43話 鴨志田の過去
「希美さん。蓮とは仲良くやってるの?」
どうにか、できる彼女を演じ切るしかなさそうだ。
「は、はい! 清く正しく健全なお付き合いをさせてもらってます!」
「うふふ、それはよかった。あの子、素直じゃないから分かりにくいけど、いい子だから、見捨てないであげてね」
「そ、そんな、私が捨てられないかなってくらいで」
夫人は、希美の小皿に肉や野菜をバランスよくよそってくれる。
「蓮にとっては、あなたが初めての彼女だから。ま、我慢できなくなったら、その時はスカッと振ってやりなさい」
皿を渡してくれながら、彼女は悪戯っぽく笑った。
意外な話だった。
希美は、年上に混じって世間話を交わす鴨志田を見る。
あれだけ外面がよければ、数十人は誑し込んでいてもおかしくないのに。
まぁ鴨志田の場合、人間関係さえ面倒がりそうではあるが。
さすがに夫人の手前、欲望のまま肉に食らいつくわけにはいかない。
お淑やかにと、まず、ほうれん草のお浸しをいただく。茹で加減が絶妙で、しゃくしゃくした音も、歯触りも抜群によかった。
けれど、もっとも印象に残ったのはその後味だ。。
「コクがありますね、このお醤油」
「さすが蓮の彼女ね。これは再仕込み醤油を使ってるんです。ちょっと普通より熟成期間が長いんです。うちの人が料理人だった頃のお気に入りなの」
どうりで旨味が強いわけだ。そして、こだわりが伝わってくる。
そこから話は、にわかに料理談義へと展開した。
おかげさまで緊張がほぐれてくると、気になり始めたことがあった。
「そういえば、息子さんでもあるんですよね? 孫養子だって聞いてます」
「えぇ、そうよ。でも税金対策じゃないの。あの子の両親は、幼い頃に交通事故で早死にしちゃったから、うちの人が引き取ったんです」
「えっ、あの、すいません……」
「蓮ってば話してなかったのね。いいのよ、そんなの。あなたは蓮の大事な子なんだからむしろ知っててほしいくらい」
そもそも、それが嘘なのだ。
いよいよ見破られるわけにはいかなくなった。
希美はきゅっと肩をすぼめ、真っ赤な絹の袖を、さすがに控えめに握る。
聞いていいのかと言う葛藤はあったが、気にならないわけがなかった。
「亡くなったのは蓮が七歳の頃よ。だから蓮にとっては、私たちが親みたいなものね。でも、うまく親をできてたかって言われたら、どうなのかしら。時期の問題もあったから」
「……なにか問題が?」
「息子を亡くした夫は、身を粉にして仕事に打ち込むようになってね。そこで支店経営を始める案が持ち上がって、毎日深夜まで仕事にかかりきり。私もその頃は現場に出てたから。蓮は一人でお留守番ってことが多かったの」
ぽつんと、リビングに座る鴨志田少年が希美の脳裏に浮かぶ。
親を失って、迎えられた家でも一人。
年老いた父と子のやりとりは、たまの『天天』での食事会くらいだったと言う。
「放っておいたら、クッキーばっかり食べてねぇ。今思えば、そうして寂しさを紛らしてたのかもしれないわね」
その姿は、今も変わっていない。
彼から漂う謎の哀愁は、そんな過去の孤独が原点にあったのだろうか。
夫人は、過ぎた日々を悼むように声を詰める。
「それから店はどんどん大きくなって、私は引退したけど……。もうその頃には、蓮は大人になってた。頭だけよくなって、捻くれちゃったままね。大学生になったら、あっさり家をでていっちゃった。もう帰ってこないかと思ったわ」
鴨志田は仕送りをも拒んだのだと言う。
だが、会長が「孫が貧乏だと印象が悪い」と無理にでも送りつけたので、大学時代には口座を通してのやりとりだけが続いたそう。
「あれ、でも今は……」
「うん。社会人になる頃に、急に顔を出してね。ダッグダイニングで働くって」
「なんのきっかけもなく、ですか」
「そうなの、意外だったわ。蓮ったら、変に打算的なところがあるから、その方が楽だと思ったのかしらね」
「たしかに、かなり手抜きがちではありますけど……」
「でしょう? それを分かってかはしらないけど、うちの人も一つ返事で認めたの。勝手にすればいいって」
「優しさ、なんでしょうか」
罪滅ぼしかとも思ったが、口にするのは憚られた。
「ううん。経営者として跡取りがいるってところは見せないとダメだから、だそうよ」
実際は、より酷なものだった。
その言い方では、まるで道具扱いだ。
鴨志田が『会長』と呼ぶ理由が分かったかもしれない。彼にとっても、あくまで雇い主でしかないわけだ。
「あの人、昔気質ではあるけど、いい旦那なのよ。でも蓮に対してはいつも厳しいの。経営者と親、二つの道を一緒には歩けなかったのかしらね」
夫人は、物憂げにお猪口をくいっと煽る。
どうもお酒に弱いのは家系のようだ。
少し時間が経つと、目が真っ赤に充血していた。
「ごめんなさいね、あなたが来てくれたのが嬉しくて、つい飲みすぎちゃったわ。ホスト側なのによくないわね」
夫人はまったりと机に伏せる。希美は、その肘が届かないだろう範囲に、お冷やを置いた。
「希美さんが優しい子で安心したわ。蓮は、お金だけはある、いびつな環境で育ってきたから。早く人並みの幸せを掴んで欲しかったの」
母としての愛が零れる。
けれど、希美は本当の彼女ではない。
心が痛んで、白状しようかと思いかけるが、夫人はもう立ち上がっていた。会長のそばまでいくと、二言三言交わして、居間を後にする。部屋で休むつもりなのだろう。
入れ替わりに、鴨志田が希美の元へとやってきた。
「そろそろいくぞ、後輩」
「えーっと……?」
「なんのためにここに来たんだ。会長を説得するためだろ」
そうだった、と希美は手を打った。
代役彼女は、あくまでもついでだった。話が濃かっただけに、てっきり本題だと思いかけていた。
会長は、常に周りを参加者に囲まれていた。彼も、妻と同じくほろ酔い加減のようだ。
大口を開けて笑っている。
「会長は酒が入ると陽気になる。仏頂面の時よかチャンスありそうだろ?」
「……鴨志田さんらしい作戦です」
こすいとも思ったが、さっきの話を思えば、そうとも言い切れなかった。
親子でなく、一社員として経営者と対峙するなら、相手に隙がある方がいい。
結果、門前払いを食らうだけだったのだが。




