100(1) 始まりの図書館
本作もおかげさまで100話までやってきました!今回は二本立てです!
だんだんと物語の終わりが近づいてきますが、今後もついてきてください!
帝国の廃砦を出発してから、季節が一つ移り変わろうとしていた。
俺たちの旅は、決して平坦なものではなかった。
灼熱の「嘆きの砂漠」では、渇きと疲労で倒れかけた俺たちを、巨大な砂嵐が襲った。視界すら奪われる絶望的な状況。だが、ガランの狩人としての勘が、一瞬だけ風の止む「嵐の目」を見抜き、ユランの神速が俺たちをその安全地帯へと運び込んだ。
次に越えた「世界の背骨」と呼ばれる山脈では、還し手の仕掛けた巧妙な雪崩の罠に、部隊が分断されかけた。その危機を救ったのは、ジェイルの放った大規模な炎の魔法と、グレンの鉄壁の盾だった。元皇子と騎士の、完璧な連携。その光景に、バルハが「やるではないか、人間の王よ」と、初めて心からの賞賛を送っていた。
旅の途中、俺たちは幾度となく、あの忌々しいライバルとも顔を合わせた。
古代遺跡の最深部で、最後の宝箱を前にノアのパーティと鉢合わせになる。
「悪いな、英雄様。そのお宝は、俺たちが先にいただくぜ」
「こっちのセリフだ、万年二番!!」
子供じみた口喧嘩から、遺跡が半壊するほどの大乱闘に発展することも一度や二度ではなかった。
だが、ある時は共通の敵である強力な幹部を前に、互いに悪態をつきながらも、背中を預けて戦うこともあった。
「おい、佐久間! 右ががら空きだぞ、この三流が!」
「あぁ!? お前こそ前しか見てねえぞ単細胞が!!」
決して馴れ合うことはない。だが、その奇妙な共闘の中で、俺とノアの間には、ライバルとも、悪友ともつかない、不思議な信頼関係が芽生え始めていた。
そして、出発から三ヶ月が過ぎたある日。
俺たちは、ついに星詠導師が示した座標──大陸の最果て、霧深き巨大なカルデラの底へとたどり着いた。
その中心には、エメラルドグリーンの湖に浮かぶようにして、巨大な白亜の建造物が荘厳に佇んでいた。
あれが、始まりの図書館……。
知識の女神ミリスが500年間、世界から姿を隠していた場所。
「……着いたのか。……ようやく」
ラズが乾いた唇で呟く。
誰もがその神々しい光景と、ここまでの過酷な旅路を思い返し、言葉を失っていた。
「……すげえな」
俺はその光景に思わず息を呑んだ。
今まで巨大な建物はたくさん見てきたが、これほどまでに「人の力を超越している」と感じさせられたのは初めてだった。
その美しさとは裏腹に、図書館は強力な魔力結界に守られており、俺たちの行く手を阻んでいた。
俺は覚悟を決めて、ミリスの日記を高く掲げた。
その瞬間、俺たちの目の前に、一体の幻影が音もなく姿を現した。
古びた眼鏡を掛けた、どこか気だるげで美しい女性。ミリス本人だ。顔立ちもどこか、レイナに似ている。
だが、その瞳は日記に綴られていた優しさとは程遠い、全てを俯瞰するような冷たいものだった。
姿を見られたくないのか、レイナはすぐに姿を消した。
『……この日記を手にここまでたどり着いたこと、まずは褒めてあげましょう。ですが、世界の真実を知るには、相応の資格が必要です』
彼女は抑揚のない声で告げると、俺たちの前に古びた天秤を具現化させた。
『ここから先へ進みたければ、資格を示しなさい。貴方たちの中から、一人だけ『生贄』を選びなさい』
「「「なっ……!?」」」
仲間たちが絶句する。
ミリスは構わず続けた。
『この図書館の扉を開くには、一つの魂のエネルギーが必要です。貴方たちの中で、最もこの旅に不要だと思う者を、この天秤に乗せなさい。さすれば、残りの者は真実へと至れるでしょう。……500年前、アレアがそうしたように』
それは女神が与えるものとは思えない、悪魔の試練だった。
俺たちの絆そのものを根底から試す、あまりに残酷な問いだ。
「ふざけんな!」
ザルクが吠える。
「女神ともなれば、絶対『魂のエネルギー』なんてなくても扉開けるでしょ」
ジェイルが死んだ目で吐き捨てる。
「仲間を、不要だなんて決められるわけがねえだろうが!」
「いかにも」
アルディナが、静かな怒りを込めた口調で続く。
「我らは、それぞれが大陸の未来を背負っている。誰一人として、欠けて良い者などおらぬ」
『それが、貴方たち人間の限界です』
ミリスは冷ややかに言い放った。
『情に流され、非合理的な選択を繰り返し、結果、全てを失う。……姉様も、そうだったわ』
その言葉に、誰も反論できなくなる。
誰か一人を犠牲にしなければ、全員がここで終わる。その究極の選択を前に、疑心暗鬼の空気が流れ始めた。
その重暗い沈黙を破ったのは、ラズだった。
彼は少し寂しそうな目をしながら、いつも通りに笑ってみせる。
「……へっ。なら、俺が行くしかねえだろ。片腕の俺が、一番のお荷物だ。違いねえ」
「ラズ! 馬鹿なことを言うな!」
フィオナが叫ぶ。だが、ラズの決意は固かった。
その自己犠牲の連鎖を、俺の一喝が止めた。
「全員、黙れ」
俺はゆっくりと天秤の前へと歩み出た。
もう……誰かの犠牲の上に広がる「未来」には、うんざりなんだよ。
「……ミリス。あんたのやり方には納得できない」
『……何が?」
「あんたが本当に求めてるのは、魂の重さなんかじゃない。俺たちが、あんたの絶望と孤独を、理解できるかどうか。……そうなんだろ?」
俺は、天秤の上に、仲間ではない別のものをそっと置いた。
ミリスの日記だ。
彼女が、姉を想い、500年間、誰にも見せることなく抱きしめ続けてきた、その心の結晶を。
「アレアは、自己犠牲を選んだ。だが、そのせいで、あんたはずっと一人で苦しんできた。残された者の痛みを、誰よりも知っているはずのあんたが、同じことを俺たちにさせるわけがない」
「俺たちが、この天秤に捧げるのは、仲間じゃない。あんたを500年間も一人で苦しませてきた、アレアの『悲しい記憶』そのものだ。この日記こそが、その象徴なんじゃないか?」
俺は、自己犠牲を繰り返した過去の自分と重ね合わせながら、最大限に優しい答えを出した。
ミリスの幻影の、鉄仮面のような表情が初めて崩れる。
その瞳から、500年分の重みを湛えた涙がこぼれ落ちた。
『……合格よ』
その声は、震えていた。
『……よくぞ、その答えにたどり着いた……』
図書館を覆っていた結界が、静かに光の粒子となって消えていく。
そして、固く閉ざされていた巨大な扉が重い音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
『入りなさい。世界の全ての記録が、貴方たちを待っています』
俺はフィオナと顔を見合わせ、静かに頷いた。
これから俺たちは、世界の真実に直面する。
「レイナ、出てこいよ。いつまでも隠れてちゃ、来た意味がないだろ?」
「……わかってます」
俺の脳に響くレイナの声は震えていた。