35 祭りの準備はてんてこまい
翌朝、まだ霧が畑の端をうっすら覆っている頃。
畑の前に立った俺は、深呼吸ひとつ。今日の仕事は、騎士団と村人、全員分の食料をまかなうべく、畑の収穫量を一気に底上げすること──だったのだが。
「ちょっと待て、なんでこんなに集まってるんだ……?」
「カイ様! こっちにネリア隊の工事班も来てます!」
「ガランさんとリゼットさんのチームもいますよー!」
「鍛冶場からはデリンさんたちも……ってあれ、あの木の陰、ユラン様ですか?」
完全に見物イベントになっていた。しかも最前列にいるの、フィオナとその部下の騎士団員たちじゃないか。
フィオナはというと、剣の柄に肘をかけて微笑んでいた。
「さあ、見せてもらいましょう。伝説の『恵みの庭』の力とやらを」
「伝説になってたのか俺……?」
これはまずい。妙な期待を背負ってる。
ここで普通の効果しか出せなかったら、気まずい空気になること請け合いだ。
……やるしかない。
俺は膝を折り、畑に触れた。目を閉じて、力をゆっくりと大地に注ぎ込む。
だが、今日はなんだか様子が違う。
「……うお、ちょっと待っ」
力の流れが──やたらと滑らかだ。
土がまるで「まだ! もっとくれ!」とでも言ってるみたいに、素直すぎるほど敏感に反応してくる。
しかし気づいたときには、もう遅かった。
《恵みの庭》
その瞬間、畑が爆発的に芽吹いた。
普通の収穫期を一気に通り越して、ズッキーニは腕ほどの太さで地を這い、トマトは枝を垂れ下げて地面に赤い実を大量に落とし始める。
麦はまるで祭りでも始めるような勢いで穂を揺らし、豆のツルは支柱を乗り越えて村の柵にまで巻き付きかけていた。
「あ、やっべ……」
思わず声を漏らした。
周囲の反応が、それを追いかけてきた。
「な、なにこれ!? ツルが……村の壁にまで……!?」
「ナスがっ、ナスが空中に実をぶら下げてるぞ!」
「ズッキーニが……俺の腕くらいあるんだが!?」
「畑が森になってます!!」
騎士たちがざわめき、村人たちは拍手を送りながらもどこか引き気味。
ユランがひとこと、「主よ……これはもう『庭』の域を超えております」と言ったのが聞こえた。
フィオナは困り眉で俺の肩を叩く。
「さすがにやりすぎじゃないか……? これ、王都の温室施設よりも密度があるが」
「いや違う。今日はその、なんか土がすごい素直で……って、いや、待て、ツルが井戸に入ってないか? ちょっ、止まれ止まれ止まれ!!」
俺が慌てて魔力を引っ込めて成長が止まったときには、既に畑はジャングルと化していた。
トモが目を丸くして叫ぶ。
「これもう、村一個分の食料あるんじゃないっすか!?」
「あるけども! 問題は収穫と保存と……あと、誰がこれ手入れするんだ!? おいラズ、笑ってる場合か!」
「俺、畑担当じゃないからなぁ。でもこれ、ちゃんと収穫すれば干し野菜と干し芋で冬越せるぞ。本当に」
「これからの夏の間に腐るだろうが!」
オルドは手を合わせてうるうるしている。
「ありがたや……ありがたや……だが胃薬の備蓄も必要かもしれんな……」
老ネズミすぎないか流石に。
俺は畑を前に、腕を組んだ。思わぬ形で実力を見せすぎたかもしれない。
楽しそうに駆け寄ってきたミナが口を開いた。
「ふふっ、ねぇカイ、次は温泉とか出したりできるの?」
「やめてくれ。俺はただ、ちょっと畑を育てたかっただけなんだ……」
いろいろ問題はあるが……食料はもう大丈夫そうだな。
「いや、これは……やりすぎたな……」
緑が波打つほどの野菜畑、見上げるほどの麦、果樹は今にも枝を折らんばかりの実を抱えている。あれよあれよという間に、村人も騎士団も集まり、歓声を上げ、誰かが即席の小唄を歌い出し──気づけば、まるで祭りの前日のような喧騒が広がっていた。
畑を創り出すとき、少しだけ見栄を張ったのは事実だ。が、それにしてもこれはやりすぎた。完全に。
すると──耳元で、ひときわ涼やかで澄んだ声が響いた。
「ご自覚があるなら、まだ大丈夫そうですね」
レイナだった。
「レイナ、なんとかならない? 騎士団の連中に『豊穣の神』だって祀られるレベルなんだけど……」
「それはそれで素敵ではございませんか。むしろ、祀られる前提でお考えになるのも一興かと」
「冗談はよしてくれ。真面目に困ってるんだけど……」
俺はぼそぼそと答えると、レイナはくすくすと笑ったあと、少しだけ声を落ち着かせた。
「では──ひとつ、提案がございます。せっかくの豊穣、皆で祝の場を設けてはいかがでしょうか? 名付けるなら、そう──『収穫祭』などと」
「……収穫祭?」
「ええ。皆が働き、皆が守るべき土地に、これほどの実りがもたらされたのです。時の巡りに感謝し、民が顔を合わせ、心を一つにする。政治的にも、精神的にも、極めて良い影響を与えるかと存じます」
妙に理性的で落ち着いている。しかも、かなりの説得力がある。
「……それに、皆様の歓声をお聞きになったでしょう? 我が主が一歩踏み出した先に、こんなに多くの喜びがある。どうか、その意味をお忘れなきよう」
俺が感心していると、レイナはおどけるように一言付け加えた。
「ああ、もちろん、主役として踊らされる覚悟だけは、今のうちにご準備くださいませ」
「……絶対嫌だ。踊らないからな」
「ふふ、楽しみにしております」
「おい!」
「……」
レイナからの返事が止まった。ったく、このタイミングで逃げるのは卑怯だぞ……。
代わりに、どこからか誰かが叫ぶ声が届いた。
「なあカイ様! 収穫祭とか、やっちゃわねぇか!?」
「いいな! もう宴の準備するか!」
既成事実が出来上がっていく音が聞こえる。
俺はため息をつきながら、皆の方へ向き直った。
「というわけで、第一回ルディア収穫祭、開催決定だ!」
俺が半ばヤケクソでそう宣言すると、広場は割れんばかりの歓声に包まれた。もう後には引けない。完全に引くに引けなくなった。
こうして、俺の意図とは裏腹に、街を上げての一大プロジェクトがなし崩し的にスタートした。
こんなことをしている場合ではないはずなんだが。
「で、カイの旦那。企画運営は俺とあんたでやるってことでいいんだな?」
「ああ。言い出しっぺは俺だし、責任は取るさ」
本庁の会議室で、俺とラズは巨大な羊皮紙を広げて向かい合った。その周りには、いつもの幹部の顔ぶれが勢揃いしている。
「まず会場設営。これはネリア、頼めるか? 広場に舞台と、あと全員分とは言わないけど、なるべくたくさんの長テーブルと椅子。屋台の骨組みもいくつかほ欲しい」
「任せて。図面は今夜中に引く。ザルク、あんたんとこの若い衆と騎士団の一部、明日から借りるよ」
「おう、いくらでも使ってくれ!」
ネリアとザルクはもう阿吽の呼吸だ。この二人が組むと、大概の物理的な問題は解決する。
「次に料理。これはリゼットと……ミナにも頼んでおくか」
「そうね。いい子だし、私から声をかけておくわ」
「ああ、頼むよ」
「薬草を使った滋養強壮スープも試作するわ。騎士団の疲労回復にも効くはずよ」
リゼットの言葉に一抹の不安がよぎる。
「警備はフィオナを中心に騎士団に頼む。祭りの間、外部からの不審者の侵入もありうる。特に、例の難民の仲間が動く可能性も考えておきたい」
「承知した。警備計画はザルクと共同で立案する」
フィオナはきりりと頷く。
「よし、じゃあ俺とラズは全体の進行と……余興だな」
「ああ、それがなくっちゃな。獣人たちの力比べ大会とか、子どもたちの宝探しゲームとかどうだ?」
ラズの目が少年のように輝き始めた。普段の軽薄さはどこへやら、こういうことに関しては天才的なひらめきを発揮する。
役割分担が決まると、街は一気に活気づいた。
あちこちで槌音が響き、ネリアの指示で舞台の骨組みがみるみる組み上がっていく。ザルクの子分たちと騎士団員が、最初はぎこちなく、やがては息を合わせて重い木材を運ぶ姿は、それだけで壮観だった。
炊事場からは、一日中いい匂いが漂っていた。ミナを中心に村の女性たちが腕を振るい、巨大な鍋でスープを煮込み、山のようなパン生地をこねている。俺が味見に呼ばれて向かうと、なぜかリゼットが緑色のペーストをスプーンで差し出してきた。
「カイ、これ新作。疲労回復と魔力増強に効く薬草の和え物。味見してみて」
「……色はともかく、味は保証されるんだろうな?」
「失礼ね。ちゃんとハチミツで甘みも加えてあるわよ」
恐る恐る口にすると、苦味と甘みが混ざった不思議な味がした。……うん、まあ、身体には良さそうだ。
「どう? 元気出た?」
「……出た気がする。ありがとう」
嘘は言っていない。いろんな意味で、目が覚める味だった。