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異世界スローライフ希望なのに、女神の過保護が止まらない  作者: 葉泪 秋
聖地決戦編

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107 常若の国

 船を降り、霧の結界を抜けた先に広がっていたのは、神々の絵画をそのまま切り取ったかのような、幻想的な光景だった。

 永遠の黄昏の空。風も音もない。咲き乱れる花々は決して枯れず、地面からは女神の涙が結晶化した緑色の水晶が、淡い光を放っている。

 聖地「ティル・ナ・ノグ」。

 その、あまりに神々しくどこか物悲しい光景に、俺たちはただ息を呑むことしかできなかった。


「……ここが」

「ああ。ここが、アレアの眠る場所……」


 俺は、この地に満ちる温かく、しかし深い悲しみの気配に胸を締め付けられた。

 俺たちが、聖域の中心にそびえ立つ世界樹を目指して、水晶の草原を慎重に進んでいたその時。

 ガランとシェルカが、同時に足を止めた。


「ストップ」

 

 シェルカが手を前に出した。


「……罠だ。この地面の下、そして……あの水晶の中に、強大な気配がいくつも眠っている」


 ガランの言葉が、開戦の合図だった。

 大地そのものが裂け、その下から、黒いローブを纏った還し手の精鋭戦闘員たちが、数百の亡霊のように姿を現し、俺たちを完璧な陣形で包囲する。

 それだけではなかった。

 溶岩の身体を持つ、百腕の巨人「ヘカトンケイル・イグニス」。

 絶対零度の吹雪をまとう、鋼の巨鳥「ルフ・グラキエス」。

 空間そのものを喰らう、漆黒の魔狼「フェンリル・ヴォイド」。


 数百の精鋭と、三体の神話級魔獣。  

 ユランが三体、敵にいるようなものか……。

 その絶望的な布陣を、世界樹の根本にある祭壇の上から、一人の男が静かに見下ろしていた。

 還し手の──教祖。


「──ようこそ、約束の地へ。不純なる器と、古き王たちよ」


 彼の神託のような声が、聖地全体に響き渡る。


「これは、試練だ。我が女神の再誕を前に、旧世界の残滓たる貴様らが、その存在価値を示すための、最後の機会を与えてやろう」


 教祖の宣言を合図に、精鋭部隊と三体の神話級魔獣が一斉に牙を剥いた。

 俺は腰に差した剣を抜き放ち、仲間たちに向かって叫んだ。


「絶対にここで倒れるな!! 俺たちの目的は、あいつの首ただ一つだ! 行くぞ、お前らァッ!!!」


 大陸の英雄たちと、神話の軍勢。

 最終決戦の火蓋が今、切って落とされた。


「まずはあのデカブツを分断するぞ!」


 俺の指示一下、パーティは三つのチームに分かれた。

 バルハ、ザルク、ゴウランの「矛」チームが、百腕をの巨人ヘカトンケイルへと突撃する。

 ジェイル、アルディナ、リオンの「王」チームが、空を舞う巨鳥ルフを魔法で牽制する。

 そして、俺とユラン、フィオナ、グレン、ラズ、シェルカ、ガランの「核」チームが、最も厄介な魔狼フェンリルと、精鋭部隊の相手を引き受けた。


 戦場は、瞬時に混沌の渦と化した。

 だが、その中で、一つの死線が音もなく描かれた。

 魔狼フェンリル。その動きは、もはや物理法則を越えていた。空間を跳躍し、瞬間移動に近い速度で、指揮官である俺の首を直接狙ってきたのだ。


「カイ!」


 フィオナが叫ぶ。

 だが、誰も反応できない。

 全てのスキルを解放して命だけは守ろうと、全身に力を入れたその時。

 俺の前に、山の如き影が立ちはだかった。


「──ぐっ……おおおおおおおおっ!!」


 グレンだった。

 彼はその鉄壁の盾を、空間ごと喰らいつこうとするフェンリルの牙を、その身を持って受け止めた。

 盾は無残に砕け散り、その牙は彼の鎧を紙のように貫く。


「グレンッ!!」


 あまりにも早すぎる犠牲。

 まだ、戦いが始まって一分も経っていない。

 

「……カイ殿。……我が君主が信じた未来を、必ずその手で……」


 彼は、俺に何かを託すように手を伸ばし、光の粒子となって、静かに消滅していった。

 エルディンが誇る、最高の「盾」。

 その、あまりにあっけなく、気高い最期。

 俺の心に、最初の亀裂が始まった。


「……よくも、グレン殿を……!」


 フィオナが怒りと悲しみに我を忘れ、フェンリルへと斬りかかる。

 だが、その激情こそが敵の罠だった。

 フェンリルを庇うように、数十の精鋭部隊がフィオナに一斉に襲いかかる。


「しまっ……!」


 多勢に無勢。彼女の神速の剣でも捌ききれない。

 その無防備な背中を、一本の呪いの刃が狙う。

 その刃が、彼女に届くことはなかった。


「あっぶねぇな!!」


 ラズがフィオナを突き飛ばし、その呪いの一撃を自らの魔導義手で受け止めた。

 だが、還し手野呪は、対魔力合金ですら完全に防ぎきることはできない。


「ぐ……クソ、もったいねぇ……!」


 ラズは崩れ落ちる義手を見て舌打ちした。


「ラズ!」


 グレンの死、ラズの負傷。

 救い、救われ、それでもなお、こぼれ落ちていくもの。

 このままでは……全滅する。

 俺が、最後の切り札である「天岩戸」を使うしかないのか?いや、使えば俺も動けなくなる。そうすれば、残された仲間たちだけでは「儀式」を止めることはできないだろう。

 思考が袋小路に陥る。

 その迷いを見透かしたかのように、後方から揺るぎない声が響いた。


「──カイ。下を向いている暇はないぞ」


 父のような、威厳のある重たい声。アルディナだった。

 彼は王としての冷静さを一切失うことなく、戦場全体を見据えていた。


「犠牲者が出るのは貴様も織り込み済みであろう。何を今更絶望している? 貴殿の力は確かに強大だ。だが、一人ですべてを背負うには、この戦場はあまりに広すぎる。……王とは、時に自らの無力さを認め、そして、仲間を信じ抜く覚悟を持つ者のことだ」


 その言葉に、俺ははっとした。

 そうだ。

 俺はまた、いつの間にか一人で答えを出そうとしていた。  

 俺には、大陸最高の王たちが、仲間たちがいるじゃないか。


「……アルディナ。あんたの力、俺に貸せ」

「心得た」


 俺は天を仰いだ。

 そして、この戦場にいる全ての仲間に向かって、魂の底から絶叫した。


「聞け! お前らァッ!! もはや小細工は通用しねえ! ここから先は、一人一人が己の限界を超えろ! 全員が十分以上の働きをしないと、この状況は切り抜けられねえぞ!」


 その叫びを合図に、俺は創世の権能を、アルディナは古代の指揮魔法を同時に解放した。

 ただの強化魔法ではない。一人一人の魂の輝きを極限まで増幅させる、奇跡の御業。

 

「おおおおおおおっ!! 力が……身体の底から、湧き上がってくる……!」


 最初に咆哮したのはバルハだった。

 彼の虎縞の毛並みが逆立ち、その巨躯はさらに一回り大きく膨れ上がる。百腕の巨人ヘカトンケイルの溶岩の拳を、彼は素手で受け止め、逆に握り潰した。


「ハハッ! 腕一本、くれてやった甲斐があったぜ!」


 ラズの腕が、彼の闘志に応えるかのように紅蓮の輝きを放ち始める。その動きは、もはや人間の目で終える速度ではない。


「ジェイル! 空を頼む!」

「言われるまでもない!」


 巨鳥ルフが吐き出す絶対零度の吹雪を、ジェイルの放った灼熱の炎が相殺し、空に巨大な水蒸気爆発を巻き起こす。


 戦況が、変わり始めた。

 絶望的な物量差を、俺たちの覚悟が少しずつ覆していく。

 だが、その中心で俺とアルディナは、凄まじい消耗に耐えていた。


「カイ、まだいけるか……!」

「ああ! 仲間が戦ってんだから、俺たちが倒れるわけにはいかねえだろ……!」


  俺たちの、命を削る支援。

 それに応えるように、ついに、仲間たちの一撃が、神話の魔獣を捉えた。

 ゴウランの渾身の一撃が、ヘカトンケイルの核を砕き、

 ユランの放った光線が、ルフの翼を貫き、

 そして、フィオナとリオンの魂を込めた合体剣技が、魔狼フェンリルの喉笛を切り裂いた。

 

 神話の魔獣たちが、ついに沈黙する。

 残るは、教祖ただ一人。

 

「……見事だ、人の子らよ」


 教祖は、静かに拍手を送っていた。

 その顔に焦りの色はない。


「だが、貴様らが時間を稼いでくれたおかげで、こちらの儀式も最終段階へと移行できる」


 彼が杖を掲げると、聖地全体が共鳴し、アレアの神核が禍々しい紫色の光を放ち始めた。

 最後の儀式が、始まってしまったのだ。


「さあ、最後の試練だ。この絶望を乗り越え、それでも貴様が『器』としてふさわしいか、女神と共に、見定めさせてもらおう」


 教祖の周囲に、これまで倒してきた幹部たちの亡霊が、次々と召喚される。

 俺は、仲間たちに向かって、最後の力を振り絞って叫んだ。


「行くぞ、お前ら! これが、本当の最後の戦いだ!」

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