28 獣人との共生
トウラとの会談が終わったあと、バルハたちは一行を連れ、森を抜けた帰っていった。互いに一礼し、武人として、また一国の代表としての威厳を保った別れだったが、その背中はどこか晴れやかだったように見えた。
そして、それから約十日後の朝。
村の入口に続く林道が、異様なほどの熱気に包まれていた。
「……来たか」
俺は村の門……といっても、木製の簡素な柵だが──の前で、ザルクたちと並んでいた。彼はといえば腕を組んだまま無言で、だがわずかに口元を綻ばせていた。いつになく嬉しそうだった。こういう時、彼の笑顔はわかりにくい。
遠くから、土を踏む重い足音が近づいてくる人ではない。重く、力強く、獣の気配をまとった歩み。
大柄な虎獣人を先頭に、数十名の獣人たちがやってきた。毛並みは灰、金、赤褐色とさまざまで、耳や尾、体格も個性がある。老若男女、いや、若者が中心か。荷車を押す者、肩に丸太を担ぐ者、子供の手を引く者……装備こそ簡素だが、どこか統制が取れている。訓練された集団という印象だった。
その中から、見覚えのある豹獣人の女性が出てきた。シェルカだ。
「久しいな、ルディア村の主よ。バルハ殿の命を受け、この地へ移り住む者どもを率いてきた」
「こちらこそ、ようこそルディア村へ。歓迎する」
言いながら、俺はシェルカとしっかりと握手を交わした。その手は硬く、狩人の感触がした。後ろでは、ネリアとラズが笑顔で手を振っている。歓迎式とまではいかないが、村の住民たちも広場に集まり、客人を迎える準備を整えてくれていた。
とはいえ、どこかで緊張が走っているのもわかる。獣人という存在に慣れていない村人が多いのは当然だ。相手だって同じだろう。だが、これを越えなければ、始まらない。
それが、この村を「誰でも受け入れられる場所」にするための第一歩だ。
その夜、広場で簡素な焚き火を囲んで、村人と獣人たちとの顔合わせが行われた。
食事は持ち寄り制。獣人たちが用意してきた干し肉や野草の煮込みは、香辛料が効いていてやたらと刺激が強い。村の老婆たちは「胃が焼ける」と言っていたが、若者たちは案外気に入っていたようだ。
トモは、早速その輪の中に混ざっていた。年が近い豹獣人の青年に読み書きを教えていたらしく、彼の言葉で言うなら「めっちゃ筋はいい」らしい。まるで昔からの友達のように笑い合っている姿が、なんとなく微笑ましかった。
「……上手くいくといいな」
そう呟いた俺に、隣のリゼットが笑った。
「最初の数日は、どこも揉めるわよ。水の使い方一つでも文化は違うんだから」
「わかってる。でも、あいつらは『変わろう』として来たんだ。だったら、俺たちが『受け入れよう』としなきゃ、意味がない」
リゼットは驚いたように少し目を見開いた。
「ふふっ、やっぱり……あんたが領主でよかったと思うわ」
「俺はもうこの村の『よそ者』じゃないからな。背負うものが増えすぎたよ」
そう、俺は期待される立場になっている。責任ってやつだ。
そんな俺の思考を断ち切るように、焚き火の向こうで大きな声が上がった。
「だから、勝手に鍋にその葉っぱ突っ込むなって言ってんだろ!」
「それはこっちの台詞だ、貴様らの鍋は水みたいで食えたもんじゃねえ!」
……ああ、早速始まったか。
俺はため息をひとつついたあと、腰を上げた。
「ま、最初のケンカくらいは……俺が止めるか」
片や農家の青年エルス、片や虎獣人の若者──確か名前はガイシュだったか。互いに顔を赤くして鍋をはさんで睨み合っている。問題の鍋には、野草のようなものがどっさり投げ込まれている。
「んだよ、せっかくうちの母ちゃん直伝の味で煮込んでんのに、いきなり草入れるって、どういう神経してんだよ!」
「こっちだって、食べ慣れた風味ってもんがある。野獣の胃は貴様ら人間より強いのだ!」
……バルハ、どうしてこいつを送り込んできた。
周囲は完全に固まっていた。どちらの言い分もそれなりに筋は通っているが、このまま放っておくと本気の殴り合いになりかねない。
「おい、二人とも。ちょっと待て」
俺の声に、空気がピタリと静まる。流石に皆、場の中心にいる領主の声を無視できる空気ではないらしい。
エルスが俺の方を振り向いた。
「カイさん、見てくださいよこれ! せっかく煮込んでたのに、あいつが勝手に変な葉っぱ入れて──」
「待て、エルス。まずは話を整理しよう」
俺は二人の間に入って、鍋をのぞき込んだ。見事に混ざっている。野菜の煮込みに、香りの強い獣人の野草ミックス。たしかに、どちらか一方の味ならまだしも、これは……なかなかの混沌だ。
「ガイシュ、これが君たちの料理法なのか?」
「そうだ。我らは常に狩猟のあと、香草で臭みを飛ばし、体を温める。これは我が母の教えだ」
ふむ……つまり、彼なりの「思いやり」なんだな。
「じゃあ、エルスの料理も、君の味も、それぞれ『故郷の味』ってわけだ」
そう言うと、ガイシュがわずかに目を伏せ、口を引き結んだ。エルスも、少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
俺は鍋の柄を手に取った。
「じゃあ、味見してみよう。混ぜるとどうなるのか」
二人が驚いたように俺を見たが、かまわず椀によそってひと口すすった。
……うん。まずくはない。強烈な香りと優しい野菜の甘味が、喧嘩しつつも意外にまとまっている。
「正直、変な味だ。でも、悪くはない。これはこれで、思い出に残る『この場だけの味』だ」
椀を置いて、俺はふたりに向き直った。
「たぶん、最初はどこもこうなる。文化が違えば、味も、考え方も違う。だが、それを否定し合ったら、一緒に暮らす意味がないだろう?」
「…………」
「互いに譲れない味があるなら、分けて鍋を作ってもいい。順番に食べ比べてもいい。だけど、どっちかが全部自分のやり方を押し通すなら、それはただの支配に他ならない」
俺の言葉に、ふたりは顔を見合わせ、しばし沈黙した。
「……悪かった、エルス。俺は、焦っていた。ここで認められたくてな」
エルスも、ぽりぽりと頬をかいてから答える。
「……俺こそ、ついカッとなって。でも、まあ……変な草のわりに、意外とうまかったよ」
「ほう、お前の舌は意外と鋭いな」
「上から言うな!」
ふたりが小さく笑い合うのを見て、俺はようやく腰を下ろした。焚き火の光が、また穏やかに周囲を照らし始める。
この調子で、きっと少しずつでいい。
リゼットの隣に戻ると、彼女は少し頬を赤らめていて、なんだか高揚している様子だった。
「凄いね、カイって」
「何だ? 急に」
「だって、あんた十六でしょ? 誰よりも歳下なのに、怖気づかないし、誰よりも周りを見てるし……」
「まあ、転生してからは十六歳の体だけど、転生前はただのサラリーマンだったしな」
「さらりいまん?」
「ああ、普通の会社員だよ」
「かいしゃいん?」
そうだった。日本での常識的な言葉もここでは通じない。でも会社員ってどう説明すればいいんだろう……。
「前世では、俺も上の人にこき使われて労働してたんだよ。それでお金をもらって生活してた」
「だから、農民たちの気持ちもわかるのね。やっぱりすごい人だわ」
前世ではどれだけ仕事をしても怒られてばかりだったのに、こっちでは頑張っただけ成果が出るし、褒めてもらえる。
嬉しい世界だ。
「よかったですね」
運命の女神レイナが茶々を入れてきた。
どこかから湧いたような声に、俺は小さく舌打ちした。焚き火の余韻がまだ残る広場の隅で、レイナ――例の女神が気安く話しかけてくる。
「だから、勝手に話しかけてくるなって何度言えば……」
「本題は違います」
ピシャリと遮られ、俺はため息をついた。
「本題?」
「はい。この村に危険が及ぶ可能性もありますので。一応ご連絡を、と思いまして」