第七話 神道無念流が二人
ただならぬ状況を前に緊張した面持ちで駆け付ける沖田林太郎とは対照的に、それに続く侍はどこか微笑を口元に湛えながら草むらを悠然と進む。
おれと視線が合うとどこか親しげに声をかける。
「ふむ。新家粂太郎君、いや、新見錦と名を変えたんだったな。どうしたのだ、水戸の孤狼と呼ばれた君が誰かと連んでいるのか?」
沖田林太郎はこの状況を把握出来ぬままここに辿り着いた経緯を話す。
「偶然後方にいた芹沢さんにお会いしたんだ。新見さんのことを話したら自分も、とついてきてくれた」
すると黒頭巾の男が身構えながら声を震わす。
「し、下村ッ!」
「ん?下村?誰だそれは。私のことか?私の名前は芹沢鴨」
「ふん!ふざけた名前をつけおって!」
やはり…!この侍こそが芹沢鴨!まさか近藤勇より先にこのタイミングで遭遇するとは。
芹沢鴨は面長で黒目が大きく吸い込まれそうな双眸に、紅く厚い唇はどこか気品を漂わせている。
芹沢鴨の写真は残されていない。しかしこの容姿が後年伝わっていたら、この男がのちに京都で暴発し、幾多の不祥事を残したとは誰も結び付けないのではないだろうか。
「全く…。学のないものは皆そう反応をする。この名は神武天皇が大和入りする際、道案内をした八咫烏に因んでいると何故想起できない?私はこの名で、迷える者たちを導き、尊王攘夷の魁となるのだ」
芹沢鴨は"尽忠報国"と刻まれた愛用の鉄扇を右手に持ち、自分の肩をポンポンと叩く。
「こんなところまでノコノコと現れおって!ちょうど良い、計画は早まったが貴様の首、ここで持ち帰ってやろう!宇野!新家はお前がやれ!」
そう言うと黒頭巾の男3名は芹沢鴨に対して陣形を整える。そして宇野は刀を抜くとおれを見据える。
これまでおれへ同僚や見知らぬOLから嫌悪や侮蔑などの小さな悪意が放たれたことは何度もあった。それらに当然いちいち傷付いてきたが、白刃を手に向き合う者から受ける心的圧迫はその比ではない。
人生において初めて向けられる殺意と敵意に身体の芯が急激に冷たくなっていくのが分かる。
しかしその強烈な敵意を前にしてもおれの身体は不思議と動じなかった。
この新見錦の身体はこんなシチュエーションを何度も経験しているようだ。
すると心も肉体に釣られるかのように、恐怖は瞬く間に全身を駆け巡り、大きく息を吐き出すとみんな外部に放出された。
宇野はジリジリとにじり寄り「やぁ!」と気合を込めておれへ斬りかかる。
喧嘩なんて小学生以来したことがない。いや、白刃が煌めく喧嘩なんて当たり前だが初体験である。
それにも関わらず宇野が振りかざす刀はスローモーションのように見えた。身体は勝手に反応し、刃を直前まで引きつけてからひらりと躱す。
それが奇跡ではないことの証拠にそんな芸当を汗もかかず何度も繰り返す。新見錦と宇野の力量には大きな差があると感じられた。
おれは新見錦の記憶の引き継ぎに失敗した。だが記憶喪失の人間が自転車にそのまま乗ることが出来るように、どうやら肉体の記憶の引き継ぎには成功していたようだ。
幕末の剣術は単なる"敵を倒すための技術"にあらず。禅や神道、儒教などの影響を受け、宗教と思想が混淆した神秘主義的な色彩を濃厚に備える。
当時の剣術道場の入門には儀式や、道場の規則を守ることを神に誓う起請文の提出などもあり、現代人の感覚からすると些か面食らうであろう。
記録によれば新見錦はこの神道無念流の免許皆伝であった。
免許皆伝とはその剣術において全ての奥義を修了したことを意味する。
新見錦の神道無念流免許皆伝、という剣術の位は尋常ではなく、彼が本当に物語の序盤で容易く消費されるような悪役であったとしたら過ぎた経歴と言えよう。
全力で放った力をかわされるとエネルギーの行き場を無くし、ひどく消耗する。
宇野ははぁはぁと肩で息をし始めている。それを見ておれは柄に手をかけ刀を抜いた。
するとその場の空気は一変し、宇野が忽ち緊張したのが伝わってきた。
それはそうだ。この白刃を振り下ろせば相手はたちまち肉の塊と化すのだ。
現代に生きている限り、どんなに社会的な立場があろうが、格闘技を習っていようが"その気になれば相手を殺せる"という確信を持つことはなかなかないだろう。
しかし、この幕末においておれはその確信を手に入れ、尚且つある程度それが社会的に許容されている。
宇野も大したもので、先程を発生した自身の"怯み"を打ち消すように、今まで一番鋭い一撃を放ってきた。
おれは咄嗟に抜いた刀で切り結ぶと、そのまま流れるように柄頭で鳩尾を激しく突いた。
「うごぉッ!」
当たり前だが殺す訳にはいかない。だがこの一撃は自分で言うのも何だが会心の手応えであった。
宇野はうめき声を上げると吐瀉物を撒き散らしその場に崩れた。




