0 プロローグ
永劫の時が流れる神々の領域で、一人の女神が唇を噛み締めていた。
運命を司る女神、レイナ。その瞳が映すのは、またしても己を消耗し、尽き果てようとしている一つの魂。彼女が愛してやまない「運命の人」。
「……もう、たくさんです」
白銀の髪を揺らし、彼女は固く誓う。
「優しすぎ、真面目すぎ、そして誰かのために自分を擦り減らす……そんなあなたの魂を、今度こそ私が守り抜く。あの腐った世界から引き剥がし、争いも陰謀も届かない、ただ穏やかな場所へ」
彼女の願いは、愛しい人の「スローライフ」。
だが、そのために彼女が用意した力は、世界の理すら歪めるほどに過保護で、あまりに強大だった。
女神はまだ知らない。その大きすぎる愛こそが、彼を最もスローライフから遠ざける嵐の目になることを。
◇◇◇
時を同じくして、地上。
大陸の覇権を狙うバルディア帝国では、若き皇子が遊戯に飽いたように玉座で頬杖をついていた。
「グランマリアは熟しすぎた果実。内から腐り落ちるを待つまでもない。もっと何か、我々を楽しませてくれる奴は現れないのか……?」
彼の足元には、大陸地図が広げられている。その指先が、グランマリアの隣、名もなき辺境の地をなぞる。
◇◇◇
一方、王都グランマリア。
国王は、玉座の間で深くため息をついていた。
帝国の脅威は日に日に増してているというのに、足元の貴族評議会は利権争いに明け暮れ、国は停滞の泥沼に片足を突っ込んでいる。
「この淀んだ空気を吹き飛ばす、新たな風はどこにいる……」
現状を打破する一手。腐敗を打ち破る起爆剤。
王は、まだ見ぬ希望の到来を、心の何処かで待ち望んでいた。
神の愛、帝国の野心、王の苦悩。
それぞれの思惑が複雑に絡み合うこの世界。
その片隅、やがて一人の男が転生を果たす、忘れ去られた辺境の地ではただ静かな風が吹いている。
この地に舞い降りる魂が、やがて大陸全土を揺るがす巨大な渦の中心となることを、まだ誰も知る者はいない。
これは、ただ「のんびりしたい」と願っただけの男が、女神の過保護と世界の思惑に翻弄されながら、図らずも歴史を創ってしまう物語の、序章である。