第八話 赤い雲
「なんと…お見事!」
わずか二手で宇野蔵之介の意識を奪ったおれの剣術に沖田林太郎が感嘆の声を漏らした。
(いける…)
おれはこの幕末の争乱を生き延びるだけの能力がこの新見錦の肉体に備わっていることを確信した。
「なんだ、新家くん、噂に名高い水戸の孤狼はこんなものか。随分と手ぬるい」
おれはどこか満足げな表情でもしてたのだろうか?芹沢鴨は小馬鹿にしてきた。まぁ実際妙な高揚感を覚えているが。
「ん?どうした?君たちは何をボサッとしている?かかって来ぬのか?」
宇野がおれにあっさり倒されると数的有利が幻想だったと思い知らされたのか、芹沢鴨の剣気に圧され狼狽する黒頭巾の男たちは攻めあぐねているようだった。
草むらの虫の鳴き声と、宇野のうめき声が輪唱している。
その不快な輪唱を遮るように芹沢へ向かって一人が叫びながら踏み込む。
「奸物下村ッ!!覚悟ッ!」
芹沢鴨は口元に微笑をたたえたまま動じない。
(なにしてる?斬られるぞ!?)
芹沢は黒頭巾の男を目と鼻の先まで引きつけると抜き打ちで逆袈裟に斬り上げた。その瞬間、時間が静止したように思えた。
(お、おい、まさか、本当に斬りつけたんじゃないだろうな…)
おれの心は右往左往している。気付くと今度は敵であるはずの黒頭巾の男の身を案じていた。
すると黒頭巾の男はそのままゆっくりと芹沢の横を通り過ぎる。
突進した足は勢いを無くしたが男に変わった様子は見られない。
それを見ておれが安堵をした瞬間、大量の血が噴水のように噴き上げた。
「……うあああああああッ!!!!」
斬られた者を描くとき、血煙が舞い上がった、と表現する時代小説を読んだことがある。本当にその血はまるで沸騰した赤い水のようで、この林の冷気に触れれば赤い雲になるのではないだろうか。人間の肉体を構成する大部分が水であるということを突如目撃してしまった。
男は芹沢の斜め後ろにそのままうつ伏せに倒れ込むと「ぐぐぅうう」と聞き慣れない低い声で呻く。そのあとビクビクと痙攣したかと思うとすぐに動かなくなった。
芹沢は刀を振って血を払うと再び構えをとる。残り二人の黒頭巾の男は既に戦意を喪失し、立ちすくんでいた。
鳩尾を打たれ身体をくの字に曲げていた宇野は何とか身体を起こすと、おれと芹沢を交互に見やる。
「ふむ。そうやすやすと私を京には辿り着かせたくないようだな」
芹沢鴨はそう呟くとおれに視線を向ける。
「さて、新見くん。残りの始末は頼めるかな?」
(始末?残りの人間を殺せというのか?)
芹沢の口調はまるで事務仕事を振る上司のようだった。
(おれはあんたがこの後の本庄宿で暴走するのを防ぐために汗をかいていたんだ)
芹沢に助けられた格好ではあるが"そもそもあんたのために動いていたおれに何を命じてるんだ"という気持ちもある。
「お断りします。私は近藤勇さんの宿割を挨拶がてら手伝おうと思って先を急いだだけだ。この人たちを殺す理由がない」
おれは恐怖よりも不貞腐れた感じで答えた。それがギリギリの強がりだ。
「芹沢さん、それは誓って本当だ」
沖田林太郎もおれのフォローに入る。
「ふむ。そうか、宿割の手伝いか。それは重要だな。新見くん、先を急ぎたまえ。この処理は浪士組取締役である私が適当にしておこう」
芹沢鴨と新見錦は浪士組以前からの同志なのかと思っていたが、どこかよそよそしい。
芹沢はおれに何か疑念を抱いたのかも知れないがそれを払拭する材料がおれにはない。
「そうします。さぁ沖田さん、急ぎ近藤さんのお手伝いにまいりましょう」
平静を装い沖田林太郎へ声をかけその場を離れる。
芹沢とはそれ以上目を合わせず、すれ違おうとした刹那、不穏なことを呟く。
「君とやり合ったら負けはしないだろうが、私も無事では済まないだろうしな」




