第3章 第3話 卯は寂しいと
「……どうしたの? 猪野くん」
「あー……何でもない」
翌日。今日は巫子が休みで、卯月が通学。ひさしぶりの昼休みをひさしぶりの作ってもらった弁当を食べていると、不安そうに卯月が覗き込んできた。
「何でもないなら……いいけど……」
「……ごめん。何でもなくはない」
いつまでも悩んでいても仕方ない。なんせ俺が巫子と初めて話したのは3ヶ月前。知らないことばかりだ。だったら詳しい人に訊いた方が効率がいい。
「……なぁ。巫子は人を殺すような人間だと思う?」
「え? ありえない……んじゃないかな。たぶん殺したい人がいたら……誰かを誘導して殺させると思う」
……確かに。巫子はそういうタイプだと思う。でも小1ならそうはならないよな……。
「卯月と巫子が会ったのっていつ?」
「えーと……小1か小2か……それくらいだと思う。私はずっと前から子役だったんだけど急に事務所に入ってきて……あっという間に抜かれちゃった」
「……そっか。その時の巫子は……」
「……でも、追いついた」
卯月が俺の腕を引っ張った。膝の上に乗せていた弁当が落ちてしまったが、卯月はそれに目もくれず、俺の目をまっすぐ見つめてきた。その頬は、赤く染まっている。
「私と一緒にいる時は……巫子ちゃんの話しないで……ください……っ」
「……なんで?」
必死に言葉を絞り出したような卯月に当然の疑問を投げつけると、なぜか腕をわちゃくちゃとし始めた。
「わっ、私ほら、今売れてきてるから恋愛はご法度っていうか、でもばれなきゃいいっていうか、でもでもようやく売れてきたのに変なことになったら嫌だからっ」
「……? どういうこと……?」
「あわわわわっ」
なぜかやけに慌てているが、卯月が慌てているのはいつものことっちゃいつものことだ。とりあえず落ち着くまで待っていると、弁当が落ちたことに気づいて拾う。幸い零れていなかったが気を遣って取り下げようとしたので、それを受け取る。
「ひゃっ」
その時指が当たってしまい弁当が手を離れたので慌ててキャッチする。なんか今日は変だな……。何か隠してるのか……?
「……その……すいません……」
「いや……別に大丈夫だけど……」
ようやく落ち着いた卯月がスカートをぎゅっと握りしめて俯いた。そしてぽつぽつと言葉を漏らしていく。
「その……ずっとお礼を言いたかったんです……。忙しくてお見舞いにも行けなかったけど……助けてもらったから……」
助けて……もらった……? ああ、キャンプの時か。
「いや、別に何もしてないよ。ていうか濡れた上着なんか渡して悪かった。寒かっただろ?」
「ううん……暖かかった……すごい、うれしかった」
お礼を言われたが、本来ならそれを受け取る資格なんて俺にはない。あの時俺は、卯月のことなんて全く考えられなかった。上着を渡したのだってほとんど無意識。お礼なんて……とんでもない。
「私、ずっとダメダメだったの。女優になりたくて10年以上がんばってるけど上手くいかなくて……あんまりやる気ない巫子ちゃんばっかり褒められて……ずっと悔しかった。でも変わった。思い出したくないし、怖かったけど……人気になれたから。本当はこんなこと言っちゃダメなんだろうけど、よかったと思った。それくらい……人気になりたかった。誰かに認められたかった」
俯いていた卯月の顔が上がる。そして姿を見せた瞳は、どこか覚悟を決めたように見えた。
「全部、猪野くんのおかげだと思ってる。猪野くんに助けてもらったから、私は無事だったし、夢を叶えることができた。そんな素敵な人と、ずっと一緒にいたいと思った」
一度息を吸い、口をつぐむ。そして数秒後、口が開かれた。
「史郎くん、私とつ……」
「おい、そこで何をしている」
卯月の小さな声だけが響いていた階段裏に、男の声が響いた。
「……牛島先生」
俺たちを見下ろしていたのは俺たちのクラスの担任、日本史教諭の牛島丑治。俺へのいじめを放置しているから当然だが、それに慣れている俺でも気になるほどの、陰湿な教師。何ならこいつ自身も俺をいじめているようなものだ。だからあんまり好きじゃない。お互いにそうだろうが。
「猪野、お前肩を刺されたんだろ? だったらおとなしくしておけ。また誰かに刺されるかもしれないんだからな」
「……ははっ。そうですね」
上手いことを言ったつもりだろうが的外れにもほどがある。滑稽に思えて笑ってしまうと、牛島はイラっとした顔で標的を卯月に移した。
「お前もようやく人気になったんだ。付き合う相手は考えろよ」
「付き……!?」
そして卯月も牛島の言葉を正面から捉えず、なぜか照れている。
「……チッ。屋上は進入禁止だ。さっさと離れろよ」
20歳も下の子ども2人にあしらわれた牛島は大きく舌打ちをし、戻っていく。本当に嫌な奴だ。
「それで、何の話だったっけ」
「……ううん。まだ猪野くんにはやることがあるもんね。犬養さんとちゃんと話をつけないと……私も気持ちよくない」
そう言い、卯月は笑う。
「だから復讐、がんばろうね。私も協力するから」
その言葉に似つかわしくないくらい、卯月の笑顔は輝いていた。




