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第1話 宅配司書と作家志望 ④

 庭に零れんばかりに咲いたジャスミンの香りが室内に漂ってくる。

 ここは二階であるというのに。亜熱帯に咲き誇る生命の力強さに感じ入ってしまう。



 四月の半ば。あてがわれたホテルの豪奢な客室で、ラヴェンナは暇を持て余していた。

 面会の日から数日、顧客であるプリメリアは、自ら注文した宅配司書に関して我関せずを貫いている。

 彼女がラヴェンナに言い置いていったのはただ一言、本が集まったら知らせてほしいというだけ。

 後は好きにしていいと放置状態だ。

 庭を散歩したり、のんびりハンモックに揺られたり、大手観光グループ社長の令嬢らしくプルメリア自身も好きなように生活しているように見える。

 気になることと言えば――ハンモックに揺られてたまに本を読んでいる。



 難解な書物を、睨むように。

 息を吐き、ラヴェンナは手元にある『クリスマス・キャロル』を投げ出す。 

 常夏の島で真冬のロンドンの物語。現実逃避にはもってこいだが。

 いつまでもこうしてはいられないのは無論、ラヴェンナもわかっている。

 どんなに懇切丁寧な応対を心がけても、依頼した本と違うとごねられたり、怒鳴られたり、問題行動が見られる客はたくさんいる。

 その点プルメリアは応対に難くはないゲストである。

 依頼も極めてざっくりとしているが明確だ。

 それでも。

 ラヴェンナが顔を上げると、ウィスタリアの瞳に光がくすぶり底がワイン入りカクテルのグラスの底のようなガーネットになる。



 ウィスタリア私立図書館に依頼した本が届くのは今日だ。

 言われるがまま、英語やフランス語の書物が分野を問わず大量に送られてくる。

そうなれば依頼は完遂だ。ラヴェンナはここを辞すことになる。

 そう考えるといつしか唇を噛んでいる。

 だが果たして、それでいいのか。



「ふぅ」

 ラヴェンナが端正な外見に似合わぬどこか間の抜けた吐息を落とした時、


「ラヴィ」


 真鍮を揺らす二度のノックとともに聞き覚えのある声がした。

 立ち上がり戸を開けると、予測していた人物が職務上の礼をする。

 この場には内内の二人しかいないのに生真面目な所作が彼らしく、そのことがラヴェンナを破顔させた。

「ワット。待っていました」



 ロイヤルブルーのジャケットに、両膝に大ぶりのポケットがついた作業用ズボン。ラセットブラウンの瞳と同じ色の猫っ毛が覗くハンチング帽にはラヴェンナの襟元のものと同じ、藤の花に囲まれたウィスタリア図書館のバッジがついている。

ワイアット・ブリューは、両手いっぱいに大きな段ボールを持ち、その上両脇に荷台を従えていた。それぞれの上にもこれでもかというほど茶色の箱が積み上がっている。



「依頼があった本だ。どこに運ぶ?」

 言い終わらぬうちに難なく片手でもう一つの箱を持ち上げる所作には無駄がない。澄ました表情と華奢な見た目に反して相当な怪力の持ち主と見える。

ラヴェンナより一つ年上の青年だ。

 ウィスタリア私立図書館で運転手をしている。司書たちを各地へ送るほか、移動図書館業務や別の図書館との相互貸借の際にも重宝する従業員である。

「そうですね。では、奥の書棚に」

ラヴェンナにあてがわれた部屋は二つ続きになっていて、奥には書棚がぎっしり詰まっている部屋がある。

ラヴェンナが手伝おうと手を伸ばすと、

「……僕の仕事だ」

別段不満げでもない無表情で、遮られた。

「ワット」

 同じく感情を交えぬ指摘を、ラヴェンナも繰り出す。

「その台詞を言う時は、『女性に荷物を運ばせるわけにはいきません』という表現に変えなさいと、社長がおっしゃっていました」

 ぴんと立てたラヴェンナの指はそのまま顎の先に移行する。

「わたしにも理由はよくわかりませんが。指示は正確に実行しなければ」

「……忘れてたわけじゃない」

かすかに顔を赤らめぼそりと呟くと、ワットは無言で仕事を再開した。



 驚くべき速度で段ボールを運び入れ、次々に本を棚に移行させながら、ワットはその口も業務に使用する。

「現地での生活環境、業務遂行にあたっての支障は?」

「ありません」

 きっぱりと答え、ラヴェンナは微笑んだ。

「心配いりませんとこのアクションつきで、社長にお伝えください!」

 どんっと胸を叩くと、ワットが初めて棚から振り返って無言でこちらを見た。

「ワット?」

 首を傾げるラヴェンナを一瞥し、一度首肯すると、ワットは作業に戻ってしまう。

 ラヴェンナは苦笑し、自身もソファに座りひとまずプルメリアに渡す本の選定を始める。

 英語の本ざっくり、という選定のしようのない依頼ではあるのだけれども。



「ご苦労様でした」

 作業が済み、豪奢な扉の前に再び立ったワットにラヴェンナが礼をする。

 仕事はできるが感情の機微を読み取りづらい青年は頷き、踵を返す。

 ラヴェンナも扉を閉め――ようとして、途中で止めた。

 後ろを向いたはずのワットが再びこちらを向いたのだ。

「へ?」

 ――今、一回転しました?

 時々思い出したように天然な仕草を披露する青年は、生真面目な顔のまま言を継ぐ。



「社長から伝言。そのまま伝える」

「え……?」



 すぅっと、彼は息吸った。



「『ラヴェンナさん、滞りはないですか。心配事があれば連絡を』、とのことだ」



 ワットは今度こそくるりと踵を返し――。

「異国での仕事は想像以上に心身に負荷を与える。負荷を単身に押し留めることは、ひいては業務の停滞につながる。よって、僕も社長に賛成する」

 背中越しに放たれた言葉に思わず、じわりときそうになる。

 ウィスタリア私立図書館。

 そこは職場ではあるけれどたしかに、自分は守られている。

 目尻からりから一粒の雫を弾き、ラヴェンナは笑った。

「ありがとう。ワット」

 顔を背け同僚は西洋の地へと帰っていく。

 俯き斜めになって下半分だけ見えた口元が少し微笑んだ気がした。


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