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100(2) 500年分の姉妹喧嘩

 図書館の巨大な扉を、俺たちは固唾をのんでくぐった。

 内部は、無限に広がる書架の森だった。天井という概念はなく、本の背表紙が、まるで星々のように遥か上空まで続いている。紙とインクの匂いが、時間の重みとなって俺たちの肺を満たした。

 山のように積まれた木の影で、古びた眼鏡をかけた美しい女性が、床に寝転がって魔導書を読みふけっていた。

 知識の女神、ミリス。


「あのー……」


 彼女は俺たちの存在に気づいても、本から目を離すことなく、片手で「あっち行ってて」というようにシッシッと手を振った。


「……うるさいわね。今いいところなんだから。数百年ぶりの来客なんだから、五分くらい待ちなさいよ」

 

 その、あまりにぐうたらで塩対応な態度。アルディナやバルハといった王たちですら、

「え、これがあの知識の女神……?」と、唖然としていた。

 張り詰めたような、どこか間の抜けた空気を、一つの嗚咽が切り裂いた。

 ずっと姿を隠していたレイナが実体化し、俺の横に現れた。

 彼女はこれまで見せたことのない、女神の威厳も、俺への強がりも全てかなぐり捨てた、ただ泣きじゃくる「妹」の顔で、ミリスの元へと駆け寄った。


「ミリス姉様ッ!!」


 500年分の、孤独と後悔が込められた、魂からの叫び。

 レイナはミリスの足元に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……っ! あの時、私がもっとしっかりしていれば、アレア姉様を……!」

「……」


 ミリスはようやく本をパタンと閉じると、その冷たい瞳で、泣きじゃくる妹をジロリと見下ろした。

 彼女は眼鏡を外し、ため息をついた。



「……うるさいわね。500年も経って、今さらどの口が言うのよ。だいたい、あんたが勝手にアレア姉様の力をそこらの男の子に押し付けて、自分の好みに育ててキャッキャウフフしてるから、話がこんなにややこしくなってるんでしょうが! このトラブルメーカー!!」

 

 まさかの、ブチギレ。

 

「そ、それにはカイ様に素質があるからで……!」

「はいはい、言い訳はいいから。どうせ、あんたが何かやらかして、その尻拭いに私の知恵を借りに来たんでしょ。本当に、昔から何も変わらないんだから、あなたは!」

「姉様だって、ずっとこんな所に引きこもって! 私がどれだけ心配したと……!」

「心配? 心配してる人が、手紙の一通も寄越さないのかしらね?」

「それは結界が……」

「また言い訳!」


 神々しい雰囲気はゼロ。

 そこに繰り広げられていたのは、ただの、積年の恨みがこもった壮絶な姉妹喧嘩だった。

 俺たちはただ呆然と、その光景を見つめることしかできない。


「……あ、あの……」


 俺がおずおずと割って入ると、ミリスはチッと舌打ちをして、面倒くさそうに立ち上がった。


「あんたがカイね……。ほんと、うちの妹が迷惑かけて申し訳ないわ。まああんたにも原因あるけど」


 謝る気ないな。


「……一から説明しないとわからないなんて、人間って本当に非効率な生き物」

 

 彼女が指を鳴らすと、周囲の空間に、過去の映像が幻灯機のように映し出される。

 その瞬間、彼女の纏う空気は一変した。

 先程までのぐうたらな態度は消え、世界の全てを記録してきた女神としての絶対的な威厳と、深い悲しみを帯びた声で、彼女は真実を語り始めた。

 

「まずは、貴方たちが『神代』と呼ぶ時代……あの頃、私達はまだ、この世界と共存していた。運命を紡ぎ、知識を与え、大地を育む。それは不完全で、手のかかる子供たちを見守るような穏やかな時間だった」

 

 映し出されたのは、神話のような光景。天を突く白亜の都市、空を舞う天馬、そして、人々と共に笑い合う、若き日の三柱の女神。


「だが、子供を成長し、やがて親の手を離れる。人間たちは、私たちが与えた知識を元に、独自の魔術体系を築き上げた。そして、ついに禁忌に触れた」

「──世界の理そのものを書き換える、傲慢なる魔術『創世改変』に」


 映像が一変する。

 禍々しい紫色の魔力が大地を走り、空間がガラスのようにひび割れていく。


「世界の法則に、致命的なバグが生まれた。時間は狂い、空間は裂け、存在そのものが『無』に還っていく。それが、貴方たちが『大崩壊(カタストロフィ)』と呼ぶ災害の正体。人間が自ら招いた、世界の死よ」


 映し出されたのは、地獄だった。

 人々は悲鳴を上げる間もなく塵と化し、大地は黒い虚無に飲み込まれていく。

 その光景のあまりの絶望に、ジェイルやアルディナといった王たちですら、息を呑み、顔を青ざめさせた。


「私には、それを記録することしかできなかった。この愚かな(レイナ)は、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。……でも、あの子だけは違った」


 映像の中心に、慈愛に満ちた緑の髪の女神が映し出される。

 大地の女神アレア。


「アレア姉様は、自ら神核──存在の核そのものを粉々に砕き、その全てを、世界のバグを修復するための楔として、この世界に打ち込んだ。彼女は死んだんじゃない。世界そのものに溶けて、消えたのよ」


 壮絶な自己犠牲。

 ミリスは静かに続けた。


「還し手は、その姉様の最後の願いを『人間への絶望』と曲解した、哀れな亡霊。そして……」


 彼女は、俺に向き直る。


「貴方の力が人間性を失わせるのは、アレアの力の残滓が不完全な(カイ)の中で、元の持ち主の状態に戻ろうとしているから。つまり、貴方は徐々に『カイ=アークフェルド』ではなく、『アレアという女神の、不完全なコピー』へと、その魂を作り変えられている」


 星詠導師の言っていたことと完全に一致している。

 心の準備をしていたからダメージは少ないが、やはり俺の辿る結末は変わらないらしい。

 仲間たちが言葉を失う中、レイナは自らが犯した罪の重さに、再びその場に泣き崩れた。

 ミリスはそんな妹の姿を見ると、ふいっと顔をそらし、ボソっと呟いた。


「……まあ、あんただけのせいじゃないわよ。あの時、何もできなかった、私のせいでもあるんだから……」


 その、小さな呟き。

 俺はそれを聞き逃さなかった。彼女もまた、500年間ずっと、後悔し続けてきたのだ。

 ミリスは、俺に最後の道を示す。


「アレアが最後に神核を砕いた場所、聖地『ティル・ナ・ノグ』。そこには、彼女の神核の最大の欠片が眠っているわ」

「そして、選びなさい。その欠片の力で、貴方の体からアレアの力を完全に『切り離し』、ただの佐久間遼に戻るか。あるいは、その欠片と『融合』し、アレアの代わりとして、永遠に世界を支える新たな神となるか」


 彼女は、書架から聖地への詳細な地図を取り出すと、俺に投げ渡した。


「さあ、とっとと行きなさい。そして、貴方自身の物語の結末を、貴方自身の手で選び取りなさい」


 そして、最後に小さな声で付け加える。


「……別に、あんたたちのことを心配してるわけじゃないけど。ただ、これ以上、私の静かな読書時間を邪魔されたくないだけだから」


 そう言うと、ミリスは床に寝転がり、魔導書の世界へと戻ってしまう。

 

「知識の女神ってもっと淡白なのかと思ってたぜ……」と呟くラズ。

「結局、俺たちこっから何すれば良いんだ? 姉妹喧嘩を止めるのか?」と間抜け面で言うザルク。

「……私は最後まで、貴殿の味方だ」と、覚悟を新たにするフィオナ。


「聖地の場所が判明した。……が、還し手がもっと早くに情報を掴んでいる可能性もある。全速力で聖地に向かうぞ」


 俺たちは、くつろいでいるミリスに挨拶をして図書館を離れた。

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