99 等価交換
彼は仲間と共に、音もなく闇へと消えていこうとする。
その、あまりに一方的な幕引き。
俺はたまらず叫んだ。
「待て待て待て待て待て!!!」
俺の必死の叫びを聞いて、ノアは心底面倒くさそうに、ゆっくりと振り返った。
「……なんだよ。まだ何かあんのか?」
「ありまくりだ! ……少し、話をしたいんだよ」
俺は仲間に目配せをすると、ノアのパーティと向かい合う形で、その場に腰を下ろした。
ノアは舌打ちをしながら、その場に腰を下ろした。
だが、その座り方が妙だった。
この世界の人間なら、胡座をかくか、片膝を立てるのが普通だ。
だが、彼はごく自然に、畳に座るかのように「正座」をしていた。
「……?」
俺が、この些細な違和感に眉をひそめていると、ノアは懐から取り出した羊皮紙の地図を広げ、忌々しげに呟いた。
「……お前が、ルディアのカイか?」
ノアが警戒の混じった目でこちらを見る。
「そうだよ」
「……ってことは、それが女神で、それが神獣、か……」
レイナとユランに目を向けながら、ノアはため息まじりに言った。
「チート級の力を持って異世界に転生、か。結構なことだ」
この世界を「異世界」と認識してる……?
俺の中で、点と点が繋がった。
正座。異世界という認識。そして、俺の行動を「偽善」と断じる、どこか現代的な、ひねくれた価値観。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、震える声で問いかけた。
「……おい、M1グランプリの初代王者を言えるか?」
「中川家」
ノアの即答によって、俺は確信した。
「お、お前……日本人だろ……?」
ノアの動きがピタリと止まった。
彼の仲間たちも、驚いたように顔を見合わせている。
ノアは、しまったという顔で俺を睨みつけると、観念したように大きくため息をついた。
「……ああ。そうだよ。だから何だってんだ?」
俺は、思わず立ち上がっていた。
「俺も日本人なんだよ! 俺は佐久間遼っていう、ただのサラリーマンだった!」
俺の告白に、今度はノアの眉がピクリと動いた。
彼は、俺の名前を、記憶の引き出しから探るように反芻する。
「サクマ……リョウ……?」
明らかに、聞き覚えのない名前。だが、彼は何かを思い出し、心底馬鹿にするように鼻で笑った。
「ああ、思い出した。死ぬ数日前のニュースで見たな……ブラック企業で過労死した、哀れなサラリーマンの一人か。ご愁傷様だな。お前のその甘っちょろい理想論は、前世から変わってないのか」
「なっ……!?」
ニュース……?そうか、俺の死は、過労死問題の一つとして、小さく報道されていたのかもしれない。
俺が驚愕に目を見開いていると、ノアは初めてその目に、俺への侮辱と、深い憎しみの色を浮かべた。
「俺は、橘圭吾だ」
橘圭吾。
その名前に、俺は聞き覚えがあった。前世で、若手起業家としてメディアを賑わせていた、あの天才投資家。俺が、疲れた顔で見ていた経済ニュースの中心にいた男。
俺とは、住む世界が違っていたはずの男。
そいつが今、俺の目の前にいる。
俺と同じ転生者として。
「……で、お前も死んだのか?」
「ああ。調子に乗って高級外車をかっ飛ばしてたら、あっけなく事故ってな。……俺の死は、お前と違って、デカデカと報道されただろうがな」
彼は自嘲気味に笑った。
「いやお前、俺よりもダセェ死に方してんじゃん!!」
「はっ!? 殺すぞてめぇ! 前世で何も成し遂げられなかった負け組が吠えてんじゃねぇぞ!!」
ノアは今にも俺に殴りかかってきそうだったが、仲間に止められてため息をついた。
「……だが、俺のお前の転生は、少しワケが違うらしい」
ノアは、まるで遠い昔を思い出すかのように虚空を見つめた。
「俺が死んだ時、目の前に現れたのは、その『運命の女神』とやらじゃなかった。得体のしれない、闇のような声が俺にこう言ったんだ。『貴様の才能と野心は、このまま朽ちさせるには惜しい。もう一度、チャンスをやろう。ただし、次の世界では、お前は全てをゼロから、いや、マイナスから始めなければならない』ってな」
「俺が次に目を覚ました時、そこは地獄の底……帝国の奴隷鉱山だった」
ジェイルが少し目を伏せた。
「前世で培った知識も、プライドも、そこでは何の意味も持たなかった。俺は殴られ、蔑まれ、泥水をすすり、生きるためだけに人間性を捨ててきた」
祝福なき転生。ノアは同じ転生者でありながら、俺と真逆の背景を持っていた。
「……お前がさっき使ってたスキルは一体、どんな力なんだ?」
俺の問いに、ノアは自らの掌を見つめ、冷ややかに笑った。
「『等価交換』ってやつだ。名前の通り何かを得るためには、必ず何かを差し出さなきゃならない。それだけの、どこまでもフェアで、どこまでもクソなスキルだ」
彼は、仲間の一人である若い魔術師の少女に顎をしゃくった。
「例えば、こいつの魔力を俺が少し奪う。その代償として、俺のスタミナをこいつに分け与える。そうやって、俺たちは互いのリソースをやりくりして、生き延びてきた。絆なんてもんじゃねぇ。ただ、ビジネスライクな契約関係だ。お前が女神様から与えられた『創世の権能』とかいうチートスキルとは、出来が違うんだよ」
俺たちの生き様は、与えられたスキルそのものにも生々しく現れていた。
「……くだらねえ感傷に浸るのは、やめだ」
ノアは立ち上がると、俺を睨みつけた。
「俺が知りたいのは、ただ一つだ。佐久間遼。お前は、なぜ成功した? ただの幸運か? 前世で何も成し遂げられなかったお前が、なぜこの世界で、すべてを手に入れている……!」
その、魂からの叫び。
俺はなんと答えるべきか、言葉に詰まった。
その重苦しい空気を破ったのは、これまで黙って成り行きを見守っていたジェイルの、どこか気の抜けた一言だった。
「……いや、普通にお前のやり方が下手なだけじゃないか?」
「「「は?」」」
俺の、ノアも、その場の全員が素っ頓狂な声を上げた。
ジェイルはSNSを眺めるギャルみたいなテンションで、壁に寄りかかったまま続けた。
「仲間を『駒』だとか『リソース』だとか言ってる時点で、もう三流だろ。そんなやり方で、長期的に利益が出ると思うか? 部下は疲弊して、忠誠心はゼロ。短期的な成功はあっても、いずれ内側から崩壊する。……帝王学の、基礎の基礎だが」
元・暴君の、あまりに正しく、的確な経営コンサル。
その説得力しかない言葉に、ノアはぐうの音も出ない。
「それ、過去のお前にそのまま言いたいけどな」
俺がツッコむと、ジェイルは少し苦い顔をした。
「まあそれは置いといて……だいたい、お前のそのスキルも使い方が悪い。他者から奪うだけじゃない。お前の『何か』を差し出せば、仲間を強化させることもできるんだろ? だったら、最初に信頼に『投資』して、リターンを待つのが賢いやり方じゃないのか? 前世で投資家だったとかいう話はよく理解できなかったが、その知識をなんで活かさない?」
「ぐ……」
ノアが完全に論破されている。
俺は思わず吹き出しそうになるのを、必死で堪えた。
「だいたい、カイの成功は幸運なんかじゃない。あいつは、自分が持っている一番いいもの……それこそ命すらも、仲間のために兵器で差し出すからな。だから、人も運も集まってくる。……女神様も。まあそのせいでこっちも毎回肝を冷やすんだが。マジで、もうちょっと考えて行動してほしいもんだ」
ジェイルの、どこか呆れたような言葉。
ノアは、わなわなと震えながら俺を睨みつけた。
「……お、覚えてろよ、佐久間遼……! 俺はお前を認めない! 絶対に、お前より先にこの世界の真理を掴んで、お前を絶望の底に叩き落としてやる!」
最高の捨て台詞と共に、彼は仲間を引き連れ、今度こそ本当に、闇の中へと消えていった。
その後には、なんとも言えない、気まずい空気が残された。
「……あいつ、絶対、友達いなかったタイプだな」
ラズの呟きに、俺は、ただ苦笑するしかなかった。