16話 炎上鎮静化は力技。
「ありがとうございます! お話は、制服についてです。今は、ホールと厨房で別の服を着ていますが、統一しませんか。その方がお客様に店のイメージを掴んでもらいやすいと思うんです!」
「それは、ホールの方の衣装にということですか」
「はい! とっても可愛くてオリジナリティもあるので、そちらがいいと思います。無論、在庫があればですが」
「在庫なら、たしかあったと思います。サイズも取り揃えてあるので、今日からでも利用することはできますが……」
急な申し出だったからか、阪口は言葉を詰まらせる。従業員らの顔色を、ぐるりと見回した。非番の日に来てもらったうえ、衣装の変更まで頼むのは、憚られたのだろう。
だが、しばらくしてから阪口は、シワのいった唇を真一文字に結ぶ。
「……厨房のみんな、少し急だが制服を着替えてくれるか。頼む、この通りだ。店を潰したくない」
希美の横までやってきて、小さな背を曲げた。それにとどまらず、床へ蹲み込んで、頭をこすりつける。覚悟が滲んでいた。
金曜日や昨日の弱気な態度とは大違いだ。
「そこまでしなくても」「私、こっちの方が気に入ってたんだよね」
口々に好意的な声が上がる。それに押されるようにして、阪口は早速倉庫へと向かった。
制服の入った紙袋を抱えて出てきて、作務衣を着た従業員へ配っていく。
「よければ、お二方もこちら使ってください」
最後に、希美たちの手にも制服が乗った。
やはりナイフとフォークのプリントが可愛らしい。俄然、高ぶるものがあった。単なるデザインの優秀さだけではなく、仲間として認めてもらえた気がしたからだ。
場には一体感が生まれていた。従業員たちの士気が上がり始めているようだ。
Gショックを見てみれば、もう営業時間がすぐそこに迫っている。今なら、ベストな状態で始められそうだ。希美は瞳に炎を滾らせる。
そして、
「では、着替え終わったら、元々シフトに入っていなかった方は、私たちと一緒に宣伝へ来てください! みなさん、今日はよろしくお願いします!」
臨時集会の最後を、こう締めくくった。意気やよし、従業員たちは我先にと更衣室へ入っていく。
希美は、その中へ紛れて行こうとしていた、もう一人の社員を呼び止めた。人波が引ける。フロアに残ったのは、鴨志田と三人だけだった。
「……なんですか。俺はクビですか」
彼は、手を後ろで組んで、きまりが悪そうにしていた。
決して、こちらに目を合わせようとはしない。気持ちはよく分かるが、
「違います。だから、そんなに怯えないでください。ただ、お願いしたいことがあって」
それもたった一つだけだ。
「あの呟いたアカウント、消してもらってもいいですか」
希美が単刀直入に言う。
「……それだけ?」と社員は怪訝な顔になった。
彼がスマホをポケットから引き抜いたところで、鴨志田がそれを奪い去る。本職はスリかと勘違いしそうなほど、流れるような手つきだった。
「今お前のアカウントは、また炎上してる」
「は、はい? どうして……」
「ちょっと名前の知れた知り合いに、片っ端から頼んでお願いしたんだよ。『あのアカウントはフェイクしか発信しない』って噂を流すようにな」
「は、はぁ? なんでそんなこと!」
「実際、ネガティブな嘘情報を呟いたじゃねぇか。そのせいでこの騒ぎになった」
物を言い返せなくなる社員を見て、鴨志田は、ニヒルに笑う。嘘っぽい営業スマイルより、ずっと彼らしい。
「まぁけど、おかげで注目は集まった。少なからず、集客に使えたんだ」
「は、はい? 炎上なんて、むしろ客が離れますよ」
「元からいない客は離れもしないよ。それどころか、普通なら見向きもしない人までが、この店に注目したんだ。どうだ、そう考えればチャンスだと思わないか?」
炎上を逆手に取る。
土日のうちに、鴨志田が手を回していたらしい作戦だった。ある意味で、春香の言っていた「炎上を利用して彼氏を募集する」に近い内容だ。
正直、荒っぽいと思った。
普通ならば、噂を否定する声明を公式に出すべきだろう。だが彼曰く、それではむしろ逆効果になることが多いらしい。
それにしても、有名人の知り合いだなんて、鴨志田は何者なのだろう。
「もう役割は果たした。後は、発信された情報が嘘だと情報が上書きされれば済むわけだ。公式アカウントじゃなく、個人アカウントだからできる技だな」
「……あの、俺はどうすれば」
「アカウントを消せばいい。それだけで、自分の非を認めたことになるからな」
ほら、と鴨志田は彼の手にスマホを返す。
「……もう三千も共有されてる」
社員は口端を歪めて、
「わ、わかりましたよ」すぐその場で手続きを始めた。
それを見届けてから、希美たちも着替えを終えた。
太陽が燦々と照らす商店街へ、店員たちと一緒に繰り出す。
反応が、スルーされ続けた先週までとはまるで違った。
人員が多いことによるお祭り感もあってか、チラシは次々に掃けていく。
ただ、それだけでは説明のつかない話だった。
チラシのコミカルさや、衣装のポップ加減が功を奏したようで、待ってでもチラシを欲しがる人が出た。ネット炎上のことを聞かれることもあったが、真摯に対応すると、一部の人は店へ足を運んでくれた。
印象一つでここまで違うものか、と希美はついつい手を止めて、その光景に感激する。
「後輩、サボるなよ」
そこへ、ぐさりと横槍が入った。
「鴨志田さんこそちゃんとやってくださいよ」
「やってるだろう、今日は」
「今日は、やってるかもしれませんね」
希美の反撃は鮮やかにかわして、鴨志田は上げた膝でチラシの角を整える。
人が通りかかった途端、やはり驚きの豹変ぶりだった。百点満点じゃお釣りがきそうな笑顔を携えて、愛想を振りまく。そのあまりの輝きっぷりで、マダムたちを虜にしていた。
心の中では消費カロリーを気にしてるんだろうと思えば、ぐぬぬ、とハンカチを握りしめたくなった。ただ僻んでも、希美にそんな真似はできない。
やれることをやろうと前を向いたところ、作業着姿のおじさまたちに囲まれていた。希美にも人誑しの才能があったのかもしれない。などと、勘違いするまでもなかった。
「希美頑張ってるなぁ」
なぜならその真ん中に紅一点、春香が立っていたからだ。




