3話 謎めいたイケメンは、さぼり魔。
「俺の席はえっと、君の横?」
「あ、はい! 私、木原希美です!」
「木原さんね。りょーかい」
サボりクセのある、謎イケメン。
割れに割れた意見を総合すると、彼の人物像はそんなところだった。見た目はいいが、常に気力がなく、かつ人付き合いも悪いのだそうだ。
……たしかに問題を抱えた人しかいない。
そう思って、はたと気づいた。
あれ? もしかしたら自分も問題児扱いされているのでは、と。希美は前部署での自分の働きぶりを振り返り、少し首を捻る。
たしかに上司からの評価は芳しくなかった。
理由は明白で、評価シートにもはっきり書かれた。
「もう少し落ち着こう」、「ご飯以外のことも考えよう」と。
まるで小学校の通知表のような書き振りである。
希美自身、忙しない人間だとは承知していた。
基本的にデスクにべったり、アルマジロのごとく背中を丸め、伝票と睨めっこな財務課に合ってるかといえば、合っていなかった。そういう意味では、転部はいい機会だ。
しかし、希美以外の人はそうは思っていないらしい。
「厄介な部署に入れられたわ。最悪よね、ほんと」
佐野課長が拗ねたように言う。早川部長が、まぁまぁとそれを取りなした。
「日当たりも悪くないし、ガジュマルにはありがたいさ」
二人とも、あからさまにやる気に欠けている様子だった。希美は、少しムッとしてしまって、同時不安になった。
「店舗円滑化推進部って要は、スーパーバイザーのお仕事ですよね?」
誰にともなく、改めて確かめる。
スーパーバイザー、SVと訳されるその職業は、いわば複数店舗の管理者であり共同責任者だ。
一般に、経営面や営業面のサポートを行うとともに本部とのパイプ役を担う。
ダッグダイニングは、春にオープンした店も含み、三十近い実店舗を持つ飲食経営会社。
この機に、本部と実店舗、さらには本部内の部署間において、コミュニケーション強化をはかるため、架け橋とさせるべく『店舗円滑化推進部』を立ち上げた。
そして新部署の直近目標は、初の試みとなる本部直営店舗のオープンである。もう計画は進んでいて、その統括を各部署から引き継ぐ形となる。
そう、事前の打ち合わせでは立派な開設の意義を聞かされていた。
その席で、希美は人知れず興奮したものだ。料理に、最前線で携わることができると。
「一応はな。でも、それはあくまで形式的な話だよ」
答えてくれたのは、それまで黙っていた鴨志田だった。
手帳をしまうとチェアをくるりと回し、PCに背を向ける。
立ち尽くしたままの希美の方に力ない視線をくれた。
いつのまにか、その指にはクッキーが挟まれている。チョコチップ入りのプレーンだ。
「形式的? どうしてそんなことが分かるんですか」
「そもそも、直営店の運営やらスーパーバイザーの設置やらは、上層部が言い出した話だろう。もちろん新部署の立ち上げもそうだ。事務局は元から乗り気じゃなかった。なにせ人は増やせないってのに、新部署は作れって言うんだから。
そのくせ、どうにか人を集めろ、ってもはや徴兵。どこも前向きにはなれないだろ。それにさ、考えてもみろよ」
「な、なにをですか」
「本気で新しい部署作るなら、もっと事前に打ち合わせもしてる。四人じゃ手に負えないだろ、本来。メンバーだってもっと厳選してる。現場で経験積んだ人を集めるだろうよ」
「じゃあなんですか。鴨志田さんは、この部署は上の機嫌伺いのために作られた……と?」
「そう思って間違いないだろうな。面倒ごとを押し付けるには最適な部署ってわけ」
鴨志田は、暗唱でもするように、厄介ごとを列挙する。店舗での事故対応や釣り銭用の小銭確認などなど。
「そんなぁ~、それだけ?」
まだ続きそうな気配があったが、名前のごとく、希望たっぷりで今日を迎えた希美を失望させるには、もう十分だった。
「なんだ、そんなにやりたかったのか。スーパーバイザー」
「というより、料理に関わりたいんです、私。とにかく直接! ……知ってますか? 人がご飯を食べる回数って、一日三回として、一生にだいたい九万回なんです!」
あぁそうなの、それで? 的な雰囲気が、狭い勤務室を満たしていく。
舌が滑っている自覚はあったが、止まらない。
「めっちゃ少ないですよね、こう聞くと。一生に九万回しかないご飯の時間。ご飯屋さんは、ランチだろうがディナーだろうが、その貴重な一回分を預かるんです。だったら、とびきりのご飯を提供して、笑顔で帰ってもらいたいじゃないですか!」
物心ついた頃からずっと積み上げてきた愛の丈全てを、短い中に詰め込んだ。熱量はかなり高いはず。
しかし、どういうわけか相変わらず空気は冷め切っていた。はらったはずの埃が、ふわふわ漂うのが見える。
「……だったら、ここ辞めてその辺の居酒屋でも勤めれば?」
荷物の整理に手を動かしながら、佐野課長が口を挟む。
早川部長や鴨志田に対する態度とは違って、あからさまに見下されている感じがして快くない。
「それはできないんです。私、どへたなので……。包丁も使えなくて」
「定食屋の娘なのに?」
鴨志田がクッキーを咥えつつ、希美のデスクを見て言った。
その視線の先、置いてあるのは木枠でできたフォートフレームだ。薄いガラスの奥には、両親、妹と家族四人で撮った写真が収めてある。背景に、その店が映っていた。
軒先のテントには『町食堂・木原』と銘打ってあった。
『近畿一うまい!』なんて誇大な売り文句とともにだ。
「あいにく、近畿一うまい料理は作れないんです。でも、だからこそ! 私はここで料理に関わるんです! 関東一うまいご飯、みんなで作りましょう!」
希美はスカートのウエスト部分で、袖を握る。それから、右手をぐんと高く突き上げた。
気分は上昇気流に乗りかけていたのだが、振りみれば誰もついてきていない。唯一のコメントは、鴨志田の苦し紛れの褒め言葉だった。
「……まぁその時計は格好いいんじゃない?」
「そんなことどうだっていいんです! どうせ、鴨志田さんにとったら安物ですよ」
憤慨して、希美は右腕につけたGショックを握った。
水にも衝撃にも強く、そして見やすい。そそっかしい希美にとっての三種の神器的なアイテムだ。だが、今はどうでもいい。
深呼吸をしてからデスクにつく。部署が希望していたものより残念そうだということは分かったが、なにはともあれ仕事である。