴方にもお見せしたい」
「ああ、楽しみにしてるよ!」
俺たちは、月明かりの下、ジョッキを交わす代わりに、互いの拳を軽く突き合わせた。
湯けむりの向こうで、ルディアの街の灯りが、まるで星空のように輝いていた。
その夜、俺は久しぶりに、ぐっすりと眠ることができた。
女神の声も、帝国の影も聞こえない、ただ穏やかな、最高の夜だった。
◇◇◇
海からの風は、ルディアに新たな活気と、そして確かな未来への手応えを運んできた。
リオン=ディーゼルは、満足げな、それでいてどこか狐につままれたような複雑な表情でシレジアへと帰っていった。「必ずや、最高の仲間を連れて戻ります!」という彼の言葉は、もはや社交辞令ではなく、熱のこもった盟友としての約束の響きを持っていた。
そして、彼の背中を見送った彼は、休む間もなくルディアの民と幹部たちを本庁の大ホールに集め、高らかに宣言した。
「──これより、『ルディア大改革』を開始する! 目標はただ一つ! 俺がいなくても、この国がびくともしない、大陸一強固で、豊かで、そして自由な国を創り上げることだ!」
俺の号令に、ホールは地鳴りのような歓声に包まれた。挫折を乗り越えた領主の新たな決意は、民の心に力強い炎を灯したのだ。
その日を境に、ルディアはまるで巨大な生命体が本格的に活動を開始したかのように、あらゆる部門で目まぐるしい変革の時を迎えた。
まず動いたのは、技術部門だった。
ラズとデリンが構える工房は、今や「ルディア技術開発局」と名を変え、煙と熱気が渦巻く最先端の研究拠点と化していた。
ラズが、ドワーフの使者たちから聞いたという秘伝(?)を、若い職人たちに熱く語っている。その横で、デリンは無言のまま、ドワーフたちが持ち込んだ「対魔力合金」のインゴットを睨みつけ、槌を握る手に力を込めていた。
彼らの目標は、帝国の古代兵器の装甲すら貫く新型の矢じりと、魔力攻撃を減衰させる特殊な盾の開発。失敗と試行錯誤を繰り返しながらも、工房の炉の火は、昼も夜も消えることはなかった。
「なんか技術が進みすぎて、俺のスキルで生み出す必要がなくなってきたな……」
ネリアが率いる建築局もまた、新たなステージへと突入していた。
「シレジアの造船技術……なるほど、木材を曲線に加工し、水圧や風圧を逃がす構造は、そのまま城壁の設計に応用できる。この『竜骨構造』を壁の芯に使えば、通常の城壁の三倍の耐久度が見込める」
彼女は、リオンが置いていった設計図の写しを食い入るように見つめ、ルディアの防衛網を根本から作り変えようとしていた。その傍らでは、トウラの獣人たちが、彼ら独自の罠や仕掛けの知識を、人間の建築家たちに教えている。異文化の技術が融合し、ルディアだけの、唯一無二の防衛都市が生まれようとしていた。
そして、俺が最も力を入れたのが、人材と教育部門だった。
「──以上が、『ルディア留学制度』の概要です。我々は、大陸全土から、志ある若者や技術者を、学生として、あるいは研究者として、このルディアに招待します。滞在中の衣食住は連邦が保障。見返りに、彼らの持つ知識と技術を、この国のために役立ててもらうのです」
ミレイが、トモと共に作成した計画書を、各都市へ派遣する使節団の前で読み上げる。その顔は、自信と喜びに満ちていた。
これは、単なる人材確保ではない。ルディアの理念──「種族や出身を問わず、誰もが輝ける国」という理想を、大陸中に広めるための、壮大なプロパガンダでもあった。
「トモ、お前はルディアの顔として、堂々と胸を張って、俺たちの国の素晴らしさを伝えてきてくれ」
「は、はい! カイさん!」
少し前まで、ただの村の少年だったトモが、今や一国の代表として、他国との交渉の最前線に立とうとしている。その成長が、俺は何よりも誇らしかった。
軍事部門もまた、新たな段階へと進化していた。
フィオナとザルクが立案した「三国合同軍事演習」が、ルディア近郊の平原で開始されたのだ。
「そこ! 騎士団の盾の構えが甘い! 獣人の突進を、そんな紙の盾で受け止められると思うな!」
「トウラの連中! 勢いだけで突っ込むな! 人間の騎士は、お前たちより遥かに狡猾に、陣形で殺しに来るぞ!」
フィオナの鋭い叱咤と、ザルクの雷のような怒号が、訓練場に響き渡る。
最初はぎこちなく、互いに反発し合っていた三つの組織は、ぶつかり合い、互いの長所と短所を学び合う中で、徐々に一つの「軍」としての一体感を醸成し始めていた。それは、俺やフィオナのような「英雄」がいなくても、組織として敵を打ち破るための、泥臭くも確かな一歩だった。
ルディアは、変わっていく。
俺という一本の巨木に寄りかかるのではなく、無数の若木が根を張り、互いに支え合い、巨大な森へと育っていく。
執務室の窓からその光景を眺めながら、俺は深い満足感に包まれていた。
これこそが、俺が本当に築きたかった国の姿なのだ。