3 変な人じゃないよ
山道を抜け、森を越え、ようやく視界が開けたとき──俺の前には、小さな村が広がっていた。
木造の家々。石を積んだ井戸。ところどころに見える畑と柵。そのどれもが古びていて、正直「豊か」とは言い難い。でも、不思議と暖かい空気が流れている。
「ここが……ルディア村か」
ここがきっと、俺の新しい生活の拠点になる。
荷物なんて何も無い。ただ、草のついたボロボロの服と、ひとつだけ胸元に浮かぶ「創造の手」のスキルアイコン。まだ使ったことはないけど、多分、ここで試していける。
歩を進めると、井戸でせっせと水を汲んでいる少女がいた。
髪は栗色で、太陽に照らされて明るく見える。エプロン姿で、手には水の入った桶を抱えていた。俺に気づくと目を丸くして、すぐに警戒したように声を張る。
「ちょっと、あなた誰!? この村に何か用?」
「あ、ごめんなさい。カイって言います。今日からここに住むことに……なってるはず、なんだけど」
「えっ……新入り?」
少女は俺を上から下まで眺めて、眉をひそめる。
どうしてミリアは村の入口で俺を置き去りにしたんだ……。
「ずいぶんと痩せてるし、服も草だらけだし……あんた、本当に村に来るって話通ってるの?」
「……たぶん」
信頼ゼロ。まあ、そりゃそうだ。俺だったら俺を信用しない。
でもその瞬間、後ろから駆け寄る声があった。
「おーい、そこの兄ちゃん! たった今、ミリアから伝えられて来たよ。歓迎するぞ!」
屈強な中年男性が片手を上げて駆け寄ってくる。その後ろには数人の村人たちも見えた。どうやら歓迎されてないわけじゃなさそうだ。
「すまんすまん、ミナがちょっと警戒しすぎてな。こいつ、うちの看板娘なんだが、物騒な世の中でな」
「お父さんうるさい、看板娘じゃないってば」
……え、父娘?
俺が目を丸くすると、ミナという少女がふてくされた顔で横を向いた。
でも、その頬はほんの少し赤いように見えた。
その日の夕方、俺は村の会合所のような場所で、簡単な自己紹介をした。
名前はカイ。少し遠くの村で暮らしていたが、村がなくなった(という設定)ため、移住してきた。農作業や森の管理を手伝いたい。
ざっくりそんな話をすると、村の人たちは概ね好意的だった。中には「ちょっと頼りなさそうだなあ」なんて囁きも聞こえたけど、まあ気にしない。
「ふむ……それで、住まいは?」
「えっと……まだ、ないです」
正直に答えると、ミナが立ち上がって言った。
「じゃあ、空き家があるから案内するよ。掃除はしてないけど、寝るだけならなんとかなるはず」
その後、村長の案内で通されたのは、村の外れにある一軒家だった。
石造りの壁はところどころ苔むしていて、木の扉は軋む音を立てる。けれど、屋根はしっかりしていて、窓も割れていない。風雨をしのげるだけでもありがたいが……それ以上に、この小さな家には、何か「俺の存在を許してくれる」ような温もりがあった。
「元は農夫の家だったんだがな。年寄り夫婦が王都に移って、しばらく空いておった。好きに使ってくれて構わん。掃除道具と簡単な寝具くらいなら、あとで娘に持たせよう」
村長の言葉に、俺は深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
「……村に来た最初の人間が、お主で良かったよ。どうなるかと不安だったが……安心できるな」
そう言って、村長は帰っていった。
一人きりになった家の中で、俺は深呼吸をする。
土の匂い。古びた木の香り。風に運ばれていくる、どこか懐かしい空気。
あぁ、文明は前世より圧倒的に遅れているというのに、心は多幸感で満ち溢れている。
明日出勤することを考えなくていい幸せ、好きな時間まで眠っていい幸せ。
そして何より、自分が若返ったという幸せ。
この場所で、俺はもう一度生きるんだ。
◇◇◇
最初にやるべきは、やっぱり掃除だった。
家の中は埃っぽく、床には落ち葉が入り込んでいた。箒を手に、まずは玄関から掃き清めていく。道具も、年季が入ってはいるが使い慣れた形。前世での一人暮らしと、祖父母の家での思い出が、自然と手を動かす。
「うん、これなら行けそうだ」
少しずつ部屋の輪郭が見えてくると、なんだか嬉しくなってくる。
家具の配置も悪くない。テーブルに椅子、簡単な棚や調理場。井戸の水を引いているらしく、流し場の水も出た。
「これは助かる……!」
水を手ですくい、顔を洗う。冷たいけれど、芯からスッキリとする感覚だった。
日が傾く頃、誰かが戸を叩いた。
開けると、籠を下げた若い女性が立っていた。麦色の髪を結び、頬にそばかすのある、素朴な雰囲気の娘さんだ。
「あの、村長さんに言われて、寝具と食べ物を持ってきたんですけど……」
「ありがとう。君が……?」
「リア、じゃなくてえっと……今はサラって名乗ってます」
どうやら村人の一人らしい。気さくで人懐っこい雰囲気に、俺の警戒心はなくなった。
「サラさん、ありがとう。とても助かる」
「そ、そんな丁寧に言わなくていいですよ! なんか、変な人って思ってたけど……ぜんぜん、普通の人なんですね」
……変な人って思われてたのか、俺。
苦笑しつつも、彼女の差し出した籠を受け取り、中を覗く。
焼きたてのパンに、チーズとスープの瓶。それに、布にくるまれた柔らかい寝具まで。
「わざわざありがとう。これ、君が?」
「パンはうちの店の。寝具は、使ってないやつ。あ、洗濯してますから!」
その一生懸命な口ぶりに、思わず肩の力が抜けた。
「……本当に、ありがとう。大事に使うよ」
「ふふ、なんだか、変わった人だけど……」
サラは小さく呟いて、ぼそっと付け加えた。
「うん、やっぱり悪い人じゃないと思います。じゃあ、また!」
そう言って、サラは手を振りながら帰っていった。
やっぱり変な人扱いか。
でも、悪くはない。こうやって、少しずつこの村に馴染んでいこう。