楽しい楽しい記憶はいかがですか?
「目覚めたぁ!」
からんころん、と目覚ましのベルがくるくる回って鳴る音で、わたしは飛び起きた。
ふかふかのベッドからすぐに抜け出し、鏡で寝癖を整えて、カーテンを開く。
「今日も良い天気……じゃなかった。がっかり」
なんと今日は灰色の雪が降っていた。
快晴だったら幸せだけど、そうじゃなくてもわたしは大丈夫。
爪先を上げてくるりと半回転。壁と棚に並んだ私の大切な宝物たちを眺める。
「レオナ、リア、ローベル、ティムスとミラリア、それとシュクリーナ!」
大きさも形もバラバラな、何も統一性のないわたしの宝物たち。
鏡面世界の鏡文字トランプ。海底裏の乾燥石。三色点滅の羽帽子。脈打つ宝石。
わたしが今まで行ってきた旅先で出会ったお友達との思い出の一品たちが並んでいた。
それを見るだけで、わたしの心は今日もぽかぽかになる。
「よし! 今日もお仕事、頑張るぞ!」
これがわたしの毎日のルーティン。旅が長引いて日帰りできないときは出来ないけど。
もう一度半回転。わたし一人では有り余る広さの豪奢な空間を見渡す。
豪華な部屋やふかふかなベッドを独り占めできるのは、遠くで頑張ってるパパとママのおかげ。でも、欲しいものはわたしが自分で稼いだお金で買うって決めてるから、今日も今日とて、わたしにしか出来ないお仕事を頑張るのです。
部屋の隅に溜まった埃を千切って巻いたような灰色の雪は、窓から手を出して指先に乗せてみたらピリリと痛みが走ったから、傘は必須みたいだった。
リアとの思い出が詰まった、なんでも入る妖精さんの箱庭ポーチを肩に掛けて、大きめの傘を握りしめて靴を履き、外に出る。
家を出て最初に向かうのは、いつも同じ場所。
一段飛ばしでレンガ造りの階段を駆け下りて、お店の並ぶ大通りに出る。
灰色の雪にあたらないようにいつもより広めに布の屋根を広げて、そのお店の店主のおじさんはいつも通りに足を組んで座っていた。
「おじさん! 今日の新聞晶ちょうだい!」
「はいよ、五ギリアだね」
「どーぞ! 私の稼いだお金ですっ、むふふん」
これでもかと胸を張って、わたしは硬貨を新聞屋さんのおじさんに手渡す。
わたしが受け取ったのは、半透明の氷のような見た目をした結晶。
きゅっと正面を磨くと、光が反射して目の前に青白い紙面が浮かび上がる。
「さて、今日のリオナちゃんは新聞を読めるかな?」
「読めるもん! これでも毎日ちょっとずつ読み書きの練習してるんだから!」
パパとママがいないから、地力で本を借りてお勉強するしかないけど、毎日新聞を読んでるんだから、そろそろ難しい言葉も読めるようになってるはず。
「えっと、半竜の……王子……暴走と混乱……死に際に空、を……?」
ダメ、分かんない。
読むのを諦めた私を見て、おじさんは優しく笑う。
「まだまだ、勉強が必要みたいだね」
「むぅう! 次こそ読んでみせるんだから!」
わたしはぷくっと頬を膨らせてぴょんと跳ねた。
肩に掛けた箱庭ポーチも追いかけるようにふわりと動く。
「おや、今日は売り子の日かい?」
「うんっ! 今日は配る日!」
わくわくが止まらなくて、手の中で傘の持ち手をくるくると回す。
その勢いで灰色の雪がぶわっと舞って、おじさんが慌ててその場から離れる。
「わわっ! ごめんなさい!」
「大丈夫大丈夫。リオナちゃんも気を付けな。なんでもこの灰色の雪、少し離れた竜の国から舞ってきたもんらしいんだ。竜の火炎の灰が混じってて、人間には毒なんだと」
だから、指で触ったときにピリッとしたんだ。
通り過ぎる人が口元までマフラーを巻いていたのも、この雪を吸わないようにするためみたい。
「なんでここまで?」
「紛争なんだってよ。この国も裕福ってわけじゃないから、資源のために戦わなきゃいけないんだってさ」
「わたしたちのお家、壊れない?」
「安心しな。こっちが優勢だとよ」
ぐっと親指を立てておじさんはニカッと笑う。
それならきっと心配はない。でも、わたしみたいに怖いって思う人もたくさんいるはず。
「わたし、行かなきゃ!」
「おっ、頑張れよ!」
「はいっ! リオナ、みんなに希望を配ってきます!」
ポーチの紐を傘と一緒にぎゅっと握って、私は走り出した。
*
わたしのお仕事は、みんなに楽しい記憶を売ること。
ぷくーって膨らませた記憶を魔法で固めて、欲しい人にお金と交換してもらう。
なくても良いものだからたくさん売れるわけじゃないけど、楽しいって言って買ってくれる人のおかげで、パパとママのお金に頼らずにお菓子を買ったりできる。
今日はこの前に売れなかった記録晶を売るために路上販売をするの。
「楽しい楽しい記憶はいかがですかー?」
三日前に、冒険をしたときの記憶が売れてしまったから、ご飯を食べて楽しかった記憶とか、広場で追いかけっこした記憶とか、みんなでも経験できちゃうものは、やっぱりあんまり売れない。
「はあ、今日はお菓子無しかぁ」
がっくりと肩を落とすと、こつこつという足跡が聞こえてきた。
顔を上げたら、ベージュのスーツをビシッと着こなしたおじさんがやってきた。
「やあ、レオナちゃん。調子はどうだい?」
「今日はぼちぼちも売れないです、ガルオさん……」
ガルオさんは、わたしの常連さんだった。頑張って楽しい記憶を作って売り物にしたら、絶対に買いに来てくれる。
一つも記憶が売れないわたしを見て、ガルオさんは真っ白な歯を見せて笑う。
「はっはっは! そんな日もあるさ。こんな危ない雪が降っているしね。だから、今日はがっかりしているリオナちゃんに良い物を渡しに来たんだ」
汚れ一つない革のバッグからガルオさんが取り出したのは、綺麗なバングルだった。
緑色の鱗が丁寧に連なってリングになっていて、その中心は湖畔の浅瀬みたいに透き通った水色をした雫のような結晶で装飾されていた。
鱗に少し触れてみると、その分厚さと肌触りに懐かしさを感じる。
これ、どこで触ったんだっけ。
「ガルオさん。このバングル、すっごく素敵なんだけど、どうしたの?」
「リオナちゃんのお友達から預かったんだ。名前は確か……ドューゴだったかな」
「え、ドューゴが来てくれたの!? どこどこ!?」
その名前には聞き覚えがある。ついこの前の冒険の時に仲良くなった子の名前だ。
せっかくだから会って話がしたいと思ったけど、ガルオさんは首を横に振った。
「すまないね。受け取ってすぐに忙しいからと帰ってしまったんだ。僕も彼には是非来てほしいと頼んでみたのだけどね」
「そっかぁ。残念」
出会って間もない友達だけど、忘れてることもたくさんあるからいっぱい話したかったのに。忙しいなら、仕方ないか。
わたしは胸の奥がむずむずするのを我慢して、ガルオさんから受け取ったバングルを付けてみる。ぴったり手首に巻き付いて、腕を振っても簡単には動かない。
まるでわたしのためだけに作られたようなアクセサリーに、思わず胸がときめく。
とても素敵なバングルを見せびらかすように手を前に出して、ガルオさんを見つめた。
「ありがとう、ガルオさん! 本当に嬉しい」
「もうすぐリオナちゃんの誕生日だからね。そのときはまたプレゼントを渡すよ」
「ほんと!? 嬉しい!」
「はははっ。つい数日前も楽しい記憶を買わせてもらったからね。次も楽しみにしてるよ」
「うん! そしたら、わたし、早速冒険に行かなきゃ」
やっぱり、誰も経験できないキラキラした思い出がみんなを笑顔に出来るんだ。
箱庭ポーチにはいつでも冒険できるだけの道具を詰め込んであるから、今すぐにだって旅に出られる。
大人になったらもっといろいろなお仕事がやってくるけど、子どものわたしにだってわたしにしかできないお仕事があるんだから。
わたしは跳ねるように大通りを走り始める。
小さな箱庭ポーチの中から取り出した箒を握りしめたまま、城門にまでやってきた。
門番の兵士さんが二人、わたしを見つけて手を振ってくれる。
「やあ、リオナちゃん。これから冒険に行くのかい?」
「うん! みんなに楽しい思い出を届けるの!」
「いつもありがとう、リオナちゃん。君のおかげで、この国のみんなが幸せになるんだ」
「えへへぇ。それほどでも、あるかも?」
ほっぺたが温かくなってきて、わたしの口元がチーズみたいに蕩ける。
本当は兵士さんたちとももっと話したいけど、時間がなくなっちゃうから早くしないと。
「わたし、行ってくるね!」
「今日はどっちの方へ行くんだい?」
「西! 夢でそっちに行ったほうが良しって教えてもらったの」
たまに見る夢の方角に沿って行くと、いい思い出が必ずあって、そこでの思い出は絶対に買ってもらえる。だから今日は西へ。川に沿って広がるお花畑が目的地。
灰色の雪もあるから気を付けてね、と兵士さんが心配してくれた。
大丈夫って頷くと、いつもの確認が始まる。
「外に行くときの約束は覚えてるかい?」
「うん!」
「日が沈んだら?」
「すぐに帰る!」
「危ないと思ったら?」
「透明になって逃げる!」
「もし帰れなさそうだったら?」
「蝶々で伝える!」
「よし、完璧だ。行っておいで。気を付けるんだよ」
「らじゃー!」
背筋をピンと伸ばして返事をして、わたしは門から飛び出す。
傘が風で飛ばないようにして、マフラーと帽子で目元以外を隠して雪対策。
ポーチの紐をぎゅっと縛って、わたしは箒に跨る。
「行ってきまーす!」
バランスが崩れないように、小さく傘を振って箒で飛び上がる。
ふわりと宙に浮き、わたしは西へと進み始めた。
*
山を越えて谷を越えて。
汚れた雲が見えなくなって、灰色の雪もなくなってから少し進んだ辺り。
夢で見た大きな川とお花畑が眼下に広がっていた。
「わー! 綺麗!」
さっそく下に降りて、マフラーを外して箱庭ポーチに詰め込む。
ふわっとわたしを包み込む風と甘い匂い。
穏やかに散った花びらを旅させる幅の長い川からは、お魚がときたまピチャンと水面から小さな飛沫を上げる。
一歩進む。足首を隠す花々の葉が脛をくすぐって、変な顔になってしまった。
「ふへへ。初めて来る場所は、やっぱりわくわくが止まらないなぁ。さてさて、待ちに待った新しい出会いはどこにあるんだろ」
美味しい空気をたんまりと吸いながら、わたしはふらふらと散策を始める。
少し歩くと、川沿いに生える木の下で流れていく水を眺めている女の子が座っていた。
どこか寂しそうで、背中も猫みたいに丸まっていた。
「ねえねえ、どうしてこんなところで座ってるの?」
「ひ……っ!」
ビクンと体を震わせて、女の子は慌ててわたしから距離を取った。
目元隠すカーテンみたいな真っ黒な髪と、シンプルだけど余計な装飾のない、見るだけでも高価な素材で作られているのが分かる真っ白なワンピース。
背丈はわたしより低いけど、歳は近いように思えた。
「だ、誰……ですか?」
「わたし、リオナっていうの。素敵な思い出のための冒険中なのです」
ぐいっと胸を張ってみせても、その子は怯えたままだった。
初めてだから緊張してるのかも。
わたしはポーチから記憶晶を取り出して女の子に差し出した。
「これ、自己紹介! わたしはこんな人だよって、すぐに分かるよ!」
「……なに、これ」
「ふふん。手、出してみて」
恐る恐る伸びてきた女の子の手をそっと取って、記憶晶の表面を撫でさせる。
そうやって目の前に浮かんできたのは、わたしが見てきた景色そのもの。
売れなかった記憶だけど、美味しいご飯を食べて、外で遊ぶ、わたしの普通。それでいて、心の底から大好きな時間。
食い入るようにわたしの記憶を見た女の子は、ぽつりと呟いた。
「……いいなぁ」
もう声は震えていなかった。
嘘偽りないわたしそのものを見て、女の子は憧れと憂いを瞳に浮かべる。
「……私、ミルセリアっていいます」
「よろしく! ミルって呼んでいい?」
「え、あ……はい」
一気に距離を詰めると、ミルはささっと後ろへ下がる。
その勢いでコテンと木の幹に頭をぶつけたミルは、口元がぎゅむっと引き締まった。
言葉を出さずに痛みをこらえきったミルは、ポツリと呟いた。
「逃げてきたんです。私」
「誰かに追われてるの?」
「家出、って言っていいのか分からないですけど。お父様と喧嘩をしてしまって」
お父さんが厳しくて、嫌になって出てきてしまったらしい。
召使いの中でも、何かあったらここに逃げてくることは数人しか知らないから、しばらくはここで頭を冷やしていつも帰るんだって。
「お父様の言うことが正しいのは分かるんですが、やはり、どうしても自由への憧れが捨てきれなくて……」
「ミルって、何歳?」
「え、えっと。一〇歳です」
「なら、今は遊んじゃえばいいよ! ほら、行こ!」
「わっ、わわっ!?」
丸くなってるミルの両手を掴んで、わたしは川へと放り投げた。
ばっしゃーんって音を立てて、ミルが川の中に沈んで……。
「もしかして泳げない!?」
わたしも追いかけるように川に飛び込んで、ミルの腕を掴んで水面に引っ張り上げる。
水を飲んじゃったみたいで、ゴホゴホとミルは咳をしていた。
「ごめん! 泳げなかったんだね」
「……すいません。私、昔からどんくさくって」
「悪いのはわたしだってば! ちょっと待ってね!」
ミルを掴んだ手とは反対の手でポーチを探って、箒を取り出したわたしは柄の先を真上に向けて力を込める。
箒の飛行魔法は何年もやって体に染みついてるから、それだけで釣り上げられたみたいにわたしたちは空へと飛んでいく。
「わぁ!? と、飛んでる……っ!?」
「ふふーん。凄いでしょ! わたし、魔法が使えるんだよ!」
「リオナ……ちゃんは、魔法使い、なの?」
「そう! わたしにしか出来ないお仕事だってあるのです!」
ふわりと浮かびながら、宙をくるりと回ると、ミルの顔を半分以上隠していた黒い髪が海で揺られるクラゲみたいに揺れて、その顔を目の当たりにした。
わたしと目が合ったミルは、慌てて両手で顔を隠した。
「み、見ましたか……?」
ミルの手は震えていた。その指の隙間から、本来ミルの左目があるはずの場所で蒼い光が反射している。
一瞬だったけど、それは脳裏に焼き付いた。
ミルの左目は、蒼く輝く宝石だった。
「うん。とっても綺麗だった」
海の底からすくい取ったような、終わりのない深い青。
嘘偽りなく、わたしはミルの瞳を美しいと思った。
「……ほんと、ですか」
「もちろん!」
戸惑っているのか、ミルは口をパクパクさせていた。
よく見ると、ミルの頬や腕にも光を反射させる宝石が付いていた。
「私、体が宝石になっちゃう病気なんです」
原因も治療方法も分からないまま、服で隠している場所も少しずつ宝石になってしまっているらしい。左目は隠さないと見た人は例外なく気味悪がっていたから、わたしも覚えてしまうとミルは思ったと言っていた。
「わたしは怖くないよ。だから、遊ぼう?」
「…………はいっ」
水浸しのミルから垂れた水滴は、ほんの少しだけ川とは違う色をしていた。
お花畑に降りたわたしたちは、改めて靴を脱いで浅瀬で遊び始める。
水を掛け合ったり、お花の冠を作って遊んだり。
このミルだけの秘密の花園で、わたしたちは思いつく限りの遊びをした。
体力がなくなって、また浅瀬に足を付けて、水面で揺れる楕円形の月を見つめながらわたしたちは話していた。
「それでね。お父様ったら、いつもはとっても厳しくて隙なんてないのに、黒朱豚のベーコンだけはやめられないみたいで。夜中にこっそりつまみ食いをしていたんですよ」
「あはは! ミルのパパ、面白い人だね!」
「はい。だから問い詰めてあげたんです。私にもくれないと、召使いの人に今までのつまみ食いまで全部言ってしまいますよって」
「一緒に食べてくれたの?」
「夜中にご飯を食べるなんて生まれて初めてでしたし、とってもドキドキで美味しいかも忘れてしまいました。また食べようって、お父様と約束したのでその時に確かめます」
こんなありきたりな幸せを、ミルはたくさん話してくれた。
聞いてるわたしの心がポカポカするくらい話は弾んで、夜になったことに遅れて気づいて、わたしはポーチから紫色の手蝶を取り出す。
「門番さんとの約束忘れてた! えっと、お友達と遊んでいるので、帰りは明日になります……っと! これでよし!」
すらすらっと紙に文字を書いて、手蝶にふっと息を吹きかけると、パタパタと動き出して空へと舞っていった。
「わあー! これも魔法ですか?」
「うん! 一日だけなら、これで怒られないから。まだまだ話そう?」
「はい!」
笑顔で頷いたミルは、浅瀬で足をちゃぷちゃぷとさせて、
「なんだか、リオナさんとはとても話しやすいです。同い年の子と話しているようです」
「そりゃそうだよ! わたし、まだ十一歳だもん!」
「え、そうなんですか。背が私よりも高いから、五歳くらい上かと思ってました」
「最近、一気に背が伸びたからね! 気が付いたらここまで大きくなったの。だから、ミルもすぐに大きくなれるよ」
「そうなんですね。そうだと、いいですね」
また、ミルは寂しい顔をしていた。
どうにか笑顔にしてあげたいって思って、わたしは浅瀬の底に手を突っ込む。
その中で綺麗な小石を二つ拾って、その一つを手渡す。
「これ、わたしたちが大人になったら見せ合いっこしよう! わたしもミルも、この石で繋がってる。ずっと肌身離さず持ってるから!」
「あ、ありがとう、ございます」
その小石をぎゅっと握りしめたミルは、わたしの胸に顔を埋めた。
何度か深呼吸をして、ミルは言う。
「私、頑張ります。一国の姫として、一人の女性として、立派になってリオナさんにまた会います。ずっと、ずっと大切にします」
「うん。私も大切にする」
ミルは小石を握りしめたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「私、お城に戻ろうと思います」
「もう、いいの?」
「はい。お父様にも、召使いの方たちにも迷惑をかけてしまいましたから」
「じゃあ、わたしも帰るよ」
ちょっと寂しいけど、旅に別れは付き物。
またどこかできっと会えるって分かってるから、私は胸を張ってばいばいって言うの。
「ばいばい、ミル! また絶対に遊ぼうね!」
「はい! 絶対に!」
約束をして、わたしたちは背中を向ける。
ミルの背筋はピンと伸びていた。
わたしも負けないぞ。
箒を取り出して、家まで一直線で進み始める。
「楽しかったなぁ。素敵な思い出」
この思い出が薄れてしまう前に、ポーチから黄色の筒を取り出して、わたしはぷくーっと息を吐く。
青白いシャボン玉みたいな私の思い出たちが膨らんで、形となって目の前に浮かんでいた。箒に乗りながらだからちょっと危ないけど、壊れないようにそっと触れて、魔法をかける。
「こうやって固めて……よし!」
結晶化の魔法をいろいろな角度からじっくりかけると、透き通る記憶晶の出来上がり。
この楽しい思い出を、怖くて怯えている誰かに届けてあげないと。
ポーチに記憶晶をしまったわたしは、箒の飛ぶ速度を上げていく。
「……あれ、なんだこれ」
なんとなく違和感があって、ズボンのポッケに手を突っ込む。
いつの間にか、ポッケに小石が入っていた。
わたし、こんな石、いつ拾ったっけ。
「綺麗だし、捨てるのも勿体ないからしまっておこうっと!」
ポーチに小石を突っ込んだわたしは、真っ直ぐに帰路を進み続けた。
*
「目覚めたぁ!」
前回の冒険から一週間経って、わたしはいつも通りの朝を過ごす。
ベッドから出て、寝癖を直して、お天気チェック。
「うん! 今日も良い天気!」
くるりと半回転。
わたしの大切な宝物たちは今日も輝いていた。
「レオナ、リア、ローベル、ティムスとミラリア、シュクリーナにドューゴ!」
名前だけしか覚えていないけど、この宝物がある限り、わたしたちは繋がってる。
今日もわたしの希望を届けるために前よりも豪華になったお家から外へ飛び出して、
「おじさん! 今日の新聞晶ちょうだい!」
日課の読み取りチャレンジ。今日こそ全部読んであげるんだから。
「隣国の王と姫が毒殺。混乱を機に戦況が傾く。黒朱豚に仕込まれ、夜中の暗殺……?」
「おっ。今日はかなり調子がいいな!」
「でしょう! わたしも少しずつ成長してるのです。えっへん!」
少しずつお勉強した甲斐があったみたい。
わたしは誇らしげに胸を張って自慢をする。
「それじゃあ、今日も行ってくるね!」
「おうよ! 気を付けろよ!」
「はーい!」
大通りを走り、お店とお店の間に出来たちょっとした隙間に立って、わたしは声を出す。
「楽しい楽しい記憶はいかがですかー!」
ポーチから二つの記憶晶を取り出して両手に持って、わたしは採れたての果実のようにそれらを掲げる。
でも、道行く人たちはちらりと一瞥するだけで、止まることなく大通りを進んでいく。
今日も、あまり売れないみたいだった。
「おや、今日は見るからにいまいちのようだね」
「そうなんです。ガルオさん……」
寂しげに肩を落としたわたしの頭を、ガルオさんは優しく撫でてくれた。
少し前にも、ガルオさんは前の記憶を買ってくれた。お金の余裕はたっぷりあるから大丈夫だよと笑ってくれたけど、お仕事は何をやっているんだろう。
他の人に聞いても、ガルオさんが偉い人ってことしか教えてくれなかった。
そんなことを考えていたら、ガルオさんが腰をかがめて目線を合わせ、笑いかける。
「今日もリオナちゃんにプレゼントを持ってきたんだ」
「え、ほんと? やったぁ!」
ガルオさんが革のバッグから取り出してくれたのは、綺麗なネックレスだった。
大小さまざまな宝石があしらったチェーンと、海の底からすくい取ったような深い青色をした宝石のチャームで作られたそれは、見るだけでドキドキが止まらない。
「こんなに素敵なもの、貰っていいんですか!?」
「これも君への贈り物として預かったんだよ。えっと、名前は確か……ミル、セリアだったかな?」
「本当!? ミルが来てくれたんだ!」
名前しか覚えていないけど、ミルセリアって名前を聞くだけで友達だってことは分かる。
わざわざここまで来てくれたんだ。
わたしはネックレスを付けて、心の中でありがとうと呟く。
次は会って直接ありがとうって言いたいな。
思わず口元が緩んだわたしの顔を優しく見つめて、ガルオさんはまた笑う。
「それに、明日で十六歳だろう? とてもめでたいから、今のうちに渡せてよかったよ」
「え? わたし、明日で十二歳ですよ?」
「おっと。そう……そうだったね。大きくなるのが早くて間違えてしまったよ」
ガルオさんはちょっとだけ怖い顔をしてから笑い始めた。
たまに何を考えているのか分からないけど、優しいガルオさんだから心配する必要はないね。
腰を上げたガルオさんは、前に私から買った記憶晶を取り出して手の中で転がした。
「リオナちゃんの記憶にはいつも楽しませてもらってるよ。前のもとてもよかったから、次もお願いしたいね。君のおかげで、この国の人たちみんなが幸せになるんだ」
「ありがと! わたしも嬉しい!」
誰かの力になれていると思うと、心が満たされていく感じがした。
やっぱり、また冒険に出なきゃ。
楽しい思い出を、みんなに届けなきゃ。
「ガルオさん、わたし、また行ってきます」
「おや、そうかい。頑張ってね」
わたしのことを見送ってくれたガルオさんは、思い出したのか声を張って、
「そういえば、少し最近まで西側の国と争っていたんだ。もう片付いたから問題はないけど、くれぐれも近づかないようにしておくれ」
「はーい! 気を付けまーす!」
ぶんぶんと手を振って、わたしは門へと走っていく。
心なしか、足取りが軽く感じた。
ミルがくれた素敵なネックレスを付けて、わたしは次の冒険へと向かっていく。
「新しい出会いの思い出へ、いざ、しゅっぱーつ!」
今日もわたしは、誰かに幸せな記憶を売りに行くのだ。