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第三話 近藤勇の兄弟子

 江戸から京までの移動は16日間かけて五街道の一つ、中山道を進む。

 距離にして約540km。つまり単純計算で1日30km以上を歩くこととなる。


 転生する前、交通機関が麻痺し徒歩で会社から死にそうになりながら帰ったが、その時の距離がおよそ30kmだった。30kmは東京駅を起点としたとき、国分寺、横浜、柏あたりまでの距離になると後で知った。


 改めて昔の日本人の健脚ぶりには驚かされる。実際新見錦のこの屈強な身体も今のところびくともしない。

 肉体は精神に余裕をもたらしてくれるのだろうか。そのため険しい街道を歩きながらも直近の新選組の関連トピックスを頭の中で洗い出す作業に没頭できた。


「沖田さん、今日って何日でしたっけ?」


 いま心を許せるのは沖田林太郎しかいない。そのためついつい何かと甘えてしまう。


「今日は2月9日ですね」


 そもそも新選組という名前はどこから来たのか。それは江戸中期の会津藩の軍政に存在していた新選組(新撰組とも)から取られているというのが有力だ。

 会津藩主、松平容保はこの浪士組上洛の前年より、京都守護職として京の治安維持を担っていた。


 今からおよそ半年後に京で起きる〈八月十八日の政変〉における働きぶりによって松平容保及び会津藩から認められ、壬生浪士組は新選組へとその名を改めた。


 壬生浪士組は京の人々から非常に評判が悪かったらしい。

 その原因は筆頭局長"水戸派"の芹沢鴨の乱暴狼藉による部分が大きいのではないかと思う。

 当然京都守護職の松平容保にもその悪評は耳に入っただろう。そこで"試衛館派"の近藤勇に何らかの決断を迫ったことは想像に難くない、というのが定説で、そのあたりの会津藩と近藤勇たちの政治的な機微は様々な作品で虚実入り混じり描かれている。


 そこにだれのどういう思惑があったのか、そしてだれが動いたのかは分からない。ただ、歴史的事実としてその時〈壬生浪士組〉の"水戸派"は壊滅し、近藤勇を首領とした〈新選組〉は歴史の表舞台へと躍り出る。


 つまり新見錦の記録は壬生浪士組の名と共にこの1863年文久3年で途絶える。


 さて、新見錦はどのような最後を迎えたのか。実はこれも諸説ある。というよりあまり資料らしい資料がないというのが正しいのかもしれない。


 "水戸派"の首魁である芹沢鴨が近藤勇を中心とする"試衛館派"によって粛清されたであろう数日前に、新見錦は何らかの不祥事を起こし咎められた上で切腹させられた。


 つまりおれはこのままだと半年後に切腹により死ぬこととなる。当然坂本龍馬が暗殺される1867年を迎えることは出来ない。


「おい、新見さん、さっきから難しい顔してどうしたんだい?朝めしでも食いそびれたのかい?」


 後ろから呑気な声をかけてきたのは先程沖田林太郎と親しげに話していた気の優しそうな男であった。


「源さん、今日の新見さんは調子悪いみたいなんだ。だから、ね?」


 沖田林太郎は面倒に触れるな、という感じで男をいなそうとする。何となくだが新見錦は沖田林太郎からかなり気を遣われている。それも尊ばれているのではなく"腫れ物"扱いの方だ。


(あれ、そういえばまさか源さんというのは…後の新選組六番隊組長井上源三郎か⁈)


 おれはこんな貴重な出会いをぼんやりと流してしまっていた。井上源三郎とは天然理心流における近藤勇の兄弟子で、新選組創設メンバーの一人である。


 新選組の井上源三郎という人物は創作上においては"人柄は良いが剣の腕は並"という描かれ方をされがちだ。


 しかし新選組幹部の中で最も地味とも言える井上源三郎はいざ本人を目の当たりにするとその印象は創作とはだいぶ違う。


 穏やかなのはその通りだったが、江戸っ子っぽさを感じさせる軽妙な口調で、人懐っこく、豪快そうな気質は沖田林太郎に続いておれは好感をもった。

 それによく見るともみあげのあたりが面擦れによるものなのかチリチリとなっていて、激しい剣術の稽古の跡が見てとれる。天然理心流の免許皆伝は伊達ではないと感じさせる。


 映像作品によっては中年を通り越し、井上源三郎を老人の役者が演じることさえあったが、この街道を悠々と歩く所作は活力に満ちていて、当たり前だが老人などには見えない。実際に年齢も近藤勇より5歳上なだけだった。


 近藤勇は質実剛健な武士、土方歳三は怜悧な参謀、沖田総司は病弱な美剣士、と言うのがざっくりとしたパブリックイメージとなりそうだが、創作上のこの三人とのバランスとったとき、自然と"好々爺"ポジションを当てはめられてしまったのかも知れない。


「いや、大丈夫でござる。それはそうと井上さんは近藤さんたちと一緒の組ではなくて残念でしたね」


「ん?新見さん、あんたそんな話し方だったか?まぁいいや、そうなんだよ、うちの試衛館の中ではわしと林太郎さんだけがこっちに回された。ただ厄介者は一つにまとめた方が目付役は楽なんじゃないか?だから若先生や、トシ、総司は一まとめにされ、素行の良いわしらは別に集められたんだ。そうに決まっている!わはは!」


 井上源三郎の口から出た若先生というのは近藤勇、トシは土方歳三、総司は沖田総司なんだろう。そんな人物たちがこの行列のどこかにいるのだと思うと改めておれはドキドキした。


「それにこの阿比留さんも殿内(とのうち)さんのお仲間だからな」


 阿比留と呼ばれた背の小さい、商人の子倅のような男は「へい」と相槌を打つ。

 おれは三番組下の名簿を見てみると阿比留鋭三郎と名前があった。


(ああ!確か壬生浪士組結成後すぐに亡くなった人物として大河ドラマで描かれていたような…)


 いまはどう見ても健康体のこの男はわずか2ヶ月後に亡くなる。それは病死とも隊内粛清とも言われている。


 だがおれがその結末を知るのは阿比留鋭三郎だけではない。近藤勇、土方歳三、沖田総司、そしてこの井上源三郎の人生の結末もおれは把握しているのだ。


 そう考えると歪んだ全能感、そしてそれと同じくらいの背徳感がおれを包み込んだ。

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