7話:いつも通りの朝〜夫の変化〜
お待たせしました。二章の連載を始めます。
数日前の出来事は、夢だったのかもしれない。
窓の外に白く雪が積もった朝、メリルリアはダイニングテーブルに並ぶ温かい食事を見て思った。
「おはよう、メリルリア」
視界には、穏やかに微笑むルディオール。
何と言うことはない、いつもと同じ毎朝の風景だ。
「おはようございます、旦那様」
「メリルリア。この後、少し時間を貰えないか?」
「はい、承知しました」
メリルリアは、にこりと愛想笑いをうかべ、スプーンを手にとりクリーミーなコーンスープを掬った。
クリスマスの翌日、ルディオールに告白された。
名残惜しそうに「執務があるから」と渋々リビングを出ていった真面目なルディオールを見送ってから、メリルリアは一人、私室に籠もった。
気持ちの整理がつかず、ルディオールと顔を合わせることに対しても、食事をすることに対しても気が乗らず、その結果、嫁いできてから初めて、食欲がないから夕食はいらないとマリーに伝えた。
マリーがそれをどう受け止めたのかは分からないし、周りからなにかを聞いたのかもしれないが、夕食の時間には再度声がかかり、軽食が乗ったワゴンをドアの前に置いておくと言われた。
その夜、もしかしてルディオールが夫婦の寝室またはメリルリアの部屋に来るかもしれないとメリルリアは心の何処かで思っていたのが、それは杞憂に終わる。
夫婦の寝室へ来るようにという言伝が届くことはなく、メリルリアの部屋にルディオールが現れることもなかった。
ただ静かに、一人の夜は更けていった。
メリルリアはほっとした一方で、少し残念な気もしていた。
そして、そんな自分に動揺し、胸がざわざわして落ち着かなかった。
しかし翌朝には、いつもと同じ風景――つまり、今この瞬間と同じ状況が目の前にあったのだった。
朝食を食べ終え、紅茶が出てきたタイミングで、ルディオールが口を開いた。
「先ほどの件なのだが、来年の春、一緒に王都へ行ってくれないか」
「王都、ですか?」
「ああ。王宮での任を解かれた時、陛下と王太子殿下にご挨拶へ伺ったんだが、そのうち夜会の招待状を送るから、夫婦で参加するようにと言われていたんだ。
しかし、まさか本気だとは思わなかった。昨日、正式に招待状が届いた」
「なるほど。それは断れませんね」
「そうだな。王族からの誘いを断るのは、基本的に難しい。ただ、此処は王都からかなり遠いから、天候とか、体調とか、まぁ適当に断ることはできると思う。
しかし、今回は事前に陛下から直々に声をかけられていたこともあり、余程のことがない限りは出席の一択だと思う」
「承知しました」
「王都には1週間ほどの滞在を予定しているが、寄り道無しでも片道で半月近くかかる。
行きは真っ直ぐ王都へ向かうが、帰りは、通り道にある街や辺境伯領内の観光地を経由しながら、一月ほどかけてゆっくり帰ろうと思うが、どうだろうか」
「楽しそうですね」
「ああ。新婚旅行を、と思ってだな」
「!?」
「いや、まぁその、視察も兼ねてはいるのだが……」
少々緊張気味かつ照れ臭そうに言うルディオールに、メリルリアはぽかんとした。
そして、くすぐったそうに顔を綻ばせて礼を述べた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「!そうか。遅くなってすまない」
「いえ、期待していなかったので」
「……それはそれで、すまない」
「ふふ。はい」
遠慮なく毒を吐きつつも嬉しそうなメリルリアに、ルディオールはほっとした。
「それから、夜会のドレスなのだが、近い内にデザイナーを呼ぼうと思うが構わないか?採寸や生地選び、あと、デザインの相談をしようと思う」
「はい。……え?生地とデザイン」
「そうだ。まだ時間はあるから、フルオーダーしよう」
「!」
「結婚式は、君やヴィンスに任せっぱなしだった。
しかし、私も妻を……その、好きな人を、着飾らせてみたくなったんだ」
つつ、と視線をそらすルディオールは気まずそうで、心なしか顔が赤い。
メリルリアはまたしてもぽかんとして、その後、つられてかあっと頬を染めた。
二人の間に、甘酸っぱい沈黙が訪れる。
「今更、迷惑か?もし迷惑なら、ドレスは君とマリーの二人で選んでくれて構わない」
「いいえ!迷惑だなんて思いません。旦那様と一緒に選びたいです」
バツが悪そうなルディオールの台詞を聞き終わるや否や、メリルリアはきっぱりと言い切った。
「よし。なるべく早く呼ぼう」
ルディオールは、メリルリアの台詞でテンションが上がったらしい。一気に明るい表情になった。
一方のメリルリアは、しゅわ、と音が出そうなくらい赤くなった。恥ずかしい。でも、何だかくすぐったくて嬉しい。
「あの、ですが、フルオーダーはちょっと贅沢かなと思います。普通に既製品かセミオーダーくらいでいかがでしょうか」
「いいんだ。私の個人資産でオーダーするから全く問題ない。それにこの先、恐らく税収は増える」
「……?税率をあげるご予定が?」
「それはない。君が来てくれてから、領地経営により集中できるようになっただけだ。課題を解決すれば民が富み、税収も増える。それだけだ」
「それは良かったです」
「君が一緒に執務をしてくれるおかげだ。ありがとう、メリルリア」
にこりと微笑んだルディオールに、メリルリアは、胸がきゅんとした。
ルディオールは、そもそも整った顔立ちをしている。
無愛想かつ体が大きくて筋肉が沢山ついているため少々怖そうには見えるが、ちょっと不器用な点を除けば、基本的に真面目で賢くて優しく、年頃の貴族子女から見れば優良物件に違いなかった。
このように素敵で立派な人が、私のことを好きだというのは本当だろうか。
ルディオールの告白は、そのまま信じてしまってもいいのだろうか。
メリルリアは不意にそんなことを思って、ルディオールをじっと見つめた。
切なげなその表情に、ルディオールが目ざとく気付く。
「どうした?」
「なんでもありません。その、あまりそういう旦那様の顔を見たことがなくて、緊張して動悸が……」
「……そうか」
恐らく、メリルリアのそれは、ときめきとか胸の高鳴りとか、そういう類のものだった。
ルディオールは、色恋沙汰に明るい訳では無い。しかし、どうしようもない鈍感というわけでもないため、流石にそういう類のものではないかと気付く。
しかし、そこで気安く指摘はせず、照れ臭そうに頷くだけにとどめた。
その頃、広いダイニングの壁際で控えていたヴィンス、マリー、そして給仕の侍女は、全力で聞き耳を立てていた。
何も見ていません、聞いていません、というスンとした顔で、皆、立っている。
しかし内心は、赤くなったり青くなったりしながら、二人の行く末を見守っていた。
「ヴィンス!今日にでも、辺境伯領一のデザイナーに連絡してみてくれ」
よって、甘酸っぱすぎる空気の中、ルディオールがヴィンスに声をかけた時、よしきた!!と全員が心でガッツポーズを決めていたのは言うまでもない。
「かしこまりました。宝石商も呼びますか?」
「そうだな。そうしよう」
「かしこまりました」
ヴィンスはしれっと返事をしつつ、内心、喜びの涙を流していた。
「マリー。ドレス選びの日は、君も予定を開けておいてほしい」
「はい喜んでぇ!」
マリーはマリーで、謎のハイテンションで居酒屋風の返事になる。
怪訝そうな顔をしたルディオールに、マリーはハッとして、慌ててスンとした顔になった。
「失礼致しました。かしこまりました」
残りの使用人達は、ぷるぷるしそうになりながら笑いを堪えた。
この数日後、デザイナーが沢山の生地、デザイン集、ドレスのサンプルを、宝石商が沢山のアクセサリーや加工前の宝石を、それぞれわんさか持参して、屋敷にやって来る。
広い応接間に並べられた色とりどりのそれらを眺め、ルディオールとメリルリアは、二人揃ってうんうん悩むことになるのだった。