第68話 公爵夫人の立場とは
私はビビの丸い頬に手を当て、優しく涙を拭ってからゆっくりと立ち上がった。
すると、傍で私たちのことを見ていたクラリッサ姫が、私の足元へタタタと走って来てバッと勢いよく片手を上げた。
えっと、その手は何かな?
「クララもできるー!」
え……、なにが?
「クララも、いーっぱいごはんたべて、いっぱいあしょべるよ!」
いえ……、別に頼んでません……。
あれはビビに言ったことだからね?
クラリッサ姫は普段からやりたい放題、本能の赴くままに生きてるってとっくに知ってるから。
「クリスティアーノ様、マルチェリーナ様。ビビのことは、トリスタン伯爵家が責任を持って育てるとお約束いたします。どうかご安心ください」
「そうか……。頼むな」
「よろしくお願いいたします」
ロマーノは信用に値する人物だし、ビビが不幸になるようなことはないと信じてるけど。
それでも、寂しいものは寂しいな……。
「チェリーナおねえさま、ぼくもちゃんとビビのめんどうをみます! だから、しんぱいしないでください」
お?
「トニーにいさま、ずるい! ぼくのほうがビビをすきなのに!」
おおっ!?
「ちがう、ぼくのほうがすきだよ!」
なんだなんだ!?
2人の王子の間でビビの取り合いが始まったぞ!?
「わかったわかった。トニーとアルの2人で仲良くビビの面倒を見てくれよ」
クリス様はすかさず王子たちの間に入り、さりげなく2人を引き離した。
「ほほほ。子どもたちがみんな仲良くなってよかったわ」
よかったですか!?
ビビの取り合いになってますけど。
まあ、まだ年齢一桁の子どもだし、そのうち他に好きな人が出来るとは思うけどね。
……出来てくれないと、兄妹で好きな子の取り合いなんてシャレにならない。
特に、ゆくゆくは王位を継承するであろうアントニーノ王子は、平民の母親から生まれたビビと結婚できる可能性なんてほとんどないだろうし……。
「さあ、こっちだよ」
「うん」
「クララもー!」
ビビの手を引いてバルーンに乗り込んだアントニーノ王子を見て、クラリッサ姫とアルバーノ王子も次々と後を追う。
クラリッサ姫は両親と別々で大丈夫なの?
国王陛下も王妃様も気にする様子がないから、どっちに乗っても別にいいのかな?
結局、子どもたちは4人ともアルフォンソが操縦する方のバルーンに乗り、きゃあきゃあと賑やかな声をあげている。
「それでは、皆さま。お先に出発させていただきます」
アルフォンソはそう一声かけ、先にバルーンを飛び立たせた。
2つ同時に浮かび上がると、うっかりぶつかるかもしれないからね。
「気を付けてねー!」
アルフォンソには行きも帰りも操縦をお願いしていて、ただでさえ忙しいのに申し訳なかったけど、もうちょっとだけよろしくお願いします。
風魔法使いのアルフォンソが一緒だと、帰りはトブーンを加速して飛んでこれるから大助かりなのだ。
「それじゃ、行ってくるな」
「はい、お気を付けて」
アルフォンソのバルーンに続いて、クリス様が操縦するバルーンも飛び立って行く。
すーっと浮かび上がるバルーンを見上げていると、先に飛び立ったバルーンの籠からビビがひょこっと顔を出したのが見えた。
「ねーたーーーん!」
ビビが精一杯の大きな声で私を呼んでいるのがここまで聞こえてくる。
「ビビー! 元気でねー! 必ず遊びに行くからねー!」
私は手を振りながら、ビビに向かって声を張り上げた。
ビビもひらひらと小さな手を振り返してくれる。
そして、寄り添うように2つ並んだバルーンは、王都を目指して速度を上げて行った。
私は2つのバルーンが完全に見えなくなるまで、ただその場に立ち尽くし、いつまでも遠い空を見上げていた。
「ぐすっ……。うう……、もう寂しくてたまらないわ……。ズビ」
私は鼻をすすりながら、何も見えなくなった今もしつこく王都の方向を見続けている。
「奥様……。先ほどは国王陛下もいらっしゃいましたので聞けませんでしたが、南の島とは何なんです?」
しょんぼりする私を慰めるでもなく、毒舌侍女のカーラがどうでもいい質問をぶつけてくる。
その話、別に今じゃなくてもよくない?
私がこんなに落ち込んでるのが見えないのかな?
「カーラったら……。南の島とは、南の方角にある島のことを言うのよ」
「それは分かっています。探しに行くとはどういう意味なんですか?」
探しに行くの意味が分からないって、カーラ大丈夫なの……?
もう一回学校に入りなおした方が良くないか。
「探しに行くというのは、どこにあるか分からないものを、人に聞いたり歩き回ったりして見つけ出すという意味なのよ」
「言葉の意味を聞いてるんじゃありません! 一体どういうおつもりなんですか!?」
意味を教えてあげたのに怒られた!
「何を怒っているのよ? どこにあるか具体的に分からない島に行きたいから、クリス様と探しに行くつもりなの。その島にどうしても欲しい植物があるのよ」
「奥様ッ!」
ふぎゃ!
めっちゃ怒ってる!
ぜんぜん心当たりがないけどな!?
「どうしたの……?」
「ご自分の立場をお忘れなのでしょうか!? もう甘やかされ放題のお嬢様ではないんです、公爵家の奥様なんですよ? どこの世界に自ら探検に行く公爵夫人がいるんですか! そういう危険なことは冒険者の仕事です!」
えええ!?
ダメなの?
「でも、クリス様だって反対しなかったわ」
私は口をとがらせて抗議してみる。
公爵夫人だからって、アレしたらダメ、コレしたらダメなんて横暴だと思うな!
アメティースタ公爵領は、女性が存分に活躍できる領にしたいし!
「旦那様は奥様を甘やかしすぎです!」
「エヘ、そうかしら?」
クリス様ったら私のこと大好きみたいなんだよね。
みんなにバレバレなんてちょっと恥ずかしいな。
「褒めてません!」
むうー、怒りんぼめ!
「でもぉー、今回はー、帰りにビビのところに顔を出すってもう約束しちゃったしぃー。次からなるべく気を付けるしぃー。だからいいでしょー、カーラ?」
私はわざと甘えた声でねだってみる作戦に出た。
「語尾を伸ばして話さない! 上目遣いでクネクネしたって駄目ですからね! ーーでもまあ……。私もビビをガッカリさせたい訳ではありませんから。どうか、くれぐれも危険なところへは近づかないでください。それから変な生き物を拾ってきたり、その辺に生えてるものを口に入れたりしないように」
うへえ……。
まだ何もしてないうちから、よくもまあそんなにガミガミと……。
言っとくけど、私はその辺に生えてるものなんて食べないからね?
それに、毒キノコとかは、派手な色が危険ってちゃんと分かってるんだから。
「分かっているわよ。私はしっかりしている方だから大丈夫! クリス様のことも私がちゃんと守ります!」
「攻撃魔法を使えないのに、またそうやって適当なことばかり言って……。危ないところにわざわざ自分から突っ込んで行ったこと、私は忘れてませんよ」
ああー、私が子どもの頃に魔の森へ入った話をまた持ち出し始めた!
その話はもういいよ……。
もう何度も怒られてるし、私の中ではとっくに時効が成立している案件です。
「大丈夫だってば! 私も大人になったから!」
「根拠のないその自信はどこから……。はあー……、不安でたまりません……」
心配性だなあ、カーラは。
魔物相手に戦うわけでもないのにさ。
「へーきへーき。あ、そうだ、ケーキでも食べる?」
甘いものでも食べれば、カーラのイライラも落ち着くんじゃない?
「ふざけないでください! 旦那様がお帰りになったら、奥様から目を離さないでくださいとよくお願いしておきますからね!」
カーラに必要なのはケーキよりカルシウムだな……。
おかげで悲しみの涙も引っ込んだけどさ。
それにしたって怒り過ぎだよね。
ミケーレのお給料には、鬼嫁手当を付けてあげるべきか本気で検討しよう。




