第十一話 近藤と永倉
旅籠屋の入り口に侍る屈強な男はこちらに気付くが特に反応を見せない。
その男を見るなり沖田総司の表情がパッと明るくなり親しげに声をかける。
「永倉さん!無事に人数分の宿は押さえられましたよ」
近藤勇に伴われ本庄宿に先行したうちの一人に新選組二番隊組長、永倉新八がいるとら聞いていたが、またしても偉大な人物に遭遇することが出来た。
「ああ、ご苦労だったな。近藤先生は二階でお待ちだ」
そういうとぷいと横を向く。沈黙が苦にならないタイプなのか言葉が続かなくても気にする様子はない。
永倉新八はこの時代でほぼ初めて遭遇する愛想の悪い男であった。
「永倉さんはどうしてこんなところで所在なく立っているんです?」
「幕吏を本陣とし、上役を一段上等な宿にし、さらに小頭も割り振った旅籠の上室をあてがい、色々とあれこれ注文される。私の手には余る」
ため息を吐くように永倉は呟く。しかし、悪びれた様子は一切ない。
「そんなんだったらこちらに手伝いにきてくださいよ、気が利かないなぁ。うちの義兄とあなたと同じ流派である新見先生なんて行列を掻き分けてここに駆けつけてくれたのですよ」
「それは意外」
永倉はおれがいることをとっくに認知しているはずだがいま存在に気付いたような素振りを見せる。
多くの新選組の幹部は内部粛清、明治新政府成立後の内戦での戦死、そして病死と新時代を迎える前に多くは亡くなっている。しかしこの永倉新八は明治以降も生き残り、この寡黙な男は口述による貴重な回顧録を残し、新選組再評価へ大いに貢献した。"芹沢鴨の大焚火事件"も彼の残した新選組顛末記が出典と思われる。
永倉は松前藩士で新選組の中でも数少ない武士階級の人間であった。その経歴はこの新見錦と同じく、神道無念流の免許皆伝で、各地で武者修行をしながら天然理心流の近藤勇と出会い、近藤が主である"試衛館"の食客となったという。
その実力は沖田総司をも凌ぐともされ、沖田総司の圧倒的な明朗さとは対照的に静かで清廉な佇まいを見せている。
近藤勇がこの浪士組参加に至ったきっかけは諸説あるが、永倉新八を通じて近藤勇の試衛館派と芹沢鴨の水戸派は引き合わされたと井上源三郎は言っていたのでその説が正しかったようだ。
ところで新見錦と永倉新八の関係性は同じ神道無念流ということ以外は不明である。年齢は新見の方が上のはずなので新見が先輩なのだろうか。
その関係性を前提におれはビクつきながらちょっと上からな感じで"おう"と軽く挨拶をし、沖田兄弟に続いて村田屋へ入る。
今の態度はめちゃくちゃ失礼だったかもと後悔を伴いながら階段を上がるとすぐ目の前に部屋があった。
「沖田です、戻りました」
間髪入れず沖田は襖に向かって声をかける。
「うむ、ご苦労だったな」
想像していた野太い声とは違って少し繊細そうな甲高い声で返事があった。
沖田が襖をすすっと開けると中には2人の男が卓の上に紙を広げて、せわしなく筆を動かしていた。
1人は痩せた学者風の男、そしてもう1人は大柄な男だった。
「ご苦労だったな、総司。おお、林太郎さんも来てくれたのか?ん?そして新見さんか?」
大柄な方の男は沖田を労ったあと、おれに目をやる。
大きな顎に総髪を結い、折り目正しい武士然とした男。その第一印象は有名な、この過去転生ガチャのピックアップにも使用されていた写真のままだった。
床の間に正座をし、腕を組んだどこか険しい表情。あの写真が撮影されたときは伏見で狙撃され左肩を痛めていたとか。
これが後に幕末の京の治安を一手に引き受け、不貞浪士を震えあがらせた新選組の近藤勇か。しかし実物を目の前にするとあの写真から受けるような威圧感は感じず、少し甲高い声は丸みを帯びていて優し気な響きがあった。




