109 英雄のいない世界
俺たちの身体は、すでに限界だった。二人の英雄を失い、仲間は傷つき、疲弊しきっている。俺の心もまた、深い喪失感で軋んだ。
これが、奴の狙いだったのだ。俺たちの心を、体を、極限まですり減らすことこそが。
「……よく、ここまでたどり着いた」
教祖は、武器を構える俺たちを前にしても、少しも動じなかった。
その穏やかな瞳は、敵意ではなく、まるで巡礼者を迎えるかのような深い慈愛に満ちていた。
「見事だ。カイ=アークフェルド。そして、古き王たちよ。貴方たちは、その存在価値を、十二分に証明してみせた。……もはや、貴方たちを『不純』などとは言うまい」
その、曲がった称賛の言葉。
俺たちは戸惑い、剣を握る手に力がこもる。
「……何を企んでいる?」
「企みなど、何もない」
教祖は、ゆっくりと首を振った。
「私はただ、これから始める世界の真の再生を、貴方たちにも見届けてほしいだけだ。……貴方たちは、その資格を得たのだから」
「再生だと?」
「そうだ。貴方が築いた、ルディアという奇跡の街。確かに、素晴らしいものだ。だが、貴方という不完全な神が、人間の自由意志を肯定したまま創り上げた、あまりに脆い砂上の楼閣に過ぎない」
教祖は、静かに続ける。
「貴方が行きている限り、その平和は続くだろう。だが、貴方が死ねば? あるいは、貴方が心を失い、ただの現象と化せば? 残された人間たちは、再びその自由意志という名の欲望を暴走させ、必ずや第二の『大崩壊』を招く。それこそが、人の持つ、避けられぬ業なのだ」
その、歪んでいるが、否定しきれない論理。
俺は反論の言葉を見つけられなかった。
俺がいなくなれば、本当に、この平和は続くのだろうか。
「だからこそ、必要なのだ。不完全な英雄による一時的な平和ではない。人間から『過ちを犯す自由』そのものを奪い去る、完璧な神による、永遠の管理が」
教祖は、杖を掲げた。
「見なさい。貴方一人が礎となり、我らが女神アレアが『完璧な救済神』として再誕した、未来の世界の姿を」
それは、人々が争わず、飢えることもない、完璧な調和の世界。しかし、そこにいる人々の顔には、喜びも悲しみも浮かんでいない。ただ、穏やかな、人形のような表情をしているだけ。
「貴方が愛した街は皆、苦しみから解放され、永遠に保証された幸福の中で生き続ける。……これ以上に、気高い自己犠牲があるかね?」
そうだ。
美しい、結末なのかもしれない。
俺一人が犠牲になれば、世界は永遠に平和になる。仲間たちの死も、明確に意味を持つ。
もう、誰も傷つかない。誰も悲しまない。
俺は、握っていた剣を手放しかけた。
「──ダメだッ!!!」
その、魂の叫びを発したのはフィオナだった。
彼女は、ボロボロの身体を引きずりながら俺の前に立ちはだかり、腕を掴んだ。
「……聞くな、カイ! そいつの言葉に、耳を貸すな!!」
「フィオナ……」
「たとえ、世界が永遠の平和を得ようが、そこに貴殿がいないのなら、そんなものに何の意味もない! 私は、そんな世界など望まない!」
フィオナの叫びが、引き金となる。
「そうだぜ、旦那!」
ラズがいち早く乗っかり、叫ぶ。
「旦那のいない世界で飲む酒なんざ、ただの苦い水だ! 俺は、てめえと馬鹿話しながら飲む酒が好きなんだよ!」
「我らが友の魂を、貴様の物語の部品になどさせてたまるか!」
バルハの咆哮が、聖地に響き渡る。
「主が去れば、私は生きる意味を失います。私の角は、主だけのためにありますから」
ユランが冷静な声で言った。
ジェイルまでもが、絞り出すように、確かな意志を持って言った。
「……俺は、あいつに教わったんだ。間違えても、やり直せるということを。あいつがいない世界で、俺が何をやり直せるというのだ……!」
王たちが、仲間たちが、次々と声を上げる。
それは、俺に「行くな」「死ぬな」と叫ぶ、必死の魂の叫びだった。
その、あまりに真っ直ぐで温かい言葉。
それが、俺の心の最後の壁を打ち砕いた。
そうだ。俺が守りたかったのは、俺のいない「完璧な世界」じゃない。
不完全で、手のかかる、この仲間たちと共に生きる「今」なんだ。
俺は仲間たちに向かって振り返り、涙を堪えながら、最高の笑顔で言ってみせた。
「……馬鹿野郎どもが。……聞こえてるぜ、全部」
「……よく考えたらよ、俺、前世でも自己犠牲で身体壊して死んでんだよな。転生したとき、やっと『自分の人生』を生きられるって思った。誰かに急かされない生活ができると思った。それでいつしか、生きる意味とまで言えるような仲間が出来た。……世界の皆には悪いけど、世界なんかのために、この人生を捨てるわけにはいかない……かな。よくよく考えたら俺、世界救うために転生したわけでもないし。おせっかいで、過保護な女神のせいで救う羽目になっただけだし」
等身大で、わがままで、英雄らしさなど捨て切った言葉に、仲間たちは見たこともないほど目を輝かせていた。
「……そういう旦那を待ってたんだぜ、俺たちは」
ラズが涙を拭って言った。
「……愚かな。なぜ、美しい物語を拒む……」
教祖は、その光景を前に、始めて表情を歪ませた。
俺は、教祖に向き直った。
「さっきから黙って聞いてりゃ……女神の完璧な再誕だの、永遠の平和だの、胡散臭えんだよあんた。やっぱりカルト集団の教祖ってそういう洗脳が得意なの?」
「アレアが完璧に再誕する可能性の方が低いだろ普通に」
俺の言葉に、真っ先にジェイルが同意した。
「あと、完璧な世界とか俺に見せてきたけど、いくらでもあんな幻影作れるだろ。っていうか……俺がいなくなった後の世界じゃなくて、俺がいなくなった後の『こいつら』を見せろよ」
俺は仲間たちを指さして言った。
「世界よりも、よっぽど重要なものがあるんだから。俺はルディアと、仲間たちを守れたらいい。それだけだ」




