愛なんかなくても【後編】
8
早柴さんが亡くなってから一週間が経った。私はまだ事実を受け止めきれずにいる。悲しみとともに体調も悪化して、ベッドにいる時間が増えた。動けない時間が増えた。めまいや立ちくらみも増え、食欲は無い日が続いた。それでも、2人には元気に振る舞った。全力の笑顔で2人を迎えた。私の前では落ち込んだ様子を見せないようにしている2人に、私もそうしたいと思った。どうしても最後まで対等でいたかった。顔色が悪いなと思った時は、メイクをして誤魔化した。
「あ、もう10月も終わるんだな…」
不意に、成宮くんが言う。カレンダーを見ると、確かに10月も終わりが近かった。通りで最近、寒いわけだ。相変わらず秋は短いなと思いながらも、もうすぐ1年が経つんだなとも思う。1年前の私は、予想すらできていなかったのにな。なんだかんだで、元気のままだろうなんて呑気なことを考えていたのに。行きたいところには行けて、学校もそのうち通えるようになるんだと思っていた。今は、メイクまでしないといけないくらい、体調が悪化している。メイクすら面倒くさくてする気がない時もあるけれどしないとバレてしまう。もう私は行きたいところに行けることもないだろうし、もう一度学校に行って皆に会うことも出来ないんだろう。そう考えると涙が出そうになってしまう。最近、涙腺が壊れてきたみたいだ。
「ほんとうだ。もう、11月になるんだねぇ」
口も上手く動かせない日もあって、最近はゆっくり話すようになった。普段使わない言葉を語尾につけて自然に聞こえるようにもした。日を追う事に息苦しい日も増えた。ご飯を食べられないから痩せてしまった。ベッドにいるだけなのに、動悸がする日も増えた。
「もう、暗くなるの早くなったしさ……寒いし、無理してこなくていいから」
私は、自分で死を悟る。もうすぐだ。これ以上は、いくらメイクをしても誤魔化せないだろうと思う。もしかしたらもうバレているのかもしれないけれど。それでも、突き放すことにする。これだけ言えばきっと、2人には伝わるだろう。伝わってほしい。2人を傷つけるような言葉は言いたくない。これ以上はもう、傷つけたくない。
2人からの返事が来る前に、ドアが開いた。一瞬、ほんの一瞬。錯覚に陥る。早柴さんが来たのだと。だけど、ドアの前に立っていたのは、早柴さんではなかった。けれど私は驚く。早柴さんの好きになった人が立っていた。この前会った時とは違う。この間は顔もしっかり見ることが出来ないほどだったのに髪を耳元で切りそろえて、前髪も分けられていて、目もよく見える。服装も、パーカーにジーンズだ。
「………すいません、いきなりお邪魔して。にちかからよく話を聞いていたんです。私の世界に色をくれた人たちがいるんだって。私はあの人たちのおかげで夢をあきらめないでいることができているし生きていられるんだって」
ぺこりと頭を下げてドアを閉めて、話し出したその人を私たちは黙って見つめる。その人は、綺麗に笑って、しっかりと私たちの目を見ながら話してくれた。今まで聞いた事のなかった早柴さんのことを。声色や表情から、早柴さんへの純粋な気持ちが伝わってきて、涙が溢れてきていた。
「あ、あづまと言います。申し遅れてすいません。………にちかはよく泣いていました。苦しいわけでも辛いわけでもなく、ただただ悔しいんだと。結婚は異性同士でするもので。同性同士の結婚を許してしまったら少子化が進んでしまうからと理由をつけて同性婚を認めないことや、性別を身勝手に2つに分けること。それ以外は、異常者みたいな目で見られ、差別されたり非難されたりすること。それらのことに対して、何も悪いことはしていないのにどうしてこんなにも肩身の狭い思いをしなければならないのか。どうすることも出来ない弱い人間なことが悔しくてどうしようもないと。『私たちは、異常者なんかじゃない。どこにでもいる人間だ。お前らの普通や当たり前や常識を押し付けてくるな。』と、よくそう言っていました」
なぜ、あづまさんがこんなことを話してくれたのか分からなくて、戸惑う。あづまさんは、どこか必死な表情でこちらを見る。あづまさんから告げられた早柴さんの言葉は、確かにその通りで。だけど、それを世間に言ったとしてもすぐにかき消されてしまうことも明白で。性同一性障害のことが認められてからほんの少しずつ、性のことが理解されることや関心されることはあるけれど、まだ批判や差別されることの方が圧倒的に多い。同性婚や同性愛に関しても、同じ様に。実際、同性婚は法律上できないことになっている。遠巻きに見ているだけなら、認めればいいのにとか可哀想とかいくらでも言えるし、自分だけは認めた気持ちになる。けれど実際、目の前で告げられた時、大抵の人は理解することはできないんだろう。昔からの考えに囚われたまま、理解したつもりになっているだけの人が沢山いるはずだ。きっと、私も心の奥底ではまだ理解しきれていないだろう。
私は、あづまさんをしっかり見返す。綺麗な目をしていた。澄んだ朝の空気みたいな、吸い込まれそうな目。
「あなたは、私たちの知らない早柴さんのことを沢山知ってるんですね」
僻みでも何でもない、喜びだった。嬉しかった。1人でも早柴さんの本当の姿を知っている人がいることが。早柴さんのことはずっと気になってはいた。いつも笑顔だし人に囲まれていたけれど、どこか寂しそうな目がどうしても気になった。心の柔いところがずっと叫んでいるみたいな、そんな感覚があった。早柴さんを、私は救えないことは分かっていた。救いたかったけれど、人間には限りがある。だけど、早柴さんを見捨てるなんてことできない。だからずっと、不安だった。申し訳なかった。でも早柴さんを救ってくれた人が確かに此処にいる。それだけがどうしようもなく嬉しかった。
「早柴さんを、救ってくれてありがとうございますっ」
一言、それだけしか出てこなかった。精一杯の感謝。それ以外の言葉は必要ないと思った。私は、深くまで頭を下げる。あづまさんは、優しく息を吐いて笑った。それから、こちらこそと言い残して病室を去って行った。嵐の後の静けさのような人だった。居るだけでその場の空気が柔らかくなるような、暖かくなるような人だった。その日は、そこから早柴さんの話になった。中学時代のことや高校での様子。私はそこで初めて、早柴さんは中学時代眼鏡をかけていたことを知った。
私はその日、2人を突き放すことができなかった。
「ねぇ、この間何言おうとしてたの?」
2日後。旭日がなんでもない話題をふるみたいに聞いてきた。本当は気づいているくせに。気づいていないフリをして、ちゃんと私の言葉を待ってくれる。いつもそうだ。2人とも、優しすぎるくらいに優しくて。私はいつもそれに、甘えてしまう。今日も、私はそうするんだ。けれどきっと、これで最後だから。甘えるのは、これで。神様もこれくらいは許してくれるだろう。
私は、口を開く。震える思いを、言葉に変えて音にする。予想以上に、悲しい音がして揺れていた。
「もう、来ないでほしいんだ。……2人とも。頼むからもう、来ないで」
喉が締め付けられる感覚がする。上手く声を出せない。
「なんで?さよならを言いたくないって言う理由なんだったら、言わなくていいから。言わせないから………。知ってるよ、もう長くないんだろ」
旭日の言葉に、息が詰まる。それと同時に、安心してしまう。やっぱり、バレていたんだ。フッと綻びそうになる頬を緊張させる。
「メイクしてても、笑ってても分かるんだよ。長くないのなら尚更……最後まで一緒に過ごさせてよ」
ここで負けたら、折れたら終わりだ。私は、2人を睨む。精一杯の強がりで、優しさで刃物だ。2人は、悲しそうな顔をしてこちらを縋るように見つめている。その顔を見て私は、苦しくなる。こんな悲しそうな顔をしている2人を、私はさらに悲しませようとしている。
「分かってよ!!見られたくないんだよっ。自分が弱っていく姿を!……わかってっ……私は、お前らのいない世界に慣れなきゃいけないし………お前らだって…っ!」
少し声を荒らげただけなのに、息が切れて体の力が抜けてしまいそうになる。私は、体に力を入れて耐える。
「…お前らだって私の、いない世界で生きていくんだよ!生きていかないといけないんだよっ」
だんだん声が悲しみを含んでいく。ボロボロ涙を零してしまいたくなる。言葉がとてつもなく痛い。彼らに向けたはずの刃物が、何故か私に刺さってくる。私自身が拒絶していることなんだと、思い知る。思い知ったところで私の意思は揺るがない。彼らには、弱い姿をこれ以上は見せたくない。完全なる我儘だ。
出会ってから数年、数ヶ月、心配ばかりかけて。優しさばかり受け取って。私は何も返せていないのに、返せないのに。本当に救いたい人を救えないかもしれない。それがとてつもなく苦しくて、悔しい。
これまでにないほどの強さで、肩を掴まれた。それで私は、顔を上げる。肩を掴んでいたのは、旭日。好きな人の顔を間近で見る。綺麗な目をしている。その目がいつにもなく怒りを写していた。後ろで、優しい顔をして綺麗な涙を流して成宮くんが立っている。そこで後悔をする。また優しさに触れてしまった。また、返せないものが増えてしまった。私はもう優しさを受け取ることはできないのに。両手から溢れてしまうほどの優しさを、既に受け取っているのに。それでも尚、注ぎ続けてくれるだなんて。
「ふざけんなっ。僕は、君のいない世界で生きていくために!……っそのために!今こうして、君と居るんだよ!成宮だって同じだ!」
彼の、こんな顔を見たのは初めてだった。私は今まで、彼の何を見ていたのだろう。ずっと同じ景色を見てきたはずなのに、私は一体彼の何を知っているのだろう。けれど、彼や成宮くんを傷つけるのを知っていながら私は、自己防衛をする。2人を傷つけたくないとか悲しませたくないとか、そんな綺麗な感情じゃない。もう嫌だ、逃げたい。そういう愚かな感情。旭日からの声と思いから逃げる。
「っ出てって…!もう、来ないでっ……出てって!!!」
自分の声が耳の中で響いて、頭がくらくらする。目元が熱くて、喉が詰まる。呼吸が荒くなる。私がそれを整えている間に、私の肩を掴んでいた力が弱くなって、体温が薄まる。私は、下を向いたまま彼らが出ていくのを待った。肩に残る淡い体温が私を包むようにずっと残っているようで、更に涙が止まらなかった。私は、その日私を抱きしめるようにして眠った。肩に残る体温を確かめたくて肩に触れてみたけれど、冷たくて抱きしめてみても空っぽのようで虚しくなった。
次の日からは、家族以外面会禁止にしてもらった。担当医の先生も看護師さんたちも了承してくれた。それくらい、私は限界に近い状態になっていた。今日からは無理に笑うこともメイクをすることもしなくていいと思うと、本当に勝手だけれど気が楽になった。深呼吸をする時みたいにゆっくりと、呼吸をする。お見舞いに来てくれた母に、お礼を言った。母は、静かに微笑む。
「……あなたが、2人を突き放したのは逃げでも弱いからでもないよ。大丈夫。あなたは、強い」
一つ一つの音が、あまりにも柔らかくて気がついたら泣いていた。自分でも訳が分からなくて。だって私は弱いのに。2人のことを確実に傷つけたのに。逃げたのに。それを母は、全肯定してくれた。私は声を上げて、母に抱きついて、子供みたいに泣きじゃくった。やっぱり母は、弱くてとても強い人だと思う。
「別れは、苦しいし辛いよ。………でも、必ず来るもので避けられないの」
充分に理解していたはずのこと。理解していなければならないこと。それを私はまだ、理解できていなかったみたいだ。早柴さんのことだって私はまだ、受け止められていない。あの2人は、私の分まで受け止めようとしているのに。2人だってとてつもない悲しみや憤りを感じているはずなのに。私の分まで背負おうとしていた2人を私は突き放したんだ。
「……………っ、お母さん、わたし、私さ……っ、生きるよ………………最後の最後まで、生き抜くよ……っ」
それは、2人に対する感謝みたいな言葉だった。しゃくりをあげながら、私は言う。
「うん、そうね……っ」
母は、一言それだけ言った。そして私は決めた。悲しいことかもしれないし、苦しいことかもしれない。それでも私は最後まで私を貫きたい。
「私、私が生きていたって、残しておきたいっ……私が消えても、遺るようにっ」
私がこの世界から消えるその時まで、2人とは会わないこと。どんなに辛くても苦しくても、寂しくても泣かないこと。それから手紙を、書くこと。手紙ならたとえ私が死んでしまってもいつまでも遺るだろう。どんなに遠くても、届くだろう。
「そうねっ………きっと、届けるわ」
縋るように母の服を掴む。泣きじゃくって鼻水も出ていて、酷い顔だろう。それでも母を見上げる。母も、泣いていていつもの綺麗な顔を崩していて、私と同じくらい酷い顔をしていた。
「私を、覚えていてっ………忘れないでね……っ」
そう言うと、母は更に涙を零した。それから子供みたいに顔をクシャクシャにして、綺麗に笑った。私を両腕で包み込んで、涙でボロボロの声で言った。
「覚えてるよ、忘れないよ……ずっとっ!」
その日は、馬鹿みたいに泣きまくった。疲れて眠ってしまい、目が覚めたら11月が始まっていた。まだ、日の昇っていない午前4時半。手を伸ばし、窓を少しだけ開けると肌を裂くような冷たい空気が入り込んでくる。私はそれを、身震いしながら吸い込む。旭日と病院を抜け出した時の空気感ととてもよく似ていて、涙が滲みそうになる。決めたばかりなのに、泣きそうになってしまう。私はそれを我慢する。ベッドに横たわったまま、夜明けを待った。このまま眠って目が覚めないことが怖かった。眠るように死ねるのならそれはそれでいいけれど、まだ生きていたかった。もう一度空気を肺に入れる。それだけで、生きているんだと実感できる。開けた窓から電車の音が聞こえた。始発電車だろうか。
しばらくぼんやりとしていたら、薄らと明るくなってきた。一人で見た夜明けはなんの輝きも感動もなくて、とても退屈だった。私は、旭日と見たいと思ってしまった。夜明けの瞬間、どうしようもなく旭日に会いたくなってしまう。自分から酷い言葉を放って傷つけたのに、会いたくなるだなんて随分と勝手だなと自分でも思う。反面、それほどまでに旭日のことが好きなんだと思う。退屈な朝日を見ていたくなくて、私は手紙の続きを書くことにする。便箋を何枚か出してペンを握る。最近は、手に力が入りにくくてペンをよく床に落としてしまう。けれどこれだけは、手紙だけはこれまでのどの字よりも綺麗に美しく書こうと思った。これは、旭日への最後の告白だから。旭日はきっと、私が死んだと知らされたら授業を放棄してまで飛んできてくれるだろう。容易に想像ができてしまう。慌てた顔をして入ってくるのに、私に声をかける時は冷静そうな顔をしていつも通り話しかけてくるんだ。私が返事をしないと、焦って私の名前でも呼んでくれるだろうか。呼ばれたとしても、私は反応することが出来ないけれど。お母さんはきっと、私の枕元にでもあるだろう手紙を、旭日に渡してくれる。旭日は、読んでくれるだろうか。私の最後の手紙たちを。
いきなり、ドアが開いた。ペンを持つ手が机の上で小さく跳ねてペンを落としそうになる。まだ、看護師さんが見回りに来る時間でもないし、お見舞いに来れる時間でもない。ドアの方向を見るのが怖かった。怖かったけれど、意を決して見る。そこには、見た事のある女性が立っていた。上品そうなコートを着た、四十代後半から五十代前半くらいの。目元が早柴さんに似ている。そこで思い出した。
あ、この人早柴さんのお母さんだ。
「え、と…………早柴さんのお母さん、ですよね」
思っていたよりも冷静な声が出た。頭の中は大分混乱しているけれど。だっておかしい。まだ、朝の5時過ぎで。病院だって開いてなくて。お見舞いなんて来れる時間じゃないのに。それにどうして私の病室を知っているのだろう。早柴さんから私たちのことを聞いていなかったのはあの日の出来事でわかっていたから、私の名前を知っていたとも考えられない。私が疑問を口にする前に早柴さんのお母さんが寒そうに口を開いた。あの日とは違って、柔らかい声だった。
「あの時は、取り乱してごめんなさい。病院の人に無理を言って、入れてもらったの。どうしても、伝えておきたいことがあって」
早柴さんのお母さんは、そこで1度言葉を切った。何か言いずらそうに下を向いてから、もう1度私を見る。少しだけ目が、潤んでいた。
「にちか、新人小説コンテストに応募していたみたいなの。昨日、1次審査に通過したって連絡が入って……それってすごい確率でしょう。あの日は、あんなこと言ったけど応援してたのよ…。にちかは、小説家になると思うの。だから、篠井すみという名前を覚えていて欲しい」
早柴さんのお母さんは、そう言って深く頭を下げる。私は慌ててベッドから前のめりになる。
「分かりました。覚えてます。覚えます!というか、忘れません!本も買います!なのであの………頭をあげてください」
私の声で、早柴さんのお母さんは頭を上げてくれた。それから、早柴さんによく似た笑みを浮かべてありがとうと言って静かに出て行った。
書き途中だった手紙にペンを走らせる。一つ一つの思いを言葉にしていく。本当はこの言葉たちを私の声で誤解のないように伝えたいけれど、私は選ばなかった。私は手紙を選んだ。言葉は時に音にしなければ伝わらないこともあるけれど
音のない言葉でないと伝えられないことだってある。少し、長くなってしまったからもしかしたら旭日は、読むのに時間がかかるかもしれない。1週間か、1ヶ月か。もしかしたらそれ以上か。分からない。けれどきっと、彼は読んでくれるだろう。そして私の薦めた本もきっとどれだけ時間がかかるとしても読み終えてくれるはずだ。彼は決めたことは最後までやり通す人だから。どんな終わり方だとしても最後まで一生懸命な優しい人だから。読み終えたら私に感想を言いに来てくれるだろうか。私はそれを聞けるのだろうか。分からない。
私は書き終えた手紙を封筒に入れて、枕の下に隠すように置く。これは、私の秘密そのものだから旭日以外に読まれるわけにはいかない。これで全て終わった。もう何もすることは無い。私の言いたかった全てを言葉にしたから。安心してそれから自然に瞼が重くなって眠った。
9
結局、窓際の空席が埋まることは無かった。
彼女は。桜みたいに強くはないと言っていた彼女は、僕が授業を受けている間に死んだ。11月上旬、例年より大分早く初雪が観測されてから2日後のことだった。彼女の両親が僕に連絡をくれて、それで知った。2時間目の途中だったけれど授業放棄した。クラスメイトの騒めきも、先生の怒声も全部無視した。病院へ行く途中、雪で何度も滑って転んだけれど、そんなことどうでもよかった。それよりも僕は、彼女にもう一度春を見せてくれなかった神様を憎んだし恨んだ。信じられなかった。信じたくなかった。彼女が、死んだなんて。僕は、彼女の病室まで走った。病院で走ってはいけないことなんて重々承知していたけれど、今はどうでもよかった。
それでも信じざるを得なかったのは、病室に入ってから。彼女の両親が、泣き疲れたように呆然と立っていた。その顔を見て、もう信じるしか無かった。ゆっくりと、ベットに近づく。久々に見た彼女は、淡く青く咲き誇っていた。一見、眠っているようにしか見えなくて、思わず声をかける。
「…ねぇ、来たよ」
普段通り声をかけてみるけれど、反応はない。恐る恐る、頬に触れるとまだ少しだけ暖かい。人が死ぬ時、こんなにも綺麗なんだなと不謹慎なことを頭では思いながらも、受け止めきれていないことが口からだだ漏れだった。感情がどんどん溢れてくる。こんな終わり方だけは嫌だったのに。ちゃんと、目を見てさよならを言いたかったのに。さよならすら、言えなかった。
「なぁ、起きろって……おい、莉夏っ」
彼女が病気と知ってから、1度も呼んでいなかった名前を言ったというのに、彼女は目すら開かない。笑わない。いつもみたいに、本を読むことはない。まだ、彼女に手紙を書いていないのに。まだ、彼女から勧められた本を読んでいないのに。まだ、やりたいことも話したいこともあるのに。どうして彼女なんだ。神様はどうして彼女を選んだんだ。せめてもう一度春を見せてくれたっていいじゃないか。あと数ヶ月、あと少しで春なのに。
「起きろよ!死んだなんて嘘だろ!なぁ!?起きてくれよ……また旅行しようって言ったじゃねぇか!しねぇのかよ!なんでだよ!」
泣いていて、声が震えて、足も震えて。だんだんと彼女が居なくなった恐怖と寂しさと悲しさに包まれる。彼女のいなくなった世界なんて、考えたこともなかったし、考えたくもなかった。彼女だけが僕の世界で、生きる意味なのに。生きていく上で、必要不可欠な存在なのに。どうしたらいいんだ、僕は……僕は。
「ごめんね、旭日くん……っ」
一瞬、彼女が喋ったのかと思った。けれど、勢いよく顔を上げてみても、相変わらず目を閉じたまま。そこで思い当たる。あぁ、彼女のお母さんの声だ。彼女と彼女のお母さんは、本当によく声が似ているから。僕は、声の主の方を見る。涙でぼやけて、どんな顔をしているのかまでは見えない。けれど、確かに悲しい音色が聞こえてくる。
「どうして……謝るんですか」
疲れきった声をしていることに驚く。人は、心から大切な人を失うと疲れ果てるのだろうか。
彼女のお母さんは、体感で1分くらい沈黙した。余程言い難いことなのか、それとも悲しみが溢れているのか。どちらだろうか。どちらもだろうか。僕は待つ。だんだんと視界が鮮明になる。お母さんは、笑うように泣いていた。彼女と同じ様に、音のない涙を流していた。その姿が彼女とどうにも重なり、また視界がぼやける。
「………っ口止めされてたの、この子の病気について、あなたにだけは言わないでほしいって……っ」
喉で音が鳴る。僕も、彼女のお母さんもお父さんも泣いていた。なんの病気だったんですかって、聞きたいのに、喉で詰まって出てこない。ゆっくり、2回深呼吸をする。涙も悲しみも止まらないけれど、酸素を吸い込む。
「なんの、病気だったんですか」
出来れば彼女の口から直接聞きたかったことを口にする。ポロポロとこぼれていく、顎の先で大渋滞しているそれは、止まることを知らないみたいだ。彼女のお母さんは、話す時いつも目を見て話してくれる。優しい目をして、優しい顔で微笑む。
「メトヘモグロビン血症という、病気よ…。今は、治るんだけれど、この子の場合は進行を遅らせることしか、手段がなかったの……っ」
震える声で、僕よりも泣いているはずなのに優しい顔のまま言う。初めて聞く病名だった。彼女の肌が淡く青かったのも、関係しているのだろうか。そう僕が聞くよりも先に彼女のお母さんが口を開いた。それと同時に何かを差し出された。
「これ、全部あなた宛ての手紙とあの子が亡くなる十日前くらいからの日記よ。それからこれは、あなたが書いた手紙ね。これは、持って帰っていいかしら………莉夏の書いた手紙、受け取ってくれるっ?」
僕の書いた手紙とも言えないような手紙を、彼女が持っていてくれたことが嬉しかった。僕は彼女のお母さんから差し出された何通もの手紙と彼女の遺した日記を、受け取る。心做しか手が震えていた。僕は、息を吸ってしっかり2人を見てお礼をする。
「……ありがとうございます、連絡してくださって。彼女の最期を看取れなかったのはとても残念ですが、1番に連絡してくださったことがとても嬉しいです……っ。お手紙と日記、帰って読ませていただきますっ…」
語尾が震えてしまう。本当は怖い、手紙を読むのが。日記に何が書かれているのか、そう考えてしまう。僕は、2人にもう1度頭を下げてから病室を出た。家に帰る途中、冬の寒さで頭が少し冷えた。泣き腫らした目には丁度良かった。
家に着いて、母親に彼女が亡くなったことを告げる。母親は、僕の顔を見た瞬間悟ったようで。僕が言う前にはもう目が潤んでいた。母親は、そうと小さく呟いただけだった。夕飯はいらないと伝えて、僕は自室へ入る。コートも制服も脱がず、鞄をベットに放り投げてまず手紙を取り出す。薄いものもあれば、厚いものもある。彼女のことだから、薄いものから開けろと言うはずだ。
『旭日へ。
やぁ、元気かい。私は元気だよ。』
たった1行の、今までで1番短い手紙だった。文字からして分かるのに、必死に強がっているみたいだ。なんだか彼女らしくて口元が緩む。
『佐川へ。
夢を見たよ、ピストルスターの。ピストルスターってさ、まるで旭日みたいなんだ。こんなこと言ったらきっと、意味わからないって眉根を寄せるんだろうね。だけど、本当に旭日なんだ。』
文面の通り、僕は眉根を寄せた。どうやら彼女には全てお見通しらしい。封筒は、あと3通。
『佐川 旭日へ。
病室から、追い出したりしてごめん。成宮くんにも言っておいてほしい。私は多分、もうすぐ死ぬんだと思う。』
紙の上での言葉たちが、僕の記憶の彼女の声に変換されていく。彼女の声で、再生されていく。その音があまりにも冷たくて、涙が溢れる。封筒は、残り2通。けれど、1つは写真みたいだ。僕は、もう1つの封筒を開く。それまで依然として数枚に収まっていたのに、いきなり厚くなる。見たこともないくらい綺麗な字で書いてあるのを見ると、どうやらこれが僕宛てに書いた彼女の遺書なんだろう。慎重にゆっくり、文字を読む。
『佐川 旭日様へ。
どうか受け取ってください。これが最後の手紙です。私の、最期の言葉です。
旭日のことを、お前って呼んでいたことについて話したことなかったよね。私が旭日のことをお前って呼んでいたのは、いつ旭日に裏切られても自分が傷つかないようにするため。ごめんね、こんな酷い理由で。旭日のことを、信じていなかったわけじゃないよ。確かに、信じてた。
私は、旭日と出会う前の学校で虐められてた。暴力といえばそうなんだと思う。言葉の暴力で、精神的に虐められてた。だから少し、人間不信になっていたんだ。言い訳ばかりでごめんね。だけど、読むのを辞めないで欲しい。私がどうして旭日と一緒にいるようになったかを、聞いてほしい。私は、旭日に救われたんだ。いつも、旭日の無自覚な優しさに救われてた。だからいつか私も旭日を救えたらなと思って、旭日と一緒に居た。
どうだったかな。私、少しは旭日を救えたかな。救えていたら、いいな。私はずっと、大切な人へ傘をさせる人に、人の痛みを感じられる人に、心ほど目に見えないから何よりも大切にできる人になろうって思っていたから。旭日のこと散々傷つけた私が、言えることじゃないかもしれないけど。
告白をするね。私は、旭日のことが好きだよ。旭日の告白断っといて何言ってんだって思うよね。私は、断る以外に選択肢なんてなかったと思ってる。私は、旭日にはずっとずっと幸せでいてほしい。そう願ってるよ。だからどうか、幸せでいてください。幸せにならなかったら、幽霊になって旭日を祟るからね。絶対、小さな幸せでいいから幸せでいてください。私にとっての最大の幸せは、旭日が幸せでいることなんだから。
さて、長くなっちゃうからここら辺で終わりにするね。終わりにする前にお願いをします。
桜を見て私を思い出さないこと。
秋が大好きな人が居たなって、記憶の片隅に残しておくこと。
好きな人と、幸せでいること。
じゃあ、最後。
私は、桜みたいには強くなれなかったけど旭日と出会ってから少し、強くなれました。旭日のおかげ。ありがとうね。後、早柴さんのお母さんから聞いた。早柴さん、新人小説家コンテストに応募したんだって。名前は『篠井 すみ』。5月には発表されるみたいだから、本屋に行って探してよ。そして私の仏壇にでも置いておいて。お願いね。
最期の最後にどんな言葉が相応しいのか分からないけど。
さよならは言わないって決めてるから。さよならはどんな時も、苦しくて痛いから。決めたんだ。だけどさ、私は、気づいた。さよならが、さよならだけが旭日と居た対価なんだよ。』
気がついたら、手紙を握りしめていた。手紙はそれで、終わっていた。最後まで綺麗な字だった。
最後、彼女から聞きたくなかった言葉で終わっていたことに驚かなかった。何となく、想像はついていた。ついていたけれど、納得いかない。やっぱりさよならなんて聞きたくなかった。言ってほしくなかった。それに、なんなんだ。さよならだけが僕と居た対価だなんて。ふざけるな。そんなの、まるでさよならをするために僕等が出会ったみたいじゃないか。彼女が僕より先にいなくなることが最初から仕組まれていたみたいじゃないか。
「あ、あぁああああぁぁああああっ」
喉で死んでいた音が、生き返った。けれどそれは言葉にならなくて悲しみだけが溢れる。僕はそれから狂ったように泣いた。途中で母親が入ってきたけれど、気にならなかった。幼い子供のように泣きじゃくる僕を、母親が子供をあやすように抱きしめる。それから背中を摩ったり、一定のリズムで叩いてくれる。僕は、泣きじゃくり、しゃくりを上げながら母親に言う。
「なんでっ………なんでだよ、なんで!」
母親は、黙って息子の告白を聞いてくれる。
「っ好きなのに、何も……できなかったっ。………くっ、なんで死ぬんだよ、なんで!言いたいことも、行きたいとこも……っ沢山あったのに!なんで……っ」
息を吸い込むと涙まで入ってきて、むせた。母親が僕の耳元で柔らかく優しい声で、告げる。悔しがっているような悲しそうな声だった。
「だったらさ、今から言いに行ったらいいよ。………旭日、よく聞いて」
母親と僕の目が合う。強い光を含んでいる。僕は何も言えずに、ただただ見かえす。
「今は、一瞬なの。取り戻せないの。……だから、いっておいで」
優しい目をしていた。母親の目をしていた。
母親は夫を、僕の父親を事故で亡くしている。僕を身ごもっていた母親の代わりに買い物に出かけた時、雪でスリップしてきた車に轢かれたと言う。母親は、口に出さずともずっと後悔していた。命日は特に、いつもより昏い目をしていた。僕は、写真でしか見たことがなかったけれどとても強く、優しい目で笑う素敵な人だと思った。
僕は、ありがとうと小さく言って、部屋を出た。制服のまま、走る。それから、病院へと駆け込み彼女の病室へ急いだ。病室へ入るとまだ彼女の両親が居て、彼女の荷物を片付けているようだった。
勢いよくドアを開け放った僕を、2人が見る。お母さんが驚いたように口を開いた。
「あら、旭日くん……どうしたの?」
僕は、黙って彼女のベッドへと近づく。相変わらず、変化はない。ポケットから最後に残った封筒の中身を取り出す。それを、彼女の周りに棺桶に花を添えるみたいにばらまいていく。1枚1枚丁寧に。
北鎌倉の円窓。ビーフシチュー。クラス全員の笑顔。僕と彼女の制服姿。朝の海を背に溶けるように立つ彼女。紅葉の中で笑い合う男女4人。
僕が現像してこようと思っていたのに、いつの間にか現像していたみたいだ。ちゃんと撮れているか不安だったけれど、どれも綺麗に撮れていた。彼女の両親は僕の行動を黙って見て、ベッドへと近づいてゆっくり写真を見ていた。
「あの子は、莉夏は愛されていたのね……」
「はい。愛されていましたよ。………僕は、彼女に何度も救われて、変わることができたんです。………僕は」
彼女の両親をしっかりと見据えて、彼女には言えなかった言葉を音にする。なんだか、泣きそうになった。けれど泣くのをグッと我慢する。それから、口角を自然にあげる。
「僕は、鈴原 莉夏のことが好きです。ずっと前から。それは今も変わらないし、莉夏には大袈裟だと言われるかもしれないけど」
そこで一旦、言葉を止める。しっかりと息を吸って吐き出す。それから、莉夏を見て言う。
「確かに、愛してた。………ううん、愛してる。この気持ちを教えてくれて、ありがとな、莉夏」
最初で最後の彼女への言葉だ。それを彼女がまだ生きている時に伝えたかった。けれどきっと、伝わっていたとは思うんだ。彼女は、人の感情を読み取るのが得意だったから。届いたらいいなと願う。
僕は、ベッドを挟み向こう側に立っている彼女の両親へと視線を移す。2人とも、優しく微笑んでいた。
「ありがとう。好きだったではなく、好きだと言ってくれて。きっと、この子にとって君は生きる糧で必要不可欠な存在だったのだろうな。………ありがとう、ありがとう」
彼女のお父さんは、込み上げてくる感情を噛み締めて包むように暖かな声で繰り返した。彼女の両親に向けられた笑顔は、彼女にそっくりだった。
あぁ、生きていて、ほしかったな。死なないでいて、ほしかった。まだ、くだらないことで馬鹿みたいに笑っているところも、本の世界に入り込んでいる姿も、見ていたかった。できることならば、ずっと一緒に居たかった。何千回でも、お前って呼ぶ声を聞いていたかった。それをもう、見ることも聞くこともできない。もう、僕の世界の彼女は居ない。
また、涙が溢れてきてしまって止まらない。声をあげることも無く、彼女のように音のない涙を流しながら彼女の病室を後にした。
僕の世界の全てで、僕の心臓のような存在だった彼女が消えてからも当然のごとく、僕以外の世界は変わらなかった。彼女は一般の女子高校生なのだから当たり前なのだろうけど。僕は、ベッドの中で蹲り悲しみに支配された。襲ってくる悲しみを両腕を目一杯広げて、受け入れた。彼女が亡くなったのは金曜日で、土曜日も日曜日も僕は引きこもった。月曜日も火曜日も引きこもった。体ではなくて、心が動かなかった。大量の鉛を放り込まれたみたいになんの感情も湧かなくて、ただただ泣いていた。
水曜日のお昼過ぎ。学校に連絡もしないで友達からの連絡さえ無視をして居た僕は、掃除機の罵声で目が覚めた。泣きすぎて腫れた目は重くて上手く開かなかったけれど、掃除機をかけているのが母親だと言うことはすぐにわかった。母親以外にいないからだ。意味がわからなかった。母親は今日も仕事のはずなのに。どうしてこの時間に家に居て、しかも掃除機をかけているのだろう。そんなことを考えていたら、頭まで被っていた布団を引き剥がされた。そして掃除機の罵声が消えたと思ったら、母親の声が飛んできた。
「いつまでそうしてるつもりなの。あなたにとってあの子がどれほど大切だったのかは知ってるし、悲しいのも理解してる。……でも、だからっていつまでも止まっていたら進まなくなるよ。……今は一瞬で、今はいつかなの。ゆっくりでいいから、立ち上がらなきゃ」
ベッドに寝転がったままの、寝癖のままの頭で。泣きすぎてぼんやりしている脳内で、母親の発した音が一つ一つ鮮明になっていく。それから、良く開かない目で目の前に立つ母親を見上げる。母親は、少し怒ったような優しい顔でこちらを見ていた。子は親に似るというのはどうやら本当らしい。この人の不器用なところが僕にも遺伝したんだなと、確信した。有難かった。そんなことを思っていたら、だんだんと視界がぼんやりして頬に生暖かいものが流れ始めたのを感じた。人の感情に触れて、泣くなんてないと思っていたのに。僕は今こうして泣いているのだな。そう自覚はしても、涙を止めることはできなくて動けなくなる。そんな僕を見て母親は、仕事行ってくるねと一声かけて部屋を出ていった。僕はそれからしばらく泣いていたけれど、ようやく部屋の輪郭が分かり始めた時、棚に置いてある1冊の本に目がいった。彼女から勧められた本だった。本嫌いの僕が初めて本屋で買った文庫本。彼女に読んだら感想を教えると約束をしたのに、結局まだ1文字も読んでいないなんて、彼女は怒るだろうか。それまでほとんど動かさなかった体を起こして、棚の本を取る。表紙の文字を頭の中で読む。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。中学生の時国語の授業で少しだけ読んだことのある作品。そう思っても懐かしさは感じなかった。それは恐らく、僕がこの話をあまり好きではなかったからだろう。
ジョバンニとカムパネルラの友情が純粋に描かれている、それこそ夜空の星々のような美しい作品だとは思うけれど。なんだか、好きにはなれない。なんて言ったら、きっと彼女は怒って本の良さを1時間以上話すんだろうけれど。僕が彼女のような文学少年だとしても、好き好んで手には取らないと思う。と、ここまで好きではないと言っておきながら僕は、手に取ったそれを開く。彼女はいつも初めて読む本でも何度でも読み込んだ本でも、開く時や、ページをめくる時にはとにかく楽しそうな顔をしていたなと、思い出しながらやっと一文字目を読み出す。
全て読み終わるのはいつ頃になるだろう。彼女との文通で多少は文字を読むことに慣れたけれど、まだ長くは読んでいられない。多分だけれど1週間はかかってしまうだろう。その頃には、気持ちの整理はついているだろうか。分からない。けれど僕は読み終わった本を持って彼女の自宅に向かうだろう。そうして、随分と遅くなってしまった謝罪と読み終わった報告と、約束していた感想を告げるだろう。そして新しい年になって、桜が散った頃に早柴の本を探しに本屋に行って彼女に言われた通り、彼女の元へ届けるだろう。
彼女のいない次の春は、青く舞うだろうか。夏は、花が綺麗に咲くだろうか。秋は、長く感じるようになるだろうか。冬は、いつもより寒くなるのだろうか。そうしていつか、そういう感覚さえも忘れてしまうのだろうか。
僕が愛した彼女のことさえも忘れてしまうのだろうか。だとしたら最初に、彼女の声を忘れるのだろう。少し低くて、乱暴な呼び方をする声も、楽しそうに本の話をする声も、悲しみを含んだ泣き出しそうな声も、感情を押し殺した声も。彼女の全ての声を忘れてしまうのだろうか。
そう考えただけで悔しくなる。永遠に愛した人のことを覚えていたいのに、それができないのか。
金曜日。眠れなくて寝不足のまま、気持ちの整理はまだつかないまま、ごちゃごちゃの頭で学校へ行った。教室に入った途端、視線が僕を突き刺す。誰からも何も言われなかった。ただ、同情だとか哀れみだとか。そんな視線だけが送られた。みんな、勝手だと思った。窓際一番前の成宮は、僕が入ってきても一切顔を挙げず突っ伏したままだった。僕も、人に話しかけられるだけの余裕なんかなくて、無言で席に着いた。ふと、彼女の席へと視線を向ける。窓際1番後ろ。日当たりの1番いい席。彼女はいつもそこで文庫本開いて楽しそうにページをめくっていた。当然だが、そこには彼女の姿はなくて造花なのか生花なのかわからない名前も分からない花が、花瓶に挿してあった。朝日に包まれてとても儚いように感じてしまったけれど、その感情さえも今はどうでもよかった。散り際こそが美しいだなんて言葉を思い出してしまった自分が、馬鹿みたいだ。彼女のいない教室は、吐き気をもようすくらいに居心地悪くて、空気感がまとわりついてくるみたいで気持ちが悪かった。僕は、教室に先生が入ってくるまで机に突っ伏していた。空気を吸っていたくなかった。
担任からも、他の教員からも何も言われなかった。4日間。無断欠席をしたと言うのに、お咎めも何もなかった。それが何だか、腫れ物扱いをされているようで嫌だった。それはどうやら成宮も同じようで。先生たちなりに気を使っているのだということは分かっていた。わかっていたけれど、4時間目みんなが睡魔と戦う中で僕は無言で立ち上がる。
「ど、どうした?佐川」
オドオドしたような様子を伺うような声で、教卓の先生に問いかけられる。僕はそれから何も言わずに教室を飛び出した。飛び出したあとの教室は知らない。とにかく歩いて、学校内以外の空気を吸い込みたくて、屋上へと出た。
「あぁぁあああぁぁぁあああ!!!!!!……あぁぁあぁぁあぁああぁあ!!!!」
僕自身、頭がごちゃごちゃで考えることすら面倒臭くて、だけど何か叫びたくて。結局一番出やすい文字だった。息が切れるほど叫んで、また叫んで。授業中なのに、関係なしに叫びまくった。膝から崩れ落ちて、叫びながら涙声に変わっていくのを感じた。目元を掌で乱暴に覆う。
「……あぁぁぁぁあ!!!!」
後ろから、僕と同じように叫ぶ声が聞こえた。驚いて振り返る。成宮がいた。追ってきたのだろうか。両手を固く握って、体いっぱいに叫んでいた。そんな成宮を見て、僕は思わず笑ってしまった。僕より息が切れていて、僕より泣いていたから。恐らく、ずっと我慢してきたのだろう。早柴の死から成宮はずっと悲しむ素振りを見せなかった。その場の空気を明るくしようと、必死に話を続けて笑っていた。
「っもう!泣いていいのかなぁぁぁあ!………もう我慢しなくていいのかなぁぁあ!!!」
僕は、前を向いて立ち上がる。そうして、成宮へ返答する。
「泣けぇぇぇええええ!!!思いっきりっ!!!!」
僕らは、泣いていた。立ったまま、目の前に広がる青色に目を眩ませながら。先生達が慌てて駆けつけてくるまで、僕らは泣いていた。
その日、家に帰ってから日記の存在を思い出す。手紙と一緒に貰ったのに触ることすらしていなかった。B 5サイズのノートを手に取り、めくる。ほのかに埃の匂いがした。
11月1日。私はあまりベッドから起き上がれなくなった。家族以外面会禁止にして、本当に良かったと思った。母や父がお見舞いに来てくれても、私は話すことも面倒臭くて2人の声に頷くくらいしかできなかった。2人ともほとんど毎日お見舞いに来てくれて、今日仕事であったことやテレビの話題などを楽しそうに話してくれた。
11月2日。変わらずベッドから起き上がれない。体が鉛みたいに重くて動きたくない。トイレに行く時以外はもう、ベッドからは起き上がらない。それでも手紙だけは書いた。これしか旭日に伝える手段がないからだ。だけどペンを持つのも辛くなってきた。最後の手紙、最初に書いておいて良かった。
11月3日。母が祖父母を連れてお見舞い来てくれた。普段は遠いところに住んでいるから久しぶりに会えて嬉しかった。だけど、申し訳なくて泣いてしまった。泣かないと決めたのに。祖父母は困ったように笑って大丈夫だよと言ってくれた。祖父母の話にも、私は頷いて笑うことしかできなかった。帰り際、おばあちゃんとおじいちゃんよりも長生きできなくてごめんねと伝えたら、2人も母も泣き出してしまって、今日は2回も困らせてしまったなと少し後悔をした。
11月4日。旭日が病院の受付で私宛の手紙を渡すようお願いしてきたらしい。私は、一瞬だけ嬉しくてベッドから起き上がった。すぐに冷静になって、その途端体から力が抜けて横たわる。看護師さんが旭日からの手紙を机の上に置いて行ってくれた。私はそれを、緊張しながら開く。
『あのさ、傷つけたとか思ってるんなら心配しないで。僕は傷ついてないから。また、送るね。』
普段通りの、彼の手紙だった。話してる時と何も変わらない不器用な言い回しで優しさに溢れていた。私はその手紙を引き出しの真ん中に仕舞う。彼からまた送られてきたら、ここに仕舞おう。
11月5日。少し、息が苦しかった。変な汗が止まらなくて少しだけ焦った。そうしたら過呼吸になってしまって少しだけ大事になってしまった。申し訳なかった。夜、眠れなくて空を見たら月がすごく綺麗だった。街はとても明るくてあまり見えない星も、海沿いの病院はとても暗くて天の川が見えた。
11月6日。ご飯を食べるのが辛くなった。スプーンを持つこともままならない。多分もうすぐなんだと思う。今日は、空がとても近くてベッドからでも手を伸ばせば届くんじゃないかなんて考えてしまった。
11月7日。朝すごく寒くて、雪でも降るんじゃないかと思った。窓から吐き出した息が、白くなっていた。今日、旭日からまた手紙が届いた。けど、体が動かなくて、お見舞いに来てくれた母に読み上げてもらった。相変わらずさっぱりした、優しい文章だった。
『だんだんと寒い日が続いてるね。君はどう?体調、崩してない?予報では、もうすぐ雪が降るかもって。僕、冬は嫌いじゃないよ。人の体温を感じられるから。』
彼は少し、詩人っぽくなってきたんじゃないかと笑う。笑ったのは、なんだか久しぶりのような気がした。
11月8日。本当に雪が降った。朝起きて少しいつもより寒いなと思ってカーテンを開けたら、ほんの少し白く染っていた。久しぶりにテレビをつけると、例年より大分早く初雪が観測されたとニュースがやっていた。窓から外を見ていたら、子供たちがはしゃいでいてなんだか温かい気持ちになった。
11月9日。できるだけ嘘がないようにしよう。人の痛みを感じられる人になろう。大切な人へ傘をさせる人になろう。心ほど目に見えないから何よりも大切にしよう。そう思って16年間生きてきた。私は、そういう人生を送れたのだろうか。分からない。ただ今は、旭日に会いたい。謝りたい。お礼が言いたい。好きだとしっかりと目を見て言いたい。
11月10日。今日は眠くて、寝てばかりだ。眠るように死ねたらいいのにな。
10
莉夏の死を僕の素直じゃない脳みそに受け入れさせるのに、半年もかかってしまった。半年かけて莉夏の死を受け入れて、莉夏のきっかけの本を読み終えた。読み終える頃にはもう早柴の本も本屋に並べられる頃で、莉夏の家へ向かう途中に本屋に寄った。『篠井 すみ』を探して本屋を歩き回る羽目になるかと思ったが、そんなことは無かった。本屋に入ってすぐ、「待望の新人!篠井 すみ!」という大きなポップと共に本が積み重なっていたからだ。思わず、すげぇと声に出てしまった。莉夏の元へ持っていく本と自分で読む用と2冊買った。本を読むのはまだ時間がかかるけれど、1年前より嫌いではなくなった。
成宮とあづまと合流してまずは早柴の家へ向かう。あづさんの持っている本屋の袋の中には、恐らく僕と同じ本が入っているんだろうななんて想像をする。
「なあ、今日暑いしさ〜!アイス食わねえ?」
「お、いいね。賛成」
「同じく」
途中でアイスを買った。5月になると急に暑くなる。口の中で溶けていくのと冷気とか心地よかった。
「そういえば成宮くんは、にちかの本読んだ?」
アイスの棒を食われながら空を眺めていた成宮にあづまが問いかける。成宮はドヤ顔をする。
「ふっ。お前ら俺が読まないとでも???ネタバレしてやろうか、あの小説の結末はなあ」
「「うわあああああぁぁあ」」
危ない。あづまと2人で停めなければまだ読む前の早柴の本をネタバレされるところだった。
「じょーだんだって!!!」
ニカッと白い歯を見せてこちらを向く。こいつは本当に夏が似合う男だ。
「この度は──」
あづまが口を開くのを遮るように早柴のお母さんが口を開く。怒っている印象はなかった。
「ありがとう。来てくれて、さあ上がっていって。佐川くんも、成海くんも……あづまさんも」
僕らに安堵にも似た笑みがこぼれる。まだ完全に受け入れて貰えた訳では無いのあづまは言っていたけれど、本当に少しづつ少しずつ受け入れてもらえているみたいだ。
早柴にそれぞれお選考をあげる。リビングに戻るとお菓子とお茶を用意してくださっていた。
「ありがとうございます」
「いえ。わたし、驚いたのよ。あの子お友達は多いんだろうなと思っていたけれどそれ以上だったから、。あの子はあんなにもたくさんの人に愛されていたのね……」
最後は少し涙ぐんでいるように聞こえた。
そこから少しお母さんのすすり泣く声が続いた。
「あの、これ」
遠慮がちにあづまが1冊の本をテーブルに置く。それは、先程僕が購入したものと同じだった。
『夜の明けない世界で』。
そう題名の後には「篠ノ井 すみ」と明記されていた。お母さんはそれを見た途端にまたボロボロを泣い始めていたけれどなんだか嬉しそうに見えた。
「ありがとう…………この本私も買うわ。私の知らなかった。私が見ていなかったあの子のことが沢山詰まっているんでしょう、、?」
問いかけたのか分からなかったが、あづまだけは静かに頷いた。
それから、莉夏の家へとお邪魔させていただいて本の感想と早柴の本を仏壇に添えて、家を出た。風が吹いて、遅咲きの桜が舞っていた。桜は、淡いピンク色をしていた。けれど、空の青と重なる瞬間だけはやっぱり青くなった。
1年後。僕は今日も成宮と話している。早柴のことや彼女のこと。それからあづまさんのこと。最近、あづまさんと僕と成宮の3人で会うようになった。うだるような暑さの中、坂を昇ったところに建ったカフェで会うのが毎回だ。カフェに着く頃には3人とも汗だくで、人は少ないけれどさほどクーラーの効いていないカフェで彼女や早柴のことを話す。カフェのオーナーがあづまさんのお父さんなんだそうだ。どことなく似ていた。あづまさんの家族はあづまさんを全面的に受けいれてくれているらしい。まだまだ世界はジェンダーのことについて理解不足だと感じる。僕もそうだ。だからこれから本を読んだり聞いたりして学んでいこうと思う。変わっていく世界をすんなり受け入れることは難しいことで。だから昔からの風習や考えが今も残っていて。どのくらいの時間がかかるか分からないけれど、変化を受け入れていくべきだと思う。
僕は、受け入れた。彼女の死も、彼女の言ったさよならだけが僕と居た対価だと言う言葉も。受け入れて新しく考えた。彼女を忘れるのは諦めて、彼女ごと愛したまま生きていこうと。僕は最初、愛なんかなくても生きていけると思っていた。けれどそうじゃなかった。人はみんな愛に飢えているのかもしれない。愛されたくて多くの人と関係を持ったり自分を傷つけたりしてしまうのかもしれない。親からの愛情。子供からの愛情。教師からの愛情。友達や恋人からの愛情。色々な愛の形がある。愛し方は1つじゃない。それが当たり前とされる世界になればいいなと思っている。愛の形はそれぞれで、きっと理解出来ることなんてないのだろう。解ったフリをされるくらいなら解らないままでいいと言う人もいるだろう。それでも僕らはそれぞれの愛の形を知るために何かへと必死に愛を求めるのではないだろうか。
僕は前を見て、過去の自分へなのかそれとも彼女になのか分からないけれど呟く。風に乗って彼女の元へも届くんじゃないかと淡い希望を抱いて、さようならと。
それから僕は壊れた。成宮はきっとわかっていたんだと思う。莉夏が死んだら僕はきっとこうなると。だから今もこんな目で見てくるんだ。憐れむような目で。ムカついてくる。イライラする。お前に何がわかるんだ。僕のことなんて知るはずない、分かるはずないのに。
「なんだよ、その目は。見てくんなよ。気持ち悪いんだよ、消えろ」
頭の中の僕が言う。やめろと。そんなんで辞められるのならもうとっくに辞めている。辞められないからこうなっているんだ。
「うるさいっうるさいうるさいうるさい!!!お前に何がわかるんだお前に……!!」
「なあ、旭日」
「呼ぶなっ………呼んでいいのは莉夏だけだ!……莉夏、莉夏莉夏莉夏莉夏莉夏莉夏」
成宮が僕の方を酷く強い力で掴む。そうして目を覚まさせるみたいに揺さぶる。あたまがぐわんぐわんする。おかしくなりそうだ。
「旭日!!旭日!!!起きろ旭日!!!!」
悲痛にも似た声で成宮が叫ぶ。泣いていた。屋上で叫びあった時以来の涙だった。
起きろ………?僕は目は覚めている。眠たくもないし、それなのに起きろとはどういうことだろう。それにこの声はなんだ?僕の声なのに、まるで別人のような。
「起きろ……?何言ってるんだお前。起きてるだろう僕は」
「違う!旭日は起きてない!!俺の知ってる…俺たちの知ってる佐川旭日はお前じゃない!!」
「なんでそんなこと分かるんだよ!分かるわけない!だって僕らは他人だろう!!」
そう言うと成宮が少し怯んだ。何かを抑えるようにグッと唇をかみ締めてから口を開く。まるで大切なものを扱うかのように。一つ一つの言葉を紡いでいく。
「分かるよ……っ。だって佐川旭日は、言葉の重さも鋭さも知ってる。言葉は刃物だ。だから一つ一つの言葉を刃物にしないように伝えるんだ。人を傷つけないように言葉を使うんだ」
そこで気がついた。『僕』は僕では無い。佐川旭日はこんなんではない。大切な人を、大切な友達を傷つけるような奴じゃない。言葉は刃物だから、傷つけないように使うのが佐川旭日だ。そう彼女から教わったから。
11.
僕の世界の全てだった莉夏が死んで、僕は壊れたんだと自覚した。カレンダーを見ると、2年が経過していた。そして僕のいるところは病院のベッドの上。ここ数ヶ月の記憶が全くない。どうして成宮が泣いているのかも病院のベッドの上に僕がいるのかも何も分からない。今まで僕と成宮がなんの話しをしていたのかすら分からない。いい話では無いということだけがその場の雰囲気でわかった。
成宮はどうして泣いているのだろう。もしかしたら傷つけたのだろうか。僕のせいだろうか。
「…………なに、成宮?なんで泣いてるの?」
そう問いかける僕の方が泣きそうな声をしていた。成宮はゆっくり顔を上げる。驚いた顔をしていた。それから微笑んだ。なんだか安心しているように見えた。
「お名前は?」
医者みたいなことを聞いてきた。少しムッとしてしまった。なんなんだ、急に。
「なんだよ急に。よく知ってるだろ。僕は佐川旭_____」
成宮が飛びついてきた。抱きついてきたのでは無い飛びついてきたのだ。正直痛かった。肋が特に。
ようやく気がついた。自分が生きていることに。いや、そりゃあそうなんだけど。何となく生きている感じがしていなかった。
「旭日…………!!!起きたな………っ、起きたな……っ。よかった…っ、ほんとによかった……っ」
その言葉たちで少しずつ、記憶が戻る。
過去の自分なのかそれとも彼女へなのか分からないけれど、さようならと呟いた次の日。僕は『僕』になっていた。
「莉夏のいない世界なんて生きている意味が無い!!!」
「旭日って呼んでいいのは莉夏だけだ!!!」
「お前らに何がわかるんだ!何も知らないくせに!!」
「僕の辛さも苦しさも分かるわけないだろ!!分かられてたまるか他人なんかに!!!」
「母親だからってなんだ!?どうせ他人だろう!?僕のことなんて分かりもしないくせに!」
「成宮なんてもっと他人だろ!!」
僕はそうして沢山の人を何回も傷つけて、殺した挙句死のうとしたんだ。橋から飛び降りて彼女の元へ行こうとしたんだ。けれど空はまだ迎えに来てはくれなかったみたいだ。僕はまだ息をしている。
成宮の声が滲んでいた。泣いているけれど先程のとは違うのが分かる。安心や喜びみたいな声をしていた。
自分の言った言葉たちを思い出して、苦しくなった。実際に刃物を向けたのは僕なのに。刃物を向けられて刺された人達に今すぐ謝りたい。どんなに痛かっただろう。どんなに苦しかっただろう。何人の人たちを僕は、何度殺したのだろう。言葉が刃物だなんてそんなこと、知っていたのに、分かっていたのに。分かっているつもりになっていただけなのだろうか。実際心の底では分かっていなかったんだろうか。
僕らはいつだってそうだ。大抵、周りに気付かされる。無くなってからしか大切なものに気づけない。それじゃあもう遅いのに。大切なものほど傷つけてしまってから無くなってからしか気づけないなんてあまりに酷い話だ。
それなら最初から手になんて入れなければいいのに。大切なものほど手に入れようとしてしまう。そうして、壊すんだ。手に入ったものはいずれ壊れてしまうとわかっているはずなのに。
僕らは確かに他人だ。だから分かり合おうとしても限界がある。分かり合えないことだってあるかもしれない。他人じゃないのは結局、自分自身だけなのだと僕は思う。人間の本質的なところは自分しか知らないのだと思う。それでも僕らはお互いに求め合うように息をするのだろう。そしてきっと僕らは生きている限り限り大切なものを手に入れるために必死になり、時には壊したり手離したり。愛を求めて繰り返していくんだろう。傷つくことも傷つけてしまうことも多々あるだろう。それでも僕らはそうしていかないと生きていけないのかもしれない。愛がなければ、生きていけないのかもしれない。
瀬南 葵と言います。初めまして。今回、この作品を書くにあたり絶対に書こうと決めていた箇所があります。それは、早柴さんとあづまさんの関係についてです。現在、ジェンダーと言う言葉を聞く機会が増えたなと感じている方もいるのではないでしょうか。自分もその1人で、高校の授業でジェンダーについて調べた際、自分がXジェンダーの類であることが発覚しました。詳しく言うと自分の場合は不定性でパンセクシャルというものであると自覚しました。また、愛の形も人それぞれだということも学びました。同性同士だろうと異性同士だろうと人間です。恋愛対象が人間でないとしても、それでも愛です。愛していることに変わりはありません。堂々と愛していてください。
最後に。自分は、言葉で人を救いたくて小説を書き始めた人種ですので、これを読んでくださった方を1人でも救うことが出来ていれば幸いです。