26 トウラとの盟約
ネリアが中心となって設計した迎賓館は、中央広場の一角に完成していた。石と粘土で固めた厚い壁、木骨を要所に使った頑丈な建物で、簡素だが威厳があり、客人をもてなすには申し分ない造りだ。
何より、内装は俺の好みを徹底的に実現してもらった「完璧」なものとなっている。
この迎賓館を使うのが、ずっと楽しみだったんだ。
……そんな俺のワクワクとは裏腹に、今そこに並ぶ客人たちは、まるで建物を包囲するかのような威圧感を放っていた。
重厚な毛並みをなびかせて中央に立つのは、虎獣人・領主のバルハ。その隣、落ち着いた目をした大柄な熊獣人・ゴウラン。背後には、やや気だるげな様子の豹獣人・シェルカが腕を組んでいる。ゴウランに関しては、先ほどの一騎打ちでこちらの実力を見定めた張本人だ。
そして、彼らの後ろに控えているのは、がっしりとした体格の狼獣人、角のある山羊獣人、やけに無表情な梟獣人──こちらはあくまで随伴者らしく、今のところ発言する気配はない。
俺たちは、ネリアの作った石机を囲み、それぞれ腰を下ろしていた。ザルクとラズが後方に控え、ネリアと村長が俺の隣に着座している。
「まずは、改めて挨拶をさせてもらおう。我はトウラ領主であり族長──バルハだ」
「……俺はカイ。このルディア村の代表のようなものだ。突然の来訪に驚いたが……歓迎するよ」
「お前たちが持つ『力』は確かだった。ならば、問うべきはひとつだ。我らとどう向き合うつもりか──」
バルハの視線が俺を貫いた。
「同じ世界に生きる存在として、できれば協力関係を築きたい。獣人だろうと人間だろうと、それは関係ない」
正直、腹の探り合いは得意じゃない。でも、この村の未来を考えるなら、逃げるわけにはいかなかった。
「言葉は軽くも、目は誠実だな」
呟いたのは豹獣人のシェルカだった。半眼で俺を見つめながら、気まぐれそうに口角を上げる。
「そもそも人間の村で、神獣の末裔を従えるなんて、ちょっと普通じゃないんだよね。ユランって言ってた? あれは本物だ」
シェルカは少し砕けた口調だが、それが逆に心地よく感じられる。
「お前らの村……いや、ここはもう村ではない。町だ。耕作地、井戸、水の流れ、建物の材質、どれを見ても相当だ」
静かに呟いたのはゴウランだった。彼はずっとこの迎賓館の梁や土壁を観察していた。
「俺たちの力は、そう特別なもんじゃない。けど、未来のために使っていきたい。あんたたちの集落とも争うつもりはないんだ。けど──」
「必要なら、力で示すことも辞さない、か」
バルハが笑った。豪快ではなく、むしろ少しだけ安心したような、そんな笑いだった。
「民を守る身として、戦わずに済むならそれが一番だ。だが、弱者の甘言を信じて滅ぶのもまた愚か。……今のやりとりで、その心配はなくなった」
その言葉を合図に、彼の後ろにいた狼獣人がやっと肩の力を抜いた。角の山羊獣人は苦笑いし、梟獣人は無言で小さく頷いた。
「ならば、まずは話し合いの場を持とう」
「そうだな。俺たちも、まだ学ぶべきことは多い」
そうして、初めての本格的な他集落との交渉は、静かに幕を開けた。
交渉の場は和やかとまではいかないが、穏やかな空気を保っていた。
それぞれの言葉に嘘はなく、多少の探り合いはあれど、本気で対話しようという意思が感じられた。そういう場では、自然とこちらも本音を口にする気になる。
話題は、村の作物や水源、魔法の応用技術などに及び、やがて、王都グランマリアとの関係にも触れることとなった。
「それで、この村は王都に近いが……承認されているのか?」
ゴウランの声が、これまでで最も低く深くなった。今まで冷静だったその目に、一瞬、色濃い警戒がよぎる。
「ああ。国王陛下や筆頭宰相、一部の騎士などと繋がりがある。まだ正式な取り決めはないが、この街が発展した後に協力関係を築こうと約束しているよ」
俺がそう答えると、バルハたちの顔色が明確に変わった。
バルハは、背もたれに寄りかかったまま動かなくなり、シェルカは目を丸くしてこちらを見た。ゴウランにいたっては、思わず身を前に乗り出すほどだった。
「王都と……『良好な関係を築いている』だと?」
バルハの声がわずかに震えていた。
「おいおい、それ冗談じゃないよね? あんたら、ただの開拓者じゃなかったのかい」
シェルカの口元から、乾いた笑いがこぼれた。
「王都との関係が『良好』かどうかは、正直なところ微妙だ。貴族たちには嫌な顔をされたしな。でも少なくとも、敵対はしてない。あちらも、こちらの生産力に興味を持ってる」
ネリアが、横からぽつりと補足を入れた。
「……王都の貴族は、表向きでは礼儀正しいが、裏では腹の探り合いばかり。こちらを利用しようとする者もいれば、本気で協力したい物もいる。いずれにせよ、こちらの『地力』が信用につながってるのは事実だ」
「それを、平然とやってのけたというのか……」
ゴウランが、呆れとも畏れともつかぬ目を俺に向けた。
バルハは少し黙したのち、重々しく口を開いた。
「この森の奥、外界と断絶された我ら獣人にとって、王都は『伝説の都』のような存在だ。かつて、我らの先祖が人間に迫害され、森へと逃げ延びた記憶は、未だ根深く残っている」
語るその顔は静かだったが、その背に立つ威風は、王を名乗るにふさわしいものだった。
「その王都の関係を築いた者が、ここにいる……」
しばし沈黙が流れた後、バルハが俺に深く頭を下げた。
「我らトウラは、正式にルディア村との『盟約』を望む。争いではなく、共に歩む道を──」
その言葉の重みは、戦士としての誇りと、集落を統べる者としての決意が滲んでいた。
俺はゆっくりと立ち上がり、バルハの前に進み出た。
「こちらこそ、願ってもない話だ。俺たちは、あんたたちのような力も、知恵も、誇りも必要としている。互いに助け合っていける関係でありたい」
握手ではなく、右拳を左胸に当てて礼を返すと、バルハの目にわずかな微笑みが浮かんだ。
こうして、獣人の集落トウラと、ルディア村は、歴史的な同盟を結ぶことになった。
ふと、話が一段落した頃だった。
用心深そうだったゴウランが杯を置き、こちらに向き直った。
「こちらとしては、交わす盟約の重みを測るためにも、おぬしたちの力だけでなく、民の姿も見ておくべきと思っていた。だが……どうやらそれは杞憂で済みそうだ」
「同じく。あんたら、見かけだけじゃないね」
シェルカもにやりと笑いながら、黒曜石のような瞳を細める。
俺は彼らの反応にわずかに肩の力を抜いたが、その直後、バルハが低く言った。
「こちらも、誤解を解いておく必要があるな。我ら『トウラ』は、ただの隠れ里ではない」