第4章 第3話 金
「はは、冗談だよ。殺した理由くらい覚えている」
何が楽しいのか。何がおもしろいのか。杜松道彦は自分が殺した者の子どもの前で笑顔を見せた。
「私は金持ちだった。いや今も金持ちだが、当時……10年前は今よりも金があった。独身だったからね。医者だし独立したし薬を売っていたし……知っているかい? 薬って案外簡単に作れるんだ。ただ誰もやらないだけでね」
杜松道彦は語る。まるで飲み会の場で武勇伝を話すかのように。
「金はあった。女にも困らなかった。だがなぜか満たされなかった。幸せじゃなかったんだ……どうしようもなく。何か、何かが足りなかった。そんな時、君の家族を見た」
杜松道彦が俺の顔を見上げた。普通だった。猿原のような愉悦も、子犬のような狂気も感じない。ただの、人だった。
「幸せそうだった。うらやましいと思ったね。その気持ちをたとえるなら……そうだな。君たちの歳くらいだとこう言うとわかりやすいか。不細工な男が綺麗な女を連れていたら、何であんな奴がと嫉妬するだろう? それと同じだ。私はいわゆるエリート。猪野家は下の上程度の家庭だった。なぜ私が満たされないのに、こんな奴らが幸せそうなのか。なんかむかついて、殺すことにした」
なんかむかついて。なんかむかついてなんかむかついてなんかむかついて。なんかむかついてと、言った。俺の両親を殺したことを。なんかむかついて、と。
「殺したが、どうにも満たされない。どころか殺してしまったから不安になった。幽霊とか、怖いだろう? だから幽霊がいるか確かめてみることにした。その子どもを虐げてみた。幽霊がいたなら両親が怒って何かしてくるはずだろう? だが今のところ、何もない。幽霊はいないということがわかったよ」
聞き逃すはずはない。しっかりと仇の話に耳を傾けていた。それなのに、一つも頭に入らなかった。聞こえてはいるが、意味が理解できない。幽霊がいるか、確かめる。そのために姉ちゃんから幸せを奪い、詩歌を虐め、子犬を壊したのか。それだけの、理由で。
「色々聞かれるのも面倒だし言っておこう。犬養さんに巫子を殺すよう指示を出したのは、どっちでもよかったからだ。巫子が死んでも死ななくても猪野くんは傷つくだろう? それと牛島さんを殺したのは……恥ずかしいんだが、痛かったからだ。カモフラージュのために私も殴るよう言ったが、想像以上に痛かった。だから殺した。他には何か疑問はあるかな」
他に疑問があるか? 疑問なんてないよ。
「死ね」
もう何でもよかった。殺したかった。ナイフを振りかぶった。ほとんど無意識だった。それなのにナイフを振り下ろさなかったのは。
「悪かった」
杜松道彦が謝罪したからだ。不思議と本当に心から謝っているように見えた。あんなふざけたことを言っていたのに。
「お前……何言ってるんだ……」
「本当に悪いとは思っているんだよ。君たちは何も悪くないから」
「そ……んな言葉で許すとでも思ってんのか……!?」
「いいや。だが捕まるのは嫌だ。殺されるのも。だから」
杜松道彦の指が三本立つ。
「3億円出そう」
「……は?」
言葉の意味を理解できない俺に構わず、杜松道彦は一人話していく。
「君たちへの賠償金だと思ってくれていい。1人1億。私が捕まったとしてもこれだけの金はもらえないだろう。3億円あったら何ができるだろう。まず衣食住。おしゃれができるし、外食もできる。人が死んだ家からも引っ越すことができるだろう。それに大学にも通えるね。君や詩歌ちゃんは勉強ができるんだろう? 良い会社に入ればさらに金は増えていく。お姉さんに楽させてあげられるんじゃないか? もちろん君たちからは手を引く。きっと君のお姉さんは良い彼氏を作り、結婚して幸せな家庭を築くんだろうね。そうなった時金があればどれだけ楽だろうか」
何も言えなかった。
「ここで私を殺したとしよう。一時的に楽になるだろう。両親の仇をとったと墓に報告できるね。だがそれで、終わりだ。その代償として君は捕まり、多額の賠償金を払い、君の家族は社会から孤立させられる。わかるかな? 復讐なんてしたって意味がない。生きることが大事なんだ。一時の感情じゃない。どう生きるかを大切にしていこう。君たちはまだ若い。あと60年は生きていくだろう。でも君が殺人を犯して、一瞬幸せになって、その後の60年間ずっと苦しんでいくのかい? それはあまりにも馬鹿げている。もっと賢く生きていこうじゃないか」
少しも動けなかった。
「今が14時だから……17時までにうちに来なさい。そこで金を引き渡そう。それで君たちは、幸せになれる」
杜松道彦が立ち上がり、病室を出ていく。その間俺は、ただ黙って見送ることしかできなかった。
静寂に包まれる病室。機械の音だけが響いている。そこに子どもの声が一つ。
「史郎。みこの話、聞いてくれる?」
そして全ての謎が明かされるのだった。




