30 基盤の完成
積み重なった書類の山を見つめながら、俺はひとつため息をついた。世界が変わっても、書類の山からは逃げられないか……。
こういう時、妙に現実感がある。自分がこの街の中心にいるということを、嫌でも実感させられる瞬間だ。
とはいえ、今日は書類整理が本題じゃない。
今朝、ネリアとラズ、リゼットから妙な話を持ちかけられたのだ。
「そろそろ、名前を持ったらどうだ? カイの旦那。姓がないってのも、正式な場では少し不都合だ」
確かに、王都や他国の使節とのやり取りをするようになってから、たびたび「お名前は?」と訊かれた。
その度に「カイ、だけです」と返して微妙な間が空く。周囲の面々が「そういうものだ」と思ってるのは助かるが……。
「姓かあ」
窓の外を見やる。遠くまで家々が立ち並び、かつての小さな村は今や堂々たる街の姿をしている。
名乗るべき「肩書」が必要になってしまった。それが嬉しいような、面倒なような、どこか寂しいような。
「で、何にする?」
机に肘をついたラズが、いたずらっぽく目を細めた。
「どうせなら響きのいいやつがいいな。なんか、創造とか、導く者みたいな意味を込めてさ」
「カイ・クリエイターとか?」
「安直すぎて恥ずかしいわ!」
リゼットが苦笑しながら突っ込む。
だが、俺の中に何かが引っかかった。創造と導き。
この街は確かに俺の創造の力で変わり、多くの人を導いてここまで来た。
静かに目を閉じて、言葉の断片を組み合わせる。
「……カイ=アークフェルド」
ぽつりと呟いた。
皆の視線が集中する。
「アークは箱舟、フェルドは大地。希望を乗せて進む舟、という意味合いにしたつもりだ」
「ほう、かっこいいじゃねえか! まぁ俺なら、カイ=デカマッチョにするけどな」
「適当に喋んな!」
ラズの脳みそは本当に働いてんのか?と思ったが、その安直さで心が軽くなった。
◇◇◇
本庁の前にある中央広場に、多くの民が集まっていた。
今日、この地はただの「街」ではなくなる。
「皆、今日は集まってくれてありがとう」
ざわついていた空気が静まる。広場の中心、石造りの噴水の音だけが耳に残る。
「長いようで短い約半年間だった。最初はただ、居場所が欲しかっただけだった。だが……仲間が増えて、協力してくれる人たちが現れて、やがてこの街は、ただの村ではいられなくなった」
目を細め、遠くにいるトモの姿や、ネリアが控える建物の脇、ラズがひょいと帽子を持ち上げて手を振ってくる様子が目に入る。ザルクは堂々と腕を組み、獣人の青年たちも緊張しながら前列に並んでいる。
「そして……今日、ここに宣言する」
言葉の間に一拍の静寂。緊張が観衆に走る。
「この街はこれより──『ルディア=アークフェルド連邦として、正式に独立した都市連邦として歩みを進める!」
その瞬間、どっと歓声が上がる。若者たちが拳を突き上げ、子どもたちがはしゃぎ、獣人たちの中には驚きに目を見開く者もいた。
俺は続ける。声に、これでもかと力を込めて。
「この地は、人間でも獣人でも、出身に関係なく、希望と努力とともに生きていける場所にする。力も知恵も文化も違う者同士が、互いを補い合い、未来を築いていける場所だ!」
歓声はさらに高まり、演壇の脇ではリゼットがうっすら涙を浮かべて拍手していた。
そして、ふと表情を引き締めると、最後の言葉を発する。
「それともうひとつ。今まで名前で呼ばれるばかりだった俺自身についてだ。少しでも、この街の象徴としての責任を持ちたいと思った。だから、今日から俺の名を──カイ=アークフェルドとする」
名前を呼ぶような声が、あちこちから飛ぶ。獣人たちも口元に笑みを浮かべていた。
俺は小さくうなずき、壇上から広場を見渡した。
ここが始まりだ。
戦争も、陰謀も、きっと訪れる。けれど――もう背負える。
この場所の名も、人々の暮らしも、自分の名前さえも。
◇◇◇
ルディア本庁の会議室には、見慣れた面々が顔を揃えていた。
大きな丸テーブルの周囲には、ネリア、リゼット、ザルク、ラズ、トモ、それに最近では副官扱いになったラグナ(元トウラの斥候)や、数名の技術担当も座っている。思えば、随分と人数が増えたものだ。
「……とりあえず、治安関係はザルクがまとめた警備隊で安定してるな。常時の巡回、夜間警備、あと路地裏の掃除までやってるらしい」
「うちの連中は律儀だからな」
ザルクは腕を組んで無骨にうなずいた。最近は部下に書類の書き方を教わっているらしく、目元に薄くクマができている。
「衛生と上下水道、それに道路の舗装は大きな課題だったけど、王都から派遣された職人ギルドと獣人の協力で目処が立ったわ。各区画に水場を設置して、汚水は地下管で農業用地に流せるようになってる」
ネリアが簡潔に報告する。彼女の横では設計図が広げられていて、まるで都市国家のそれのように精微だ。
ほとんどは俺のスキルで進めたんだけどな。
「それと、教育ね!」
リゼットが指を立てた。
「識字教育は今、全市民の四割まで達してる。子供だけじゃなく、農家や職人も文字を覚え始めてるわ。トモくんが教える側になる日が来るなんてねえ」
「なんか、くすぐったいです」
トモが赤くなって笑う。彼は今や初等学習課の講師役だ。純朴な少年らしさはそのままだが、少しずつ背も伸びてきた。
「それから、ギルド制もほぼ固まったな。基本は王都のシステムをそのままパクったわけだが」
ラズが遊び人のような笑顔で指を鳴らした。
「今は商人、職人、建築、医療、情報、農業、魔法、それぞれのギルドが正式に登録されてる。もちろんカイが認可印押さないと設立できない仕様ね」
「俺、なんかハンコ押す仕事ばっかり増えてないか?」
「トップの宿命だな」
ザルクが控えめに笑った。
「……軍事面は?」
そう切り出すと、皆が少し真剣な顔になる。
「常備兵は百名体制。うち五十が元傭兵か戦闘経験者。獣人の騎士団とも連携し、緊急時の防衛網も組んである」
ラグナが冷静に答える。元は遊撃部隊の指揮官だっただけに、その統率力は確かだ。
「兵器開発も順調だよ。投石機も改良したし、魔導障壁の実験機も動いてる」
そう付け加えたのは、魔術工房の若き主任だった。彼はかつて帝国の魔術学校に通っていた経歴があり、技術力だけなら王都に並ぶ。
「……使う日が来ないことを願うよ」
たった半年で、村がこれほどの街に育つとは思っていなかった。もちろん、背負う責任もみるみる膨らんできたが。
そこへ、扉がノックされた。
「失礼します。門番から報告です」
入ってきた若い兵士が、書類を差し出す。
「旅の難民一行、保護を求む。南街道から七人。身分確認は取れていませんが、武器は所持していないとのことです」
一瞬、空気が揺れた。
「難民、ね……」
なんだかまた面倒なことになりそうだ。
「とにかく会おう。どこから来たのか、何を求めているのか……話を聞かないとな」