第87話 におい問題
な、何このにおい……。
私は思わず手で鼻を押さえた。
生臭いというか何というか、胸がむかむかする嫌なにおいが店中に充満してますけど!?
「どうした?」
え、どうしたって、臭いでしょ!?
だけど、目の前に店の人がいる状況で「この店クサいですよね」、なんて言えないってー!
クリス様って鼻が悪いんだろうか。
まあ、女の人の方がにおいに敏感だって言うけどさ。
「いえ、別に……」
「そうか?」
今は言えませんから、これ以上は追及しないでください。
「クリス様、チェリーナは様子がおかしいのが普通ですから」
アルフォンソ、そんな言い草あんまりじゃない!?
……って、あれ?
クリス様やジュリオはともかく、敏感そうなアルフォンソまで顔色一つ変えてないな。
「いらっしゃいませー。こちらのお席へどうぞー」
給仕係は入口付近に立ち止まっている私たちへ愛想よく笑いかけると、片手を窓際のテーブルへ向けながら席まで案内してくれた。
そして、私たちが椅子に腰かけると、すかさずメニューを差し出してくれる。
「この店は大海老料理が有名だと聞いて来たんだが」
一瞥しただけでメニューをパタンと閉じたクリス様が、給仕係に尋ねた。
「はい、おかげさまでー。当店のおすすめは茹で海老ですがー、焼き海老もご好評をいただいておりますー」
そうなんだ。
なんでかな……、不思議と今の私はどっちにも心惹かれないよ……。
「両方頼んでみんなで食べることにしよう。チェリーナはどっちも食べてみたいだろ? 他にもおすすめの郷土料理をいくつか持って来てくれ」
ずいぶん適当だな。
メニューをよく見て美味しそうなのを選べばいいのに。
ちょっと私にも見せてください。
私は、クリス様がテーブルに置いたメニューに横から手を伸ばした。
…………なるほど、よく分からん。
このお店は意識高い系のネーミングセンスなのか、名前からはどんな料理か想像しにくいぞ。
これじゃ、おすすめを持って来てくれって言いたくなるのも無理はない。
「かしこまりましたー」
私は遠ざかる給仕係の背中を見送った。
はー……、それにしても、食欲が無くなるにおいだな……。
「みやげも欲しいんじゃなかったか? ついでに持ち帰り用も頼んだらどうだ」
「それはいいですね。僕もラヴィエータに食べさせたいですが、まずは味見をしてみましょう」
みんな……、和気あいあいとして、誰一人においを気にする様子がないね……。
もしかして、私の鼻がおかしいんだろうか。
でも、食事は楽しく食べないとな。
私は胸のあたりをさすりながら、必死に作り笑いを浮かべた。
「おまたせいたしましたー。”漁師風大海老のグリル、ガーリックハーブソースを添えて”、”ペリペリ農園直送、新鮮野菜とこだわり卵のぺリコローソ風オムレツ”、”料理長の気まぐれ魚介サラダ”でございますー」
注文して10分程待っていると、次々に料理が運ばれて来た。
ふうん、こういう感じの料理だったのかあ。
縦に真っ二つにカチ割ったところが”漁師風”ってことなの?
アゴスト伯爵家の海老料理も縦割りだったけど、あれも漁師風だったのかな。
それはまあどうでもいいけど、ガーリックがとてもパンチの効いたにおいを放っていて、ますます気分が悪くなってきたよ……。
「おー、うまそうだな!」
ジュリオは元気そうでいいね……。
「早速食べようか。ーーチェリーナ、なんだか大人しいな? そういえば、少し顔色が悪いか?」
クリス様は横に座る私を見て、ふと顔色の悪さに気が付いたようだった。
「え……、そうでしょうか。やっぱり、大量の血を失ったせいかもしれません……」
たぶん貧血なんじゃないかな、今まで貧血になったことないけど。
早く宿に行って横になりたいよ……。
だけど、みんなお腹を空かせてるし、そんなわがままは言えない。
「さすがにもう治っただろう? 手を見せて見ろ」
クリス様は私の手を取ると、巻いていたハンカチと治癒薬をそっと外した。
私は自分の手のひらを見て、あることに気が付いた。
「あッ、手のひらに傷痕が残っています……!」
端から端までざっくりと一本の線が横切っている。
なんてことだ、手相が変わってしまった!
これじゃ私の運命が大幅に変わってしまうかもしれない。
「それはただの皺だろ。誰でも手のひらには皺があるぞ」
えー、そうかな?
こんなのあったっけ?
あ、よく見たら無傷の右手にも同じのあったわ。
「おまたせいたしましたー。”朝獲れ近海大海老のボイル、3種の自家製ソース添え”でございますー」
給仕係の方へ顔を向けると、パエリア鍋のような形の入れ物にこんもりと盛られた海老が、目の前にどーんと現れた。
私たちのテーブルは、あっという間にモワッとした湯気に包まれて逃げ場がなくなってしまう。
……あ、コレだ、このにおい。
これがダメなにおいの元だよ、すごく苦手なにおいーー。
うぷっ。
まさか……ッ、怪我をしたせいで海老アレルギーを発症したんじゃあるまいな!?
「チェリーナ、食べないのか? 海老は大好物だろう?」
早速茹で海老に手を伸ばしたクリス様が尋ねた。
一向に食べようとせず、汚れた手を拭うために持って来られた手拭きをもてあそんでいる私が不思議なようだ。
「えっと、海老がこっちを見ています」
茹でたにおいが苦手っていうのもあるんだけどさ、実は海老と目が合うのがちょっとアレなんだよね……。
「は? 見てないだろ? 茹でてあるんだから」
「でも海老の頭がまるごとで怖い」
バキッと折って、殻を剥いてかぶりつくんでしょ……?
目もあるしトゲトゲもいっぱいあって、見た目がグロすぎる。
「まったく……。俺が剥いてやるから」
「いえ……、なんだか食欲が無いんです。疲れすぎたのかもしれません」
クリス様に私の食べる分の海老を剥かせるのはいくらなんでも甘え過ぎだ。
ジュリオとアルフォンソの視線が痛い。
「そうなのか。果物でも持って来てもらうか?」
「はい。さっぱりしたものなら食べられそうです」
「チェリーナが食欲ないなんて、珍しいこともあるよね」
アルフォンソ、どういう意味かな?
「私は繊細なのよ」
「へー……。ーーすみませーん! 追加の注文をお願いしまーす!」
気のない相槌を打ったアルフォンソは、片手を上げて給仕係を呼んだ。
「はーい、ただいまー。ご注文をおうかがいしますー」
「果物の盛り合わせはありますか?」
できれば今はトロピカルフルーツよりも、食べなれたオレンジとかいちごがいいな。
この島にはないかもしれないけど……。
「はい、ございますよー」
「あっ、俺はパンも食べたい。みんなは?」
私もパンなら食べられそうだ。
「俺ももらおうかな」
「僕も」
「私も食べます」
全員だね。
やっぱり食事には主食がないと。
「かしこまりましたー」
「この島ではパンが食べられるんだな」
そういえば、ボルカノ島民は小麦粉を知らないと言っていた。
「この通り沿いにー、島で唯一のパン屋がありますからー。材料はフォルトゥーナ王国からのー、輸入品だと聞いていますー」
なるほど、アゴスト伯爵領から定期船で届いてるのね。
そして、給仕係は厨房へ引っ込むと、籠に盛ったパンを持ってすぐに戻って来た。
「おまたせしましたー」
え、これがパン?
手のひらサイズで薄くて平べったいピタパンのようなものは、フォルトゥーナ王国でよく食べられているパンとはだいぶ違っている。
「ーーうん、これはこれで中々うまい」
早速手を伸ばして一口頬張ったジュリオが感想を言う。
私も食べてみよっと。
「……なんだか油っぽいわ」
モチッとした生地を引きちぎると、表面にオリーブオイルが塗られているのか、指先にべっとりと油が付いてしまった。
やっぱり果物だけにしておけばよかったと後悔するけど、ちぎってからいらないとは言いにくい。
私は無理やり口の中へ押し込んだ。
ーーゴクン。
うう……、油が……、きついよ……。
ますます気分が悪くなってきたかも……。




