33話 評価が上がりすぎてストップ高?
七
部長会での承認が下りたのは、生放送での撮影が行われる前日、昼頃だった。
仲川からは、希美宛てに電話での報告があった。
こちらの進捗も問題ない旨を伝えると、次の仕事の指示だけがあって、あっさり切られてしまう。
「労いの言葉一つかけられないのかねぇ、あの人は」
「自分だけは余裕って感じなのも腹立つ~」
ちょうど調理手順の最終確認が済んで、余った水まんじゅうやアイスなどをそれぞれしまったところだった。
キッチン内、希美の横で様子を見守っていた直属の部下たちからは、こんな不満の声が上がっていた。
ただ、かなりの苦戦を強いられたのは間違いない。
「他の部長陣からも快くは思われてなかったからねぇ。ここぞとばかりに日頃の反撃を受けてるよ、彼」
昨日、定時すぎに執務室へ戻ってきた早川部長が、疲弊しきった顔でこう振り返っていた。六日間、必死で説得を続けて、ようやく勝ち取った結果なのだろう。
「少しは頑張ってる姿見せれば、嫌われなさそうなのに」
希美は、意見を一つに寄り固まる彼らを眺めて呟く。
恵子は、その中に埋れそうになりながら苦笑いを浮かべていた。
混じっていなかったのは、希美を除けば一人だけだ。
「きっと、あいつなりの考えがあるんだよ。たぶんな」
鴨志田が、いかにも雑に言い放つ。
「……どんなですか?」
「ほら見てみろよ、こいつら。仲川憎しで一致団結してる。あれだけ纏まってりゃ、いいチームワークを見せてくれるだろうよ」
「そんな無茶苦茶な。自分から進んで標的になってるとでも?」
一応理由にはなっているが、かなり捻くれている。
それならば、単にいいリーダーの方がよかろう。常に和やかで、部下への気遣いにも優れていて……。そんな仲川は、どうしても想像しえなかったのだけど。
「真相は知らねぇけどな。もしかしたら単に、雑務は自分の仕事じゃないと思ってるだけかもしれない」
鴨志田はわざとらしく、声量を大きくした。
部員たちの耳にも当然届いて、愚痴の渦がさらに苛烈さを増す。
「……やっぱり鴨志田さん、仲川部長のこと嫌いなんじゃ」
「どうとも思ってないっつの。ただ利用したいだけだ」
表情を変えないまま、ポケットからいつものごとくクッキーを取り出した。
一つを齧ってから手を叩く。
「見せ返しましょう、結果で。これも立派に仕事です」
部員たちは意地になったようで、鴨志田が始めた業務説明に、前のめりで耳を傾けていた。外面よく、一級品の笑顔が交えられる。
恵子など女性社員の中には、うっとりした顔で見つめる者もいたが、
「鴨志田さん、自分の株あげようとしてませんか」
希美にはこすい魂胆が見え透いた。鴨志田は、くくっと笑いを噛み殺す。
「残念だったな、後輩。俺の株なんて上がりようがないんだよ。もちろんストップ高でな」
「うちの中で下げ止まりやっ!」
ついツッコミを発動してしまう。
大きく開いた口に、クッキーが押し込まれた。もごもごやっていると、
「しょうもないこと言ってないで、ほら行くぞ。俺たちは生放送やる店に、企画の変更を伝えにいくんだ。時間がかかるかもしれない」
物を言えぬうちに腕を引いていかれた。
その店『イタリアンレストラン・フィオーレ』は、都心から京王線で西へ四十分、吉祥寺の駅近ビルの二階にあった。
生放送を実施する拠点に選ばれるだけのことはある。もうランチも終わり際だというのに、外の長椅子はすべて埋まっていた。
ひと段落着いた頃を狙って、店長と面会させてもらう。
本部への抗議を示すため、テレビを追い返そうとまで画策している店舗だ。説得に苦労するだろうと思っていたが、
「いやぁ、不評だとは聞いていましたが、まさか商品の変更までしてくれるなんて」
意外や初めから好意的な態度だった。
フェアの切り替えにあたって必要な作業や、レシピ、明日の売り文句などを二人して伝える。
文句も質問も一つとして出ないまま、
「夜の仕込みが忙しいので、これで失礼します。本当助かりました」
話はお開きとなった。店の外へと出てくる。次に見る頃には日が暮れているとさえ踏んでいたが、五月晴れの青空は健在だった。
「カロリー消費ゼロって感じだったな」
「……手応えがないです。本当にボイコットしようと思ってたんですかね?」
「さぁ? 聞ける話でもないんだ。気にしない方がいいさ。どうせ俺たちにできるのはここまでだ。よし、帰るか、家に」
鴨志田は、ふらっと駅とは反対方向へ歩き出さんとする。油断も隙もあったものじゃない。希美は、そのスーツの裾をひっ捕らえる。行きとは逆に、希美が連れていく番だった。
「……まだこんな時間です。会社に、帰りましょう! カロリー消費ゼロなんですよね」
「トータルでは、もう限界だ。五百超えたら活動停止」
「普通に生きてたら優に四倍は超えてますから、それ! 大体、こんな高級住宅街のどこにいくんですか。不審者で捕まりますよ」
「あのな、ここに家があるんだっつの」
「いやいや、そんなくだらない冗談はいいんですよ」
「本当だ。なんならくるか?」
鴨志田は懐からキーケースを取り出し、クルクルと回す。
いやいや、まさか。
希美は笑い飛ばそうとするのだが、彼の纏うスーツやアクセサリーに、目が留まった。そこまでありえない話でもないのかもしれない。思い至ったところで、気づいた。口車に乗りかけている。
「……いいから電車乗りますよ」
「部長には直帰するかもって言ってある。せっかくこんな幸運に恵まれたんだぞ?」
この人のオンオフの切り替えは、本当に突然だ。




