暴君と共産主義
暴君。
皇帝としての権力を利用して国民を圧迫し、自分への支持を強要し、宮殿全体の内政を支配していた。
専制政治を行ったのは皇帝だ。
共産主義。
生産手段の私的所有権を排除することを主張する、集団主義にシェアリングエコノミーを組み合わせた政治思想である。
各人の能力と必要性に応じた生産手段の公有制と、集団生産を確立し、階級闘争による無階級社会を構築すべきである。
この統一システムでは、土地と資本財は国民が共通に保有し、通貨も国家も廃止されていた。
簡単に言えば、自由も報道の自由も発言権もない。
暴君と共産主義に共通するものがあるとすれば、それはこの三つに違いない。
自由がない。報道の自由がない。発言権がない。
暴君は共産主義であり、共産主義は暴君である。
この二つの主義も互いに存在し、相互依存している。
双方が一つの主義を欠いていたら
ならば、暴君は暴君ではない。
ならば、共産主義は共産主義ではない。
共産主義は地球上で非常によく見られるもので、私は共産主義の恐怖を見たこともありく。
私は異世界で共産主義を見たことがないし、共産主義があるのかどうかさえ疑っている。
異世界に本当に共産主義があるのかどうか、今でも考えていく。
その共産主義は、地球上の共産主義と同じで、恐怖も同じだ。
しかし、私は何度も何度も間違っていった。
今回、異世界の暴君共産主義がいかに恐怖で倒錯しているかをようやく知ることがでった。