46 硝子の上の対話
あの夜の、なんとも言えない気まずさに満ちたカミングアウトから数日。
被災した開拓村の生存者二十七名を連れて、ルディアへと帰還した。彼らを乗せた荷馬車が門をくぐる時、出迎えたルディアの民たちが見せたのは、同情や憐れみではなかった。ただ、静かに頭を下げ、温かいスープと毛布を差し出す、仲間を迎えるための純粋な善意だった。
「……ありがとうございます」
生き残った村の長老が、涙ながらにミナからスープを受け取る。その光景を見て、俺はこの街を築いてきて本当に良かったと、心の底から思った。
ネリアは、すでに彼らのための住居区画の増設に取り掛かっていた。ザルクの子分たちが土台を作り、騎士団の工兵部隊が資材を運ぶ。人間も獣人も騎士も、肌の色も種族も関係なく、一つの目的のために汗を流す。それこそが、ルディアの日常であり、強さの源泉だった。
俺の宣言通り、ルディアは本格的な「国づくり」へのフェーズへと移行した。俺の理想を叶えるためじゃない。もっと長い目で見る必要があるんだ。俺が死んだ後も、続いていく国にしなくては。
執務室には、大陸中から集められた地図や書物が山積みになっている。
「カイ様、西方の鉱山都市・エランデルから、技術者の派遣要請に前向きな返答がありました。ただし、条件として、こちらからは安定した食料供給を約束してほしいとのことです」
書記官のミレイが、眼鏡の奥の目を輝かせながら報告する。
「問題ない。すぐに協定案を作成してくれ。食料なら、俺のスキルでいくらでも融通が効く」
「旦那、ドワーフの連中が、新しい合金の試作品を持ってきたぜ。『魔力を弾くが、熱には弱い』っていう、一長一短の代物だが……こいつを改良すりゃ、帝国のゴーレム対策に使えるかもしれねえ」
デリンと共に工房に籠っていたラズが、顔を煤だらけにしながら設計図を広げる。
毎日が、目まぐるしく過ぎていく。やるべきことは山積みだ。だが、不思議と疲労感はなかった。街が、国が、着実に強く、盤石になっていく実感。それが、何よりの活力となっていた。
──だが、そんな多忙な日々の中で、俺は新たな、そして非常に厄介な問題と直面していた。
「カイ。今日の昼食は、私が用意した。騎士団伝統の栄養バランスを考えたレーションだ。貴殿の健康管理も、私の重要な任務の一つ」
「カイ! 私がお弁当作ってきたんだ! 卵焼き、上手にできたんだ!」
「カイさん、薬膳スープです。最近、根を詰めすぎですよ。少しは休んでください」
執務室の机の上に、三つの昼食が並んだ。
フィオナの、見た目は無骨だが栄養満点そうな携帯食。
ミナの、愛情たっぷりだが少し焦げた卵焼きが入ったお弁当。
そして、リゼットの、健康に良いのは間違いないが、若干不気味な色をしたスープ。
三人の女性陣が、にこやかな笑顔の裏で、火花を散らしている。
……なぜ、こうなった。
「フィオナさん、カイはレーションなんて食べ慣れてないんです! 私の卵焼きの方が絶対いいです!」
「ミナ殿。気持ちはわかるが、今は戦時下にも等しい。領主の体調管理は、感情論で語るべきではない」
「二人とも、喧嘩はやめて。一番大事なのは健康よ。このスープを飲めば、一発で元気になるわ」
俺の女神カミングアウト以来、女性陣からの圧がなんだか強くなった気がする。特にフィオナの変化は著しい。以前の彼女なら、こんな風に公私混同するようなことは絶対になかったはずだ。
「皆さんが惹かれるのも当然です。ふふ、存分に競い合うとよろしい」
レイナが愉快そうに実況している。黙れ。
「わかった! 全部食べる! 全部食べればいいんだろ!」
俺がヤケクソ気味に宣言すると、三人は満足げに頷き、そして互いを牽制するように睨み合った。俺の胃袋の平和は、どこかへ行ってしまったらしい。
そんなある日の午後。
王都から、一羽の伝令鳥が舞い込んできた。それは、国王アルディナからの親書だった。
「……これは」
書状を読んだ俺は、息を呑んだ。
そこには、帝国の内部で不穏な動きがあること、そして、それを裏付けるように、一人の帝国貴族が「亡命」を求めて王都に接触してきた、と記されていた。
「亡命者……? このタイミングで?」
フィオナが眉をひそめる。
「罠の可能性が高い。帝国が、新たなスパイを送り込もうとしているのかもしれん」
また同じ手口を使ってくるとは、学ばない連中だな。
「ああ。だが、もし本物なら……帝国の内情を知る、またとない機会になる」
親書には、こう書かれていた。
「この亡命者の身柄の扱いについて、盟友である貴殿の意見も聞きたい。近いうちに、我が腹心をルディアへ派遣する。彼を、我が代理として、協議の席に加えてほしい」と。
「王の腹心……」
一体、誰が来るんだ?
不安と、ほんの少しの期待が入り混じる。
数日後、ルディアの門に、王都の紋章を掲げた一団が到着した。
その先頭に立つ人物の姿を見て、俺は思わず目を見開いた。
淡い金髪に、理知的な眼鏡。冷徹そうな、しかしどこか見覚えのあるその顔。
「……アイゼン=ノルド。王の命により、参上した」
かつて、俺の領主登録のためにフィオナが協力を頼んだ、あの査問官だった。
彼は馬から降りると、ルディアの発展した街並みを一瞥したのち、俺を見て微かな笑みを浮かべた。
「カイ=アークフェルド殿。……貴殿が、ここまで巨大な『面倒事』を引き起こしてくれるとは。まったく、面白いことになったものだ」
帝国の新たな一手。そして、王都から送り込まれてきた、一筋縄ではいかなそうな切れ者。
俺の国づくりにまだ始まったばかりだというのに、休む暇はまったくないらしい。
◇◇◇
本庁の会議室。円卓を囲むのは、いつものルディアの幹部たち。そして、その上座に近い席に、涼しい顔で腰かけている男──王の代理として派遣された、アイゼン=ノルド。彼の存在そのものが、この場の空気に知的な冷たさと、鋭い緊張感を与えていた。
「──以上が、亡命を求めてきた帝国貴族、アルブレヒト辺境伯に関する、王都側で得られた情報の全てだ」
アイゼンは淡々とした口調で説明を終えると、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「彼は帝国内でも穏健派と知られ、皇子ジェイルの強硬路線にはかねてより批判的だったとされる。今回の亡命も、身の危険を感じての行動である可能性は高い。……だが」
彼は、一度言葉を切り、テーブルに並んだ全員の顔を、まるで査定でもするかのようにゆっくりと見渡した。
「言うまでもなく、これは帝国の仕掛けた巧妙な罠である可能性を、我々は決して無視できない」
その言葉を皮切りに、堰を切ったように議論が始まった。
「罠に決まってるだろ!」
最初に声を荒げたのは、ザルクだった。彼は巨大な腕を組み、アイゼンを睨みつけるように言った。
「一度ならず二度までも、同じような手に乗るほど俺たちは馬鹿じゃねぇ。前のスパイどもで懲りてるんだ。今度もどうせ、もっとタチの悪い厄介者を送り込もうって魂胆だろうが」
「私もザルクに同意見だ」
フィオナが強い口調で続く。
「帝国が、これほどわかりやすい形で、内部情報を渡すようなヘマをすると思うか 辺境伯が持ってくる情報そのものが、我々を欺くための偽情報である可能性すらある」
フィオナとザルク。ルディアの武力を象徴する二人が、揃って強硬な反対意見を述べた。
だが、それに異を唱えたのは、意外にもラズだった。
「いや、待てよ。逆に考えるんだ。俺たちだって『帝国が罠を仕掛けてくる』ってことは百も承知だ。だとしたら、帝国側も『またスパイを送ったところで、警戒されて終わりだ』って考えるのが普通じゃねぇか?」
ラズは、いつもの軽薄さを消し、鋭い目でアイゼンを見た。
「二度も同じ手を使うとは思えない、か。面白い視点だ」
アイゼンが、初めて口元に興味深そうな笑みを浮かべた。
「罠であると警戒されることを逆手に取った、『本物の亡命者』である可能性もある、と?」
「ああ。あるいは、『罠だと見抜かれた上で、俺たちがどう動くか』を試されているのかもしれない。いずれにせよ、頭ごなしに拒絶するのは、相手の思う壺かもしれんな」
ラズの言葉に、ネリアも頷いた。
「受け入れなかった場合、『ルディアは、助けを求める者すら見捨てる非情な国だ』と、帝国に新たなプロパガンダの材料を与えることにもなる。それは避けたい」
プロパガンダ。前世の社会の授業ぶりに聞いた言葉だ。
賛成と反対。警戒と好機。
会議室は二つの意見で真っ二つに割れ、議論は白熱していく。誰もが一歩も引かず、それぞれの立場から、この街の未来を案じている。その熱意はルディアへの想いがあるからと理解しているからこそ、全ての意見を受け入れたい。
俺は、その議論を黙って聞いていた。
そして、全員の意見が出尽くしたのを見計らって、静かに口を開いた。
「……受け入れよう。アルブレヒト辺境伯を」
アイゼンって誰だ?となった方はぜひ14話「臨時領主代行」をお読みください。