17話 よくやったんじゃないか。
今日、金町で宣伝をすることは、町案内のお礼とともに事前に伝えてあった。来てくれるだけでもありがたいのに、同僚の方々をも連れてきてくれたともなれば、感無量である。
つい抱きしめると、春香は希美の肩を叩いて、ギブアップを表す。
「ほな、さっそくお店行ってもえぇ?」
「もちろん! では、案内しますね!」
希美は、ご一行を店舗まで誘導した。
玄関口で、お客様いらっしゃいました! と、声を張り上げる。すると、
「いらっしゃいませ!」
息の合った挨拶が返ってくる。
「希美、にやけてるよ」
「し、仕方ないやん! 嬉しいんやもん」
希美はわざと、きりっとした顔を作って見せた。けれど、
「へぇ。ま、たしかにあんだけ格好いい人が先輩なら嬉しいわな。やっぱりおるやん!」
春香が悪戯っぽい声でこう囁くので、すぐに崩れた。
ない、ない。
みんな鴨志田に夢を見過ぎなのだ。職場でクッキーを貪り食う姿を見ればなんていうか。
下手に突っ込まれたくない。
感想教えてね、とだけ押しつけ、希美はまた宣伝へ戻った。
そこからも順調に客足は増え続け、ランチタイムの終わった午後二時半。希美にとっての二度目の合格発表は、またしても阪口の顔で分かった。ぱっと見の「黙して語る職人」といった印象とは違い、分かりやすい。
「売上ですが、いつもの五倍になりました。本当に、ありがとうございます」
希美は快哉をあげたくなって、目をぎゅっと瞑る。開けたところで、鴨志田の目が「絶対するな」「無駄なカロリーが」と釘を刺すかのごとくしかめられるのを見た。
希美も社会人である。一度はやめようかと思うのだが、
「やったーーー!!」
結局Vサインを掲げた。
鴨志田は、うるさいと肩を小突いてくる。そのやりとりを見て、阪口はくすっと吹き出していた。
「好きなだけ騒いでください。ほんと、なにからなにまで木原さんのおかげですから」
「そんな。ここのご飯が美味しいからですよ!」
「いやいや、それも慢心だったんです。出汁の風味のこと、昨日、あなたに言われなければ気づかなかった」
「……すいません、直前に味の調整なんてお願いしてしまって」
思い返せば、かなり失礼だ。『はれるや』にとって心臓たる、出汁に突然ケチをつけたのだから。
『味が薄い』、と。
ただ、それがリピートを阻んでいる可能性は高かった。京都出身の阪口や、希美にとってちょうどいい塩梅の味は、ここ関東では薄味になってしまう。
その証拠に、卓上の調味料の中で、醤油ボトルの減りだけが、やけに早かったのだ。
「ご指摘いただき、ありがとうございました。……それから、まだ感謝しなくてはいけないことがあります」
「えっ私、他にもなにかしましたか」
「はい。……また食べたい、とそう言ってくださいました。だから、諦めたくないと思えたんです。やっぱり誰かの笑顔のために料理を作り続けたい、と」
阪口は、柔和な笑みを浮かべる。
伝わっていてよかった。希美が心をいっぱいにしていると、彼はゆっくりと腰を上げた。
「お腹が空いたでしょう? ご馳走させてください」
言葉の礼なんて不要なくらいの、素晴らしいランチになった。
なんとなく帰りがたい中、惜しみつつ店を後にする。
「これで売上が軌道に乗ってくれればいいんですけど」
希美は最後、表札を振り返った。店の中からは、笑い声が漏れ出している。
「まぁあの雰囲気ならそこまで心配しなくとも大丈夫だろうよ。本当に閉店目前の店ってのは、空気からして淀んでるからな」
それはそれとして、と鴨志田が話を切り替える。
「後輩、もう少しエコに生きたらどうだ。見てるだけで俺の生気まですり減る」
「余計なお世話ですよ。どうせ私は二十年ものの軽自動車です」
「いい例えだな、よく言い表せてる。…………まぁその、なんだ。とりあえずお疲れ様。よくやったんじゃないか」
「えぇと……?」
不意に、ぽんと頭に手が置かれる。
くしゃっと髪を丸められて、最後に一つ撫でられた。褒められたと分かるまで、五秒弱を要した。
鴨志田は、希美のリアクションなど気にしていないようだ。先々行って、商店街の人波へ紛れていく。
「なんなんですか。待ってくださいよ!」
ほんのり頬が熱くなっていたが、認めたくなかった。
それもこれも、春香が変なこと言うせいだ。一瞬、鴨志田の背中が男らしく見えたのも、きっとそのせいに違いない。
自分にそう言い聞かせてから、希美はその影を追った。




