14 臨時領主代行
王都駐屯騎士団本部。
城壁の内側にあるその建物は、いつ来ても重苦しいほど静かだった。
フィオナ=リースは、かつて同期が所属する部署──査問部の執務室の扉の前で一度、深く息を吸った。
「入るぞ、アイゼン」
返事はなかったが、彼女は遠慮なく扉を押し開ける。
中にいたのは、整然とした書類の山を前に腕を組んでいた一人の男だった。淡い金髪に眼鏡、伸びた背筋。
その名はアイゼン=ノルド。冷徹だが頭の切れる査問官であり、かつては北方方面騎士団の第二隊に所属していたフィオナの同期だ。
「久々だな、フィオナ。お前がここに顔を出すとは、珍しい」
「暇つぶしじゃない、頼みがある」
彼女は率直に切り出した。
数分で終わる話ではないと悟ったアイゼンは、目だけで隣の椅子を示す。
そこからフィオナは一気に話した。
グレイの死、カイという青年の登場、王都が領主承認を拒む姿勢──そして、カイを正式な村の領主として承認させる必要があること。
アイゼンはすぐには返事をしなかった。
「北方騎士団と駐屯騎士団の名を使って、王都の制度を一度だけ曲げろ、と?」
「違う。協力してくれって言ってるの。私情じゃない。村の今後がかかってる。放っておけなかった」
沈黙が流れた。
やがて、アイゼンは立ち上がった。そして書棚から一枚の用紙を取り出す。
「お前が言うほど甘くはないぞ。だが……これは、北方方面騎士団の『推薦様式』だ。お前の直筆サインと、私の承認印を併記すれば形式は整う」
「……助かる」
「代償はあるぞ、フィオナ。王都の官僚や貴族たちは、お前が自分の責任で行ったと知れば、後で噛みついてくる。それでも?」
「言ったはずだ。放っておけないって」
彼女の声は静かだったが、揺らぎがなかった。
アイゼンはそれ以上何も言わず、机に用紙を広げた。
◇◇◇
日差しが優しくなってきた夕方の頃、俺たちは再び王都の行政局、登録所の前に立っていた。
昨日は門前払いを食らった場所だ。
正直、また追い返されるんじゃないかって不安があった。
でも、今日は違う。フィオナが推薦状を手に入れてくれたのだから。
「……緊張してる?」
リゼットが隣で茶化すように言った。
「そりゃするだろ」
「開き直った」
建物の中に入ると、昨日と同じ受付の役人が目を細めて俺たちを見た。
「またあなたたちですか。諦めの悪い……」
その男が言いかけた瞬間、フィオナが一歩前に出て、文書を差し出した。
「北方方面騎士団・第二隊所属、フィオナ=リース。こちらに、王都駐屯騎士団査問部・アイゼン殿の承認を添付した推薦状があります。カイ殿を、臨時領主代行として登録していただきたい」
役人の目の色が変わった。
目の前で差し出された文書を手に取り、内容を繰り返し確認する。
「……これは、騎士団同士の正式な共通文書ですね。上申は……必要ありません。手続きに移ります」
まるで手のひらを返したような態度だった。
俺は思わずフィオナを見た。
彼女は何も言わず、ただ小さく頷いた。
こうして、俺の名は、この国の書類上に領主代行として登録された。
名目上は「臨時領主代行」となっているが、特に期限は設定されていないので半永久的にこの肩書を使用できる。
この快挙が何を意味するのか、本当のところはまだ分かっていなかった。
ただ、俺の名前が正式に認められた──それだけで、胸の奥が熱くなった。
これで、気負うことなく王都を探索できる。
「早速、王都を調査していこう」
王都というものは、俺が思っていたよりも──いや、想像もできていなかったほどに広かった。
「こりゃすげえな……」
石畳の道。何層にも重なるように建て込まれた家々。その間を縫うように走る水路。そして人の流れ、服装ひとつとっても、村とはまるで別世界だった。
「この辺は職人たちの区画だ。見ろ、あれが王都の鍛冶場だよ」
と、フィオナがぼそりと呟く。彼女の視線の先には、立派な屋根に煙突が三本も伸びた工房があり、表には武器や農具がずらりと並んでいた。中では、若い職人が鉄槌を振るって火花を散らしている。
「……あそこなら俺も腕が鳴るな」
「やめときな、目立ちすぎるよ」
俺が笑って返すと、デリンは無言で肩を落とした。
リゼットはというと、露店で並んでいた薬草の束を見て鼻を鳴らしている。
「質はいいけど、保存が甘いわね。……ま、こっちじゃ通用しないかも」
「逆にリゼットさんは通用しそうですね」
と、トモが隣で感心していた。彼は終始目を輝かせていて、文字の書かれた看板や張り紙を見るたびに立ち止まっていた。どうやら読み取るたびに新しい発見があるらしい。
まあ、村はほとんど文字のない世界だからなぁ。
「これ、魔導灯ってやつかな……?」
「その通りだ。魔石を加工して作られてるんだよ。夜でも明るいのさ」
フィオナが、俺の隣でさり気なく答える。淡々とした口ぶりだけど、どこか誇らしげにも見えた。
「このあたり、見られてるな」
突然、ガランが呟いた。気配を読む力に長けた彼の言葉に、皆が一瞬静まり返る。
「……あの、見張られてるってこと?」
俺が声を潜めて尋ねると、ガランは頷いた。
「たぶん貴族筋の連中だろう。目立った新参者には必ず目が光ってる。とくに、出自の分からん若造が騎士に守られているとあれば、な」
その瞬間、冷たい風が背筋をなでていった。
王都には、多くの危険が潜んでいる。
その一端を見たような気がした。