12 入城
谷を超え、切り立った断崖の向こうに広がるのは、広大な緑と幾筋もの道が交差する平野。そして、その向こうには、巨大な城郭を背にした都市の姿が霞んで見えていた。
「あれが……」
トモは誰ともなしに呟いた。
王都──グランマリア。その輪郭がだんだんと現実味を帯びてきた。
「見えたぞ、カイ」
フィオナは少し高揚しているようだった。口角が上がっている。
「まだ遠い。でも、全体像は確かに捉えた」
俺はユランのたてがみに手を添えて、感慨にふけながら言った。
ユランは一度、鼻を鳴らした。
「馬車を先導する。ついて来い。王都の外縁までは、開かれた道が続いている」
言葉を話すのも慣れてきたのか、ユランのそれははっきりとした、人の言葉だった。
「魔物が普通にしゃべってる……」
リゼットがまた驚いていた。そろそろ状況を呑み込んでほしいところだ。
「だが……いい声だ」
「そこじゃないでしょ!」
無表情で呟くデリンにリゼットが突っ込んだ。
ユランが軽く駆け出すと、馬たちがそれに引かれるように歩を進める。
不思議なことに、彼が前を走るだけで、道の草が絡まってくることも、馬車の車輪が石に躓くこともない。風が背を押し、さらに加速しているかのようだった。
「これは、ユランの力?」
「自然を読むのは私の本能だ。風も土も、道を語る。おまえたちが行くべき場所へ、私が導こう」
馬車はまるで羽が生えたように軽くなり、谷を超えてからの数刻で、これまでの数日分に匹敵する距離を進んでいた。
日が傾き始めた頃、俺は空気が変わったのを感じた。
金色に染まる地平線の先に、圧倒的な存在感でそびえ立つ城壁。白く、鋭く、そして重厚に構えた城砦が、夕陽を受けて赤金に輝いていた。
「やっと着いた……」
俺の口から自然に言葉が漏れた。
「門までは、あと一里ほどだ。私が王都に入ると面倒なことになる故、この先はあの街の掟に従え。お前たちが帰還する時には私も合流する。探さくても、私の方から現れるから心配するな」
「ありがとう、ユラン」
「礼には及ばぬ。新たな私の主よ」
そう言ってユランは森の中へ姿を消していった。
「俺、ユランの主になった覚えはないんだけどなぁ」
「いいじゃない、心強い仲間ができたし」
リゼットは腑抜けた声で言った。
◇◇◇
都は、思っていたよりもずっと大きかった。
遠くからでもはっきりと見える高い城壁。その向こうに、いくつもの塔や建物の尖塔が突き出している。陽を受けて光るそれらは、まるで絵本の世界からそのまま飛び出してきたかのようで、思わず息をのんだ。
「カイ。口が開いてるぞ」
すぐ横で、フィオナが微笑んだ。言われて慌てて閉じる。けど、無理もないだろう。この数日、山道や谷を超えてボロボロになりながらたどり着いた先が、こんな……人間の手で作られたとは思えないほど壮麗な都市だったんだから。
王都グランマリア──この世界に存在する大国のひとつ。俺たちの旅の目的地だ。
ただ、問題はここからだった。
「入城には身分証がいる。王都の管理区域に入るには、身元がはっきりしていないと」
フィオナが、荷車のわきに立って俺に言った。彼女は淡々としていたが、ほんの少しだけ、眉根が寄っていた。つまり、俺のことが問題だってことらしい。
「俺、身分……って、こっちの世界での、ってことか」
「そうだ。村に住んでた記録が王都に届いているわけでも、貴族の推薦状があるわけでもない。……正直、少し厄介だ」
広い城門前にはすでに何十人という人たちが列を作っていた。手続き所らしき石造りの小屋では、兵士がいくつかの書類を確認しながら、一人ずつ中に通している。
俺たちの番まで、あと三組。
下手すると、俺一人だけが入れないなんてこともありえるのか。
「心配しなくていいよ」
肩をぽん、と叩かれた。振り返ると、リゼットがにやっと笑っていた。
「こっちにはフィオナがいる。騎士がいるんだから」
「えっ?」
フィオナが頷いた。
「ああ。偵察した村の住民だと伝えれば入城の許可はもらえるだろう」
「先に言ってよ……」
やがて俺たちの番が来た。
フィオナが何やら書類を出し、門番の兵士と短く言葉を交わす。少しだけ時間がかかったが、兵士は俺を見てから頷いた。
「……通っていい。ただし、フィオナと共に行動するように」
胸をなでおろしたのは、俺だけじゃなかった。
仲間たちと連れ立って、王都の巨大な門をくぐる。その瞬間、ほんの少しだけ、空気が変わった気がした。前世で感じたような、発展した街特有の喧騒。
「さあ、ここからが本番だよ」
この異世界の心臓──グランマリアで、俺たちは何を見るんだろう。