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32 数多の影

 最初の異変は、誰の目にも映らぬほど小さな波紋だった。

 小さな疑念。小さな言い回しの違い。小さな仲間意識。

 七人の難民がルディアに受け入れられてから、半月が経過していた。

 彼らは表面上、ごく真面目な労働者として振る舞っていた。街の整備現場に参加し、獣人たちと共に汗を流し、穏やかな笑みすら浮かべていた。

 だが、その実態は、精密に仕組まれた歯車だった。


  ◇◇◇


 一人は、誠実な青年として若者の輪に入り込んだ。

 名をラーシュと名乗るその男は、言葉巧みに働きながら、気さくに周囲へと声をかけ続けた。

 

「なあ、ここちょっとおかしいと思わないか?」


 仕事の帰り道、酒場の一角。若い獣人と人間の混合グループが集まっていた。

 ラーシュは焼いた干し肉をかじりながら、言葉を発する。


「街は立派になってきてるけど、結局トップの人間は変わらないだろ? カイって人が全部決めてて、俺たちは命令を待つだけだ」

「……でも、それがこの街のやり方だし、みんな納得してるよ」

「そうか? なあ、お前らだって何かやってみたいこと、あるだろ? 自分たちで考えて、自分たちで回していける場所──そういうのが自由ってやつじゃないのか?」

 

 誘導するように、けれど反発を生まない程度に。

 巧みに「考えるきっかけ」を残して、若者たちに揺らぎを与える。

 やがて、彼の周囲には自然と集まる仲間ができ始めた。

 いつしか、彼らは自分たちで集会を開くようになっていた。


  ◇◇◇


 また一人、ミラと名乗る若い女は、商業地区の雑貨屋に奉公しながら、住民の間を練り歩いた。


「聞いた? 最近、税制の見直しがあったらしいわよ。庶民には黙って」


 井戸端で、さりげなく話を流す。

 もちろんそれは、誇張された情報だ。実際の改革は市民の意見を取り入れて行われていたが、詳細を知らない者には、疑惑の種としては十分だった。


「やっぱりね……なんか、最近上の人たちが話してるの見かけたもの」

「ね? 信用しすぎるのも危ないわよ」


 そうやって、彼女は一日かけて火のないところに煙は立てて回る。

 彼女の周囲では、人々の間に見えない壁が生まれ始めていた。


  ◇◇◇


 そして別の一人、リュークという壮年の男は、清掃作業の名目でルディア本庁の周辺に出入りしていた。

 物陰に腰を下ろし、外装に取り付けられた魔力導管の様子をさり気なく観察する。ときに建物の内部構造を盗み見、書き留める。

 夜、その記録は細工された小箱に収められ、町外れの古井戸に捨てられる。

 そこから先の手順──帝国との連絡手段は、彼らの手に委ねられたものではなかった。


  ◇◇◇


 そしてある夜、ルディア本庁の一室。

 カイと幹部たちは、微かな違和感を共有していた。


「……ラズ、お前も感じてるか?」

「ああ。表向きは勤勉で真面目、でも……あいつら、何かが噛み合わない。怪しげな噂も入ってきてるしな……」


 ラズは、椅子に逆向きに腰かけながら言った。


「俺の予想じゃ、連中のうち少なくとも三人は工作に回ってる。残りはサポート。で、中心は……多分あのラーシュ」

「妙な集まりもあるわ」とリゼットが言葉を差し込む。

「若者の間で『自由主義サロン』なるものが開かれてる。聞き耳を立てれば、内容はカイさんの統治への批判よ」

「まったく……どこにでもいるのでしょうね、革命ごっこが好きなやつってのは」


 運命の女神レイナが辛辣な一言を放った。


「で、どうする? 捕まえて地下牢にでもぶち込むか?」

「まだだ」


 俺は、ひとつ深く息を吐いた。


「仮に黒だったとしても、今手を出せば、『粛清だ』なんて言われて、火に油を注ぐだけだ」

「じゃあどうする?」

「こちらも『仕込み』をしておくんだ。スパイにはスパイを」


 その言葉に、ザルクがニヤリと笑った。


「そうこなくっちゃな。俺の子分を使って情報を手に入れるぞ」


  静かに、街の表面下で火種が燻り始めていた。

 まだ誰も、声高には騒がない。だが──この平穏が、永遠に続くことはない。


  ◇◇◇

 

 バルディア帝国・首都カレドニア。その奥深く、皇帝直属の宰相会議にて、男たちは静かに語り合っていた。


「アークフェルド……か。あの名を聞くたびに虫唾が走る」

「昨年まではただの辺境の村だったはずだ。だが今や、王都とも交易路を持ち、獣人とまで手を組んでいる」

「外交的な孤立を狙うべきだな。周辺諸国に圧力を。ついでに『偶発的な小競り合い』でも起こしてやればいい」


 数日後、ルディア=アークフェルド連邦の北東にある小国「エルディン公国」の国境地帯で、偽装された小規模な武力衝突が発生した。

 表向きは「巡回部隊の誤認による交戦」とされ、帝国の報道官は眉ひとつ動かさずこう語った。


「遺憾ながら、ルディア側が我が同盟国の領内に侵入したとの報告があります」


 それは、連邦への国際的な印象を下げる一手だった。

 加えて──交易路のいくつかが突如封鎖される。道を管理する中立国に、帝国が圧力をかけたのだ。

 正当な理由を掲げ、連邦の特産物は港を通れず、荷馬車は関所で止められ、通貨の流れにも影が差す。

 民間レベルでも影響は広がった。連邦へ旅立とうとした行商人が「安全が保証できない」として引き返し、帝国系の商人が「ルディア製品は品質に問題がある」と虚偽の噂を流す。


 さらに──帝国は周辺諸国の外交官を次々に呼び寄せ、密やかな言葉を投げかけていた。


「連邦と組むのは自由だが……その先に帝国の影が見えた時、果たして国土を守りきれるか?」


 つまり、帝国は表向きは「平和維持」を唱えながらも、裏では様々な手段で連邦の台頭を削ごうとしていたのだ。

 それは銃声も剣戟も鳴らぬ戦争──静かな冷戦の幕開けだった。

 

  ◇◇◇


 ある夜。ルディア本庁は不自然な静けさに包まれていた。街の中心部にそびえる石造りの建物には、普段なら見回りの兵士や職員が交替で灯を守っているはずだったが、今夜に限って、その巡回にほんの短い隙が生まれていた。

 それは偶然ではなかった。

 誰にも気づかれぬように、黒ずくめの影が一つ、屋根の縁を這う。重力すら味方につけたような静かな動き。夜風が草を揺らす音と見分けがつかないほどの足音だった。手には、毒針の仕込まれた短剣と、何かを塗布した金属製の細針。暗殺者にとって「静けさ」と「一撃の正確さ」は何よりの武器だった。

 目標はただ一人──この街の創設者にして、現領主、カイ=アークフェルド。

 彼がいなくなれば、秩序は揺らぐ。王都との繋がりも頓挫し、街の統率は緩み、帝国の介入の余地が生まれる。それが帝国の狙いだった。

 だが……その計画は、ほんの数秒の誤算によって瓦解する。


「……あまりに堂々とした侵入。随分と手慣れておるな」


 影が窓から身を滑り込ませようとしたその瞬間、深い闇の中から響いた低い声。輝く角に、金属が鳴るような鋭い気配。気づいたときには、暗殺者の足元に氷のような視線が突き刺さっていた。

 現れたのは──ユランだった。

 影はすぐに撤退を試みた。だがその背を、風よりも早く、青白い軌跡が追い抜く。声もなく崩れ落ちた黒衣の影。その呼吸が止まる前に、ユランの鋭い爪が武器だけを切り落とし、命だけは奪わなかった。

 数分後、本庁の地下の一室には、取り押さえられた暗殺者が拘束されていた。


「お前、魔物かよっ……何する気だ!」

 

 暗殺者はもがきながら言った。


「こちらの台詞だ。我が主の領地で、勝手な真似をするでない」

「クッソ……覚えとけよ!」

「とりあえずここで大人しくするのだ。私がいくらでも話し相手になってやる」



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