9 信頼
朝霧がゆっくりと晴れていく中、広場に村人たちが集まっていた。
誰もが、何かを察していた。
昨夜、グレイが静かに息を引き取ったことは、まだ正式には伝えられていない。
俺は、その中心に立ち、深く息を吸った。
すぐそばには、いつの間にかフィオナが立っていた。騎士としてではなく、一人の人間として、俺を見守ってくれているようだった。
「皆、集まってくれてありがとう」
ざわめきがすっと静まった。
「昨夜……ルディア村領主、グレイ=バルテールさんが、息を引き取りました」
人々の顔に、驚き、悲しみ、そして──絶望のようなものが浮かぶ。
当然のことだ。長らくこの村を導いてきた領主が、いなくなってしまったのだから。
「最期の時間、俺は彼のそばにいませんでした。しかし、彼の側近である方々が看取ってくれました。きっと……穏やかな最期を迎えられたかと思います」
俺は言葉を詰まらせながらも、皆の顔を見ながら言葉を続ける。
「彼は、この村を大きな街にしたいと願っていた。ただ豊かになるだけじゃない。誰もが、誰かに手を差し伸べられるような、優しさのある街に」
胸の奥に詰まっていた熱が、言葉になってこぼれていく。
「俺は、その想いを託されました。……正直に言うと、まだ怖いです。自信もありません。俺は、この世界に来たばかりの、ただのよそ者ですから」
それでも──と続けて、拳を強く握った。
「けれど、俺はこの村が好きです。ここにいる人たちと過ごす時間が、すごくあったかくて。だから、俺はこの場所を守りたい」
沈黙の中、ミナがそっと涙を拭った。
農作業仲間の初老の男が、深く頷くのが見えた。
「グレイさんがいなくなって、不安もあると思います。でも、俺は逃げません。彼の願いを、みんなと一緒に叶えたい。だから、これからは、俺が村を導いていきます。俺が目指すのは、真の平和です。しかし、この村を侵そうとする者がいるのなら、俺は遠慮しません」
一部から拍手が起こり、やがてそれは伝染していった。
一礼したあとに顔を上げると、目の前には真っ直ぐな瞳があった。
フィオナだった。騎士としての凛々しさとは違う、どこか柔らかい眼差し。
「グレイが貴殿を選んだことには、納得できる」
「騎士団の立場としては……これって問題になる?」
「形式の話をするならば、王都の証人が必要だ。しかし……私は、貴殿を信じたいと思った。これは、私個人の意思だ」
その言葉に、俺は微笑んだ。
「じゃあ、正式に『友達』ってことでいい?」
「……まだそういうことを言うか」
フィオナは顔をそらしながら言った。
「カイの領主就任に、異論のある者は?」
村長が見渡すが、誰からも手は挙がらなかった。
「よし。これからよろしく頼むぞ、カイ」
俺が村長と握手をすると、もう一度大きな拍手が起きた。
大きな街に発展させるには、きっと想像以上の課題があるだろう。
しかし俺は、約束を守る男だ。それに、働きづめの生活には慣れている。……そのせいで死んだけど。
「今度、王都を訪ねることにするよ。いろいろとやることがあるんでしょ?」
「ああ。その時は私が案内しよう」
「それって、贔屓みたいにならない?」
「構わん。王都を追放されたら、私はここで暮らす」
フィオナがあっさりと言ったので俺は驚いた。王都を追放されても構わないって……そんなにこの村が気に入ったのかな。
「ありがとう。お言葉に甘えて案内してもらうよ」
◇◇◇
火の消えかけたランプの灯りが、空き家の壁を淡く照らしている。
その中心で、俺とフィオナは向かい合って座っていた。
「……で、貴殿はどうするんだ? 本当にこの村の領主を引き受けるのか?」
「任せたいって言ってくれたんだから、俺はやるよ」
「本当に変わった男だ。何の力も誇示せず、ただ真っ直ぐに人々の上に立つ」
「誇示するほどの力も、ないからさ」
そう笑って返したときだった。
胸の奥が、熱くなった。頭痛がして、視界もぐらぐらと揺れる。
呼吸が浅くなる。体の中心に、何かが流れ込んでくる。
「カイ?」
フィオナが身を乗り出す。
その視界の中で、俺の髪がさらりと揺れた。肩まで届くほどに伸び、色もわずかに深みを増している。
《称号変化──「異界渡りの来訪者」→「村領主」》
《領主資質の覚醒により、スキルが進化します》
《新スキル獲得──「恵みの庭》
──指定した土地に、食用植物や果実、薬草を自在に生やすことができる。
生み出された植物は周囲の土地と調和し、自然に根付いていく。
品質や成長速度は使用者の魔力により大きく左右される。
《新スキル獲得──「透視眼」》
──土地の資源、地形、水脈の流れなどを可視化できる。
人の適正も健康状態も一時的に見ることができる領主限定スキル。
意識の奥底に流れ込む感覚。
スキルの情報が一瞬で頭に流れ込み、全てを使いこなせるような気がした。
「……顔が、変わった。いや、雰囲気が……」
「え? 俺、どうなってる?」
壁際の小さな鏡を覗き込むと、自分の姿に一瞬、言葉を失った。
髪は伸び、目の奥に淡く緑の光が灯っている。身体の輪郭もわずかに締まり、素朴な雰囲気がわずかに変化した。
「領主になると、スキルまで変わるのか?」
「私はスキルを所持していないから分からない。だが、可能性は十分にある。一つ言えることがあるとすれば、貴殿のこの進化はきっと、始まりに過ぎないということだ」
スキルが進化したということは、俺は領主にふさわしい器になることができたのだろうか。
進化内容はまた追々確認していくとして、今はフィオナに相談すべきことがある。
「それで、王都訪問の件なんだけど……」
「領主交代の報告以外に、王都を訪れたい理由は?」
「村のことを考えるほど、限界を感じる。外から知識や人を取り込まないと……いずれ、俺のやり方では壁にぶつかる気がする。だから、王都がどんなものか、自分の目で確かめたい」
正直な気持ちだった。
守るためには、知ることが必要だ。
「グランマリアは、美しく、厳しい街だ」
「……厳しい?」
「表向きは華やかだ。民が五つの層で構成される都市で、都市の中央にはグランマリアの象徴たる『白の王座』がある」
「白の王座?」
「ああ。王都の最高統治者──現在は、『アルディナ=レーベル』陛下。名目上の統治者は彼だが、実際の政治は議会と貴族評議会、それにいくつかの強力な家系が握っている。私が所属している近衛第二騎士団も、王家直属とはいえ、貴族に反発はできない」
「じゃあ……貴族に目をつけられるとまずいってこと?」
「貴殿の存在は既に注目されていると見ていい。私がグランマリアから派遣されたのも、貴殿の力が報告されたからだ。創造の手、そして転移者。貴族どもが黙って見逃すわけがない」
淡々とした語り口だったが、その声には警告の色が含まれていた。
けれど、俺はそれでも行くつもりだ。
「まぁ、村を守るためにはそれも必要だよね。俺は王都に行くよ」
「……貴殿の行動力と肝の据わり方には驚かされる。私も案内で協力させてもらうぞ」
「ああ、ありがとう」
俺はフィオナと握手しようと手を差し出したが、フィオナはそれを拒んだ。
「ごめん、握手は流石に馴れ馴れしかったかな」
「……いや、違う」
「え?」
「……私は、男の手を握ったことがない。これは、軽い気持ちでしていいことなのだろうか?」
本当にずっと騎士団にいるんだな……世間のことを全く知らない。
「これは握手だから。手を繋ぐとはまた話が違う。信頼を確認する行為だよ」
「……そうなのか」
「もしや、フィオナさんって恋愛経験ない?」
「貴殿、段々と調子に乗ってきたな」
フィオナはムッとした顔をする。
俺はその意外な一面に少し心を踊らせながらも、彼女を宿に帰して眠りについた。