22 運命の女神
会議が一段落し、軽くお茶を飲んでから、俺たちはそのまま「持ち場の確認」と「村の現状整理」に移ることになった。これは、領主として完璧に把握しておかなければいけない点だしな。
ルオは俺の膝から降りると、まるで空気を読むように、会議所の隅で丸くなって寝息を立てている。ほんと、賢い魔物だ。下手な人間よりも空気を読めるかもしれない。
「で、村の全体状況だけど……正直、今のままじゃギリギリだ。人手も技術も、道具も足りてない」
俺は小さな地図を広げながら、できるだけわかり易く説明した。トモが描いてくれたこの地図は、素朴な線で構成されているが、村の今を映すには十分だった。
畑は一応まわっている。家畜も少数いる。でも住居はまだ仮説が多いし、水路も手直しが必要だ。
「……そもそも井戸が一つしかないって、なかなかヤバいと思うぜ」
ラズがあきれた声で呟く。足を投げ出し、図面を逆さに眺めているあたり、本当に自由人だ。
「井戸はすぐに掘り増しを検討するよ」
ネリアが眉を寄せて指をさした。
「場所の候補は三つ。私が調べて、実際に掘ってみて、どこが水脈に近いか当たりをつける」
「待て、水脈は俺のスキルで全て操作できる。井戸を作るのはネリアが指定した位置で問題ないよ」
「水脈を操作……? 訳わかんないけど、了解。じゃあこの三箇所の全てに井戸を作る。多くて困ることはない」
「頼もしいな……」
ラズが半ば感心したようにぼやく。ネリアはそっけないが、こういう実務面になると圧倒的に頼れる。男まさりって言葉が軽く聞こえるくらい、芯のある動き方をする。
「俺の持ち場は?」
ザルクがぶっきらぼうに言った。腕組みして、壁に背中を預けたまま動かない。
「周囲の巡回。それと、村の警備班を作ってもらいたい。今いる若いやつらの中に、護衛や戦いを学びたいやつもいる。あと、素材集めの班はザルクの子分から数人引き抜いていいか?」
「おう。訓練は朝と夕方だな。実戦で通用する体作りから始める。子分はあんたが自由に使ってくれ!」
「残った子分たちの管理はザルクに頼むな」
「任せろ。アイツら根は悪くねぇんだ。ただちょっと、うるせぇだけで」
たしかに、昨日焚き火のそばで夜中まで騒いで馬鹿笑いしているのを見た時は、ちょっと騒がしすぎて驚いたけど。
俺は地図の端を指でなぞった。まだ開拓できていない林のエリア。ネリアに任せる予定の住宅区の予定地だ。
「ここを中心に、まずは五軒分。次に倉庫と工房」
「了解。地盤確認からやる。木材の確保も急がないと」
「ラズ、そっちは?」
「道具の修理場を仮設で作って、村の全戸を回って修繕リストを作る。ついでに、みんなの困りごとも聞いて回るか。こう見えて話すのは得意なんだぜ」
ラズがにっと笑った。どうみても得意だ。
誰かとつながってるって実感できること、それがこの村で一番大事なことかもしれない。道具や建物は壊れても直せる。でも人の気持ちはそうはいかない。だから、ラズのような存在がいてくれるのは、すごくありがたいことだ。
「それ、王都にいた間に手に入れた資材……布や調味料、それと医療道具とか。全部で十箱以上ある。リゼット! 医療関係の確認、頼めるか?」
「任せときなさい」
リゼットは腕まくりしながら言った。
「量産可能にするためにちゃんと研究するわ。でも保管場所はちゃんと考えとかないとね。湿気で台無しになったら村の未来に関わる」
「倉庫は最優先で建てよう。ネリア、場所は任せる」
一つ一つ、課題を並べて、ひとつずつ潰していく。どれも小さな作業に見えて、積み重なると高い壁になる。
ふと、机の上で伸びをしたルオが、こっちをちらりと見た。
眠そうに瞬きをしながらも、尻尾だけはぱたぱたと動いている。
「……なんだ、俺が頼りないって顔か?」
ルオはぴょんと跳ねて、俺の腕にすり寄ってきた。くそ、可愛いなこいつ。
◇◇◇
村の朝は早い。
けれど、それでも俺とネリアはもっと早くから動いていた。
「このあたりはどう? 南からの風が抜けてて、周囲に建物もない」
ネリアが地図を手に、村の東側の空き地を指さす。まだ朝靄がわずかに残る草の上、足音が湿り気をはねる音が心地よかった。
「悪くないな。地盤も安定してるし……よし、水脈も通ってる」
俺は片膝をつき、地面に手を当てる。
《スキル:地下水制御》
微かに指先が光り、地中の水脈に道を刻む。ゆっくりと、地下深くに井戸の通り道が形を成していく。
「一つ目、これでオッケーだな」
「早っ……化け物じみてんね、あんた」
ネリアが呆れたように笑いながら、設計図を巻き直す。
この井戸は村の東端、住宅地から最も遠い場所に設置する予定の一つ。日照りや火事の時、村のどこからでも最低ひとつは水が取れるように、というのがネリアの提案だった。
「次は村の真ん中か?」
「うん。あっちは住人の往来も多いし、最優先」
歩きながら、俺は腕の中でルオが気持ちよさそうにぐぅと鳴くのを感じていた。
少し動くと、くるっと頭を擦りつけてくる。まるで子犬のようだけれど、瞳は凛としていて、たまに人の言葉を理解してるんじゃないかと思う時がある。
「カイー!」
ふと道の向こうから手を振る声。
ミナが、籠を抱えてこっちに歩いてきていた。今日も小麦の粉を届けに行く途中らしく、髪を三つ編みにしていた。
「忙しそうだね。新しい井戸、作ってるんでしょ」
「そう。ネリアの設計、かなり本格的だよ。こっちの方にも井戸を作る予定だ」
「すごいなぁ」
彼女は一歩だけ近づき、ルオに目を向けて微笑む。
「ルオも、お手伝いしてるの?」
「こいつは監督かな。俺がさぼってたら怒られるかも」
「ふふっ、ちゃんと見張っててね、ルオ」
ルオはくぅ、と返事のような声を出し、ミナの指にちょこんと鼻先を当てた。
その様子を見ながら、ほんの一瞬、胸の奥が温かくなる。
――ああ、戻ってきたんだな。王都の喧騒とは違う、柔らかくて優しいこの空気。
仲間も増えて、村も変わろうとしている。でも、こういう一瞬は変わらずにいてほしいとも思った。
「じゃ、私行くね! 帰ったらまた話そう!」
ミナが走り去っていく後ろ姿を見送りながら、ネリアがぼそっと言った。
「あの子、いい子だな」
「でしょ?」
「ちょっと、うちの仕事場に手伝いに来てほしいくらいだ」
ネリアが冗談めかして笑う。そんな会話をしながら、残り二つの井戸の設置準備を進めた。
◇◇◇
井戸の工事がひと段落したのは、日が傾き始めた頃だった。
石を組んで固めた縁に腰を下ろし、俺は手のひらを水に浸す。冷たい。それがちゃんと湧いてる証拠だった。
「三つ目の井戸も、問題なさそうだな」
「うん。水位も安定してるし、流量も十分。上出来だね」
隣に座ったネリアが、土で汚れた手袋を外して、額の汗をぬぐった。日差しで焼けた腕が陽に照らされて、どこか頼もしさを感じる。
「凄いなあ。スキルで地下の水脈を引っ張ってくるなんて」
「いや、ネリアが流路の図面引いてくれなきゃ、何もできなかったよ」
ネリアは少し口角を上げて、視線を外す。
「お互いさまってことだ」
静かに流れる水音に耳を澄ましながら、俺はふと訊ねた。
「なあ……この世界に『女神』がいるって話、知ってるか?」
ネリアは少し目を見開いたが、すぐに頷いた。
「いるさ。三柱の女神がこの世界を形作ってるってのは、王都じゃわりと知られてる神話だよ」
「三柱?」
「そう。大地の女神アレア。知識の女神ミリス。運命の女神レイナ」
「名前まであったのか」
俺は驚きを隠せなかった。こっちの世界に来てから、加護とかそういうワードは何度か耳にしていたけれど、それが誰に由来するものなのか、正直はっきりしてなかった。
「アリアは大地や自然の流れを司る。カイさんの創造の力も、おそらくそこに起因してる」
ネリアは指先で、井戸の水面を軽くなぞった。
「けど……彼女はもうずっと前に姿を消したらしい」
「消えた……?」
「何百年も前にね。神殿も記録も殆ど残ってない。ただ、力の一部は未だにこの世界に影響を与えてる。奇跡みたいな存在として、ずっと信じられてるってだけ」
「なるほどな……」
その影響の一端が、俺だったりするのか……? いや、さすがに自意識過剰か。
「知識の女神ミリスは魔法や学問、世界の理を司ってる。魔法陣の構造、転移門、スキルの管理システム……そういうもの全部、彼女の意志が介在してるって言われてるよ」
「えらく現代的な女神だな」
「で、最後が運命の女神レイナ」
ネリアの声が少しだけ落ち着く。
「転生や再誕、人生の分岐を見守る存在。魂の流れを司ってるらしい」
「ふうん……」
なんだか他人事じゃない気がする。
頭の中で三柱の女神の名を繰り返しながら、俺はルオの背を撫でた。
相変わらず、こいつは俺の膝でぐうぐう眠っている。
──その時だった。
「名前を覚えてくれましたね」
え?
どこからか、聞き覚えのある声が、脳に直接響いた。柔らかく、少し茶化すような調子。
……でも、不快じゃない。不思議と懐かしいような、妙な感覚。
「ネリア、今なんか言っ──」
「ん? あたしは何も。どうしたの?」
ネリアは首を傾げて俺を見る。……ということは、今の声は、俺にしか聞こえてない。
(まさか、幻聴とかじゃねえだろうな)
そう思った瞬間、再び声が響いた。
「幻聴ではありませんよ? こうしてちゃんと喋っておりますので」
「お、おい……っ!」
思わず声が出そうになって、慌てて咳払いで誤魔化した。
ネリアは俺の様子を訝しげに見ていたが、すぐに井戸の確認に戻ってくれた。助かった。
(誰だよ、あんた。いや、どっかで……)
記憶の奥に、何かが引っかかる。
この話し方、この声……どこかで、一度だけ……。
そうだ、「最初」に目が覚めた時。この世界に来る前、真っ白の空間で誰かと話した。
あの時、たしかに言っていた。
『では、もうひとつの世界へ送ります』
……まさか。
「そのまさかで、正解です。ようやく思い出していただけましたね」
声が微笑む。いや、実際には音に表情なんてないのに、なぜかそうとしか思えなかった。
「あなたが転生されたとき、ほんの少しだけご挨拶しました。私が『運命の女神』、レイナです」
「女神って……おい、マジかよ」
「はい。マジです」
さらっと言いやがった。
「……なんで今になって喋りかけてくるんだ」
「先ほど、三柱の女神の名を正しく認識されたでしょう? あなたが、それらの名を『思い出した』。それが、私と再び繋がるための条件だったのです」
「おいおい、条件って……お前、まさかずっと見て──」
「見ていたかどうかは秘密です。というか、それ言うとちょっと怖がられそうなので、やめておきましょうか」
ふわっとした言い方。敬語なのに、やけに距離が近い。
だけど、こっちは全然慣れてねえんだっての。
「……今後も話しかけてくるつもりか?」
「はい。カイ様が迷ったとき、悩んだとき、あるいは……ひとり言を言ってくださったときなど、ささやかな助言くらいなら」
「女神が『ささやかな助言』って」
「お節介と言っていただいても構いませんよ? ただ、転生者であるあなたは、きっとこの世界に少なからぬ影響を与えていく方。ですからあなたが迷いすぎて立ち止まることがないように、お手伝いしたいのです」
真面目な口調。でも、あくまで穏やかに、優しく。
ふざけてるようでいて、その芯はしっかりしている。……なんか、憎めないやつだな、こいつ。
「女神に『こいつ』呼ばわりとは失礼ですね」
「お前、俺の思考読めちゃう感じ?」
「読めちゃう感じです。もちろん読もうとした時だけですが」
「最悪……ちょっとめんどくさいタイプだな」
「よく言われます。でも、どうぞよろしくお願い致しますね。カイ様」
丁寧に、けれどどこか茶目っ気を滲ませて。
その声はふわりと風に紛れるように消えていった。
「……はあ」
俺は小さくため息を吐いた。
頭の中が少しだけ重くて、でも、ほんの少しだけ温かい。
(……神様と二人三脚かよ)
井戸の脇で、ルオがくぅ、と欠伸をした。
今回は少し長めの回となりました。
『では、もうひとつの世界に送ります』
このセリフがピンとこなかった方は、再び第一話を読み返していただきたいです。
そうすると「あ、あの時の!」と思ってもらえるかと。