第一話 天才剣士の兄
今回の更新からようやく本編スタートとなります。
「もしもし、にいのみさん、起きてくださいよ、そろそろ出発とのことです」
肩を遠慮がちに揺すられておれは徐々に眠りから覚める。
無茶苦茶な夢を見た。街を歩いていたら飛び降り事故に巻き込まれ、天使みたいな少年から坂本龍馬暗殺を阻止するよう注文を受けた。
その夢の最後でおれは幕末の誰に転生したんだっけ…。
「にいのみさん!支度をしないとまずいですよ!」
にいのみさん?おれの名前は田中…
重い瞼を開けると綿の少ないせんべい布団に顔を沈めていた。
(ここは…またおれのワンルームじゃない!)
連日続く異変におれは跳ね起きた。
すると傍に正座をしていた中年の男と目が合う。
「ぎゃあああああッ!!」
それに驚きおれは思わず悲鳴を上げてしまった。
「す、すみません!新見さんが出てこられないので。しかしもう出発ですよ」
おれに軽く謝罪した男は粗末な着物に、裾に黒い縁取りのついた野袴を穿き、襦袢と手甲を身につけていた。そして中年の男なのに髪全体が長く、後頭部の少し上あたりで結っている。この月代を剃っていない総髪は幕末の武士に流行した髪型だったはずだ。
(うそだろ…。おれは本当に…)
違和感は周りだけではない。薄い肌着から覗くおれの身体はこれまでの中年太りをしたタプタプしたものではなく、贅肉がほとんどない、頑強な筋肉を纏っていた。
(おれはおれじゃなくなっている…)
さっきまでの出来事が夢でないという実感が不安とともに押し寄せる。
最後のガチャで引いた、〈新選組の新見錦〉へとおれは本当に転生したのか…?そうなるとここは幕末の京都…なのか?
しかし総髪の男は俺のことを"にいみ"ではなく、"にいのみ"と呼んでいる。
近代国語が確立するまで日本では当て字が多かったという。
戦国大名の浅井長政は"あざい"か"あさい"かで今も結論が出ていない。
織田信長は"おだ"のぶながと読むのが定説だが、"おた"が正しかったなんて説もある。
そもそも新"選"組にも新"撰"組と表記揺れがある。ちなみにどちらも学説的に正しいらしく、昔の日本人はその辺は結構大らかだったのだろう。
なので新見錦も新見錦もどちらも正しいのかもしれない。
ただこの名前、当たり前だが呼ばれ慣れていない。ラーズくんの話だとおれは転生先の人物、つまり新見錦の記憶を引き継ぐと言っていた。
だが目の前の男の記憶も、ここが何処なのかも分からない。他者の記憶を引き継ぐ、というものがどういう感覚なのかは検討もつかないが、飛び降り事故に巻き込まれる前の自分と新見錦であるはずのいまの自分は完全に地続きという感じがしている。
まずは新見錦についておれの知識を総動員して整理する必要がある。
だがその前にこの総髪の男は先程からおれに急げと言っている。
「出発って…どこへですか?」
すると総髪の男は怪訝な顔をした。あまりにストレート過ぎる質問であっただろうか。
「…どうかされました?今日は本庄宿まで目指すようですよ。ここはまだ鴻巣宿ですからね」
総髪の男は戸惑いながらも丁寧に答えた。
「本庄宿?鴻巣宿?それは京都のどの辺ですか?」
「ん?寝惚けてますかな?京まではまだまだ十日はかかりますよ」
おかしい。ラーズくんはおれの転生する先は"1867年の京都"と言っていた。
まず現状の把握が急務だ。幸い言語等の問題はなく、コミュニケーションを取るには支障が無さそうだ。
「あの、仰るとおりまだ寝惚けているみたいで。おれ…、いや拙者の名前は…なんでござったか?」
拙者もござるも正しくない気がするがつい思いつきで口走ってしまった。
しかし男は口調には触れないどころか、強い警戒の表情を浮かべた。どうやらこの男と新見は冗談を言い合うような気安い関係ではないらしい。
「何か私をお試しになっているんですか?あなたは水戸脱藩浪士、新見錦。私たちは浪士組として京へ登る途上にあります。そして昨日芹沢鴨さんが急遽浪士組の取締役へ昇格したので、あなたが我々三番組の組頭となったのですよ」
少しずつ状況を理解してきた。
まずおれは記憶こそないが新見錦への転生には成功しているようだ。だが時と場所が違う。今は幕末の歴史年表で言うところのいわゆる〈浪士組の上洛〉中となる。つまり1867年慶応3年の京都ではなく、1863年文久3年の埼玉あたりとなる。
3回目のガチャ中、あの謎の空間〈魂の座〉の受付では地震が起こり混乱状態へと陥っていた。
もしかしてそれが原因で転生自体にバグのようなものが発生してしまったのではないだろうか。おれが新見錦の記憶の引き継ぎを失敗したのはそれが原因?
「どうしました?本当にそろそろ集合場所に行かないと皆が困りますよ」
現状を必死に紐解こうとするおれに総髪の男は痺れを切らす。しかしこうなったら怪しいついでだ。
「あの!本当に大変失礼なんですがあなたのお名前を聞いてもよろしいでござるか?」
「は、はぁ。良いですけど…。さっきから何の冗談なんですかね。私はあなたと同じ三番組の沖田です」
「へ?沖田?」
これはいきなり大物に遭遇したのではないだろうか!のちの新選組一番隊組長・沖田総司。
その写真は現在のところ確認されておらず、創作においては新選組随一の天才剣士で、儚げな美青年として描かれてきた。しかし近年では新選組の後援者であった佐藤彦五郎の子孫の"ヒラメ顔"というテレビ番組での発言が広まり、逆に美青年として描かれない作品も増えている。
おれはこれまで謎に包まれていたその容姿をまじまじと眺めた。
沖田総司の写真はないが肖像画は残されている。月代を剃り、目が細く、頬がふっくらしたオカメのような顔。まさに沖田の顔はあの肖像画が年齢を重ねたように見える。
(あれはよく出来た肖像画だったんだなぁ。それに体格も良いし、結構丈夫そうだ)
歴史の真実を垣間見れる。この坂本龍馬の暗殺阻止のための転生はこんな感慨を繰り返すことになるのだろうか。
おれは喜びと感動から沖田総司へさも親しげに話しかける。
「おお。そうだ、沖田総司さんだ!どうもどうも」
「あ、いえいえ。それは義弟の名です。私は義兄の沖田林太郎です」
そういえば肖像画は沖田総司の姉ミツと結婚した林太郎の孫をモデルとしていた。肖像画は沖田総司よりも兄の林太郎の面影を反映しているのではないかと思った。
「それは大変失礼しました!沖田林太郎さん。あの、ここに鏡はないでござるか?」
本来沖田よりも前におれはこの新見錦の顔の確認をする必要があった。新見錦も、その親分の芹沢鴨も写真の存在は確認されていない。
だがまぁ、イメージからすると悪人顔ではある気がする…。
棚の上に長い柄のついた鏡があり、それを沖田林太郎が手渡してくれた。
現代からは考えられないくらいにずっしりと重い手鏡を顔の正面へ持っていく。
恐る恐る鏡を覗くとそこに映ったのは……傷だらけの顔だった。
両目の下にはがっつり顔を横断する傷が走り、額にも二乗の傷が刻まれている。それは刀で斬られたというより、野生の熊にでも襲われたような傷跡だった。
しかしよく見ると瞳は大きく、睫毛も長いため、可愛らしい顔と言えなくもない。
髪型も案外現代風というか、総髪ではなく癖っ毛の短髪だった。
だが電車でこの顔をした男の隣が空いていてもおれは座らない気がする…。
あまり見たことがない、新選組の新見錦がメインの作品となります。
気を衒いたい訳ではなく、新選組の幹部でありながら新見錦という人物は新選組が初期に滞在していた八木邸の御子息も新見を「まるきり覚えがない」と語っていて、謎の人物だと気になってました。
新見は壬生浪士組の局長から副長へ降格させられているのですがその理由も不明です。そして切腹の理由も諸説ありますが明治に長州派の志士が祀られている霊山招魂社に新選組であったのにも関わらず祀られています。
最近、新選組水戸派の研究も進んでいるとのことで最新の学説を追って行きたいと考えてますが、後に登場する高台寺党の伊東甲子太郎は新見と同じ神道無念流の金子健四郎の門人なのです。新選組で謀殺された側には水戸藩を通じて奇妙なつながりを感じます。
この辺の織り交ぜて話を進めていこうと考えております。ぜひお付き合いください!ブックマークの登録もお願いいたします。