第67話 別れの時
そしてロマーノは、国王陛下と王妃様にも事情を説明しなくてはと言って私たちのコテージを後にした。
残されたクリス様と私の間には、重苦しい空気が広がるばかりだ。
「……ロマーノの弟のこと、夢で見ていたのか?」
「え……?」
なんの話?
「ロマーノに話を聞く前から事情を察していたんだろう?」
ああ……、そういえば、ビビはロマーノの隠し子だと勘違いしてたんだっけ。
「いえ、夢に見ていたわけではありません。なんとなくそう思っただけで……」
隠し子がどうこうとは口には出さなかったから、クリス様はまた予知夢が的中したかのように思ったかもしれないけど。
むしろ、今回の推理は惨敗でした……。
「そうか。それにしても、まさか実の父親が見つかっても一緒に暮らせないとは考えてなかったよ……。もしかして亡くなっているのかもしれないとは思っていたが、生きているのに別々に暮らすしかないとはな」
私も継母と暮らすことを心配していたけど、父親が引き取らないとは微塵も想像していなかった。
「ビビにはロマーノから話をするのでしょうか?」
「たぶんな。ビビのおじいちゃんとおばあちゃんが見つかったよ、とでも言うしかないんじゃないか」
そうだよね……。
いたいけな2歳児に、父親は見つかったけど一緒には暮らせないなんて言えるわけがない。
「おじいちゃんとおばあちゃんに会えると言えば喜ぶかもしれませんね……。そうだ、マルティーノおじさまやお父様たちにはなんて説明しましょう?」
特にマルティーノおじさまはビビの家族を探してくれてるんだし、もう探す必要がなくなったことを早く伝えなければ。
「事情が事情だけに、本当のことを言うわけにはいかないだろうな。トリスタン伯爵家の名前は出さずに、単にビビの祖父母が見つかって引き取られることになったとだけ伝えるしかないんじゃないか?」
どこから話が回りまわって、ロマーノの弟の妻の耳に入ってしまうか分からないもんね……。
うっかり口外しないように気を付けないとな。
「分かりました。……クリス様、ビビは……、行きたくないって泣くかもしれませんね」
「そうかもしれないな。だが、あのくらいの年齢なら、いずれ俺たちのことも忘れてしまうだろう。……寂しいけどな」
自分のことを振り返っても、2歳頃の記憶は残っていない。
ビビは、私たちのことを忘れるどころか、実の母親のことさえ憶えていられないかもしれないんだ……。
「母親のことも……、私たちのことも、忘れてしまうんでしょうか……、ううっ」
ビビは私たちによく懐いてくれて、とても愛らしい子だった……。
幼い子どもと暮らすのは大変なこともあったけど、可愛い笑顔を向けられて癒されることもたくさんあったよ。
だけど……、これからはもう、あの笑顔を見ることも出来なくなるんだ……。
「俺も寂しいよ……」
クリス様は私を抱き寄せ、あやすように背中をポンポンと叩いてくれた。
「ううーーー!」
ビビとの生活もあと3日で終わりなのかと思うと、後から後から涙があふれてしまう。
「別れの日まで、出来るだけビビと一緒にいてやろう。楽しい思い出はいつまでも記憶に残るかもしれない」
そうだ……、泣いてばかりじゃ、ビビの記憶に泣き顔だけが残ってしまうかも。
ビビのためにも、楽しい思い出をたくさん作ろう。
私はクリス様にこくりと頷き、指先でそっと涙を拭った。
「クリスティアーノ、マルチェリーナ。長い間世話になったな」
あっという間にこの日が来てしまった。
来てほしくないと思っていると、余計に時が経つのが早く感じるのはなぜなのか……。
「いえ、またいつでもいらしてください。完成した公爵邸も見ていただきたいですから」
「そうだな。それはぜひ見なければならん」
公爵邸の完成まで後2年くらいはかかるから、次回の訪問は2年後かな。
その時までに、どうかクラリッサ姫が大人しい子に成長していますように……。
「あなたたちも、たまには顔を見せに来てちょうだいね。待っているわ」
「はい、ありがとうございます」
王妃様の言う通り、たまには王都へ遊びに行くのもいいかもしれない。
友人たちもいるし、マルティーナとダニエルも今は王都住まいだしね。
「それではそろそろバルーンに……。そういえば、ビビはどっちのバルーンに乗りたい?」
クリス様がビビに尋ねる。
ビビが選べるなら、2人の王子たちと同じバルーンに乗る方をお勧めするけど。
「クララといっしょー!」
やはり……。
クラリッサ姫は同年代の女の子の友達がいないらしく、滞在中にビビのことを相当気に入っちゃったんだよね。
「よかったわね、クララ。これからもビビとお友達でいられるわよ」
それはトリスタン伯爵家の娘なら、王女の遊び相手として合格ってことかいな?
ビビの意思はどうなる……。
「クララのへやにあしょびにきてもいいよ!」
「う、うん……」
クラリッサ姫はビビの手をぐいぐいと引っ張ってバルーンに乗り込もうとする。
ちょっと待って!
まだお別れを言ってないよ!
「ビビ!」
「ねーたん、ねーたんもこっちー?」
ビビ……、私は乗らないんだよ……。
「ビビ、私は一緒には行けないのよ。ビビのおじいちゃんとおばあちゃんが待っているわ。げ、げんきでっ……暮らしてね」
今日は笑顔で見送ろうと決めていたのに、やっぱり涙が滲んでくるよ……。
「ねーたん……? なんで、なんでっ?」
ビビは大きな目をいっぱいに見開き、体当たりするように私に縋り付いてきた。
ロマーノからビビに話をしたと聞いたけど、ビビは私たちと別れて祖父母と暮らすことをちゃんと理解していたわけではないようだ。
「ごめんね、ビビ……。クリス様と私のおうちはここなの。でも、ビビは新しいおうちでおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らすのよ。きっと2人ともビビのことをすごく可愛がってくれるわ」
「いやあ! いくのやー! ビビもここにいるー!」
ビビは見る見るうちにくしゃりと顔を歪め、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
「ビビ……! ううっ」
私はビビの小さな体をぎゅっと抱きしめた。
ごめん……、ごめんね。
抱きしめることくらいしかできない自分がもどかしい……。
「ビビ。チェリーナと俺でビビの新しいおうちに遊びに行くから。そんなに泣かなくても、このバルーンがあればすぐに会えるんだよ」
クリス様は片膝をついて、私たち2人を同時に抱きしめながらそう言った。
「……ほんとう?」
「ああ、本当だよ。すぐに遊びに行くから」
「えっ、クリス様、本当ですか?」
トリスタン伯爵家ってそんな気軽に遊びに行ける感じなの?
すぐって、どれくらいすぐ?
「南の島を探しに行くんだろう? 帰りにちょっと足を延ばして王都に寄ればいいよ」
なるほど!
南の島に行った帰りに寄ればいいのか!
なんだ、本当にすぐ会えるじゃないの。
「そうですね! でも、勝手にお邪魔することに決めていいのかしら?」
「もちろん大歓迎です。ビビは王都にあるトリスタン伯爵家の屋敷で暮らす予定ですので、いつでもお立ち寄りください」
ロマーノがそういうなら、本当に遊びに行っていいんだよね。
よかったあ!
「ビビ、必ず会いに行くって約束するわ」
「うん……」
半信半疑なのか、ビビは聞き取るのがやっとという位のか細い声で返事をする。
「ビビが王都に行ったら、いっぱいご飯を食べて、たくさん遊んで、ぐっすり眠るの。出来るかな? ビビがちゃんと出来ているかどうか、確かめに行くからね?」
「うん!」
ビビは涙の浮かんだ目で、パアッと笑ってくれた。
健気だ……、ビビはこんな時でもわがままを言ったりしないんだな……。
でもきっと、血の繋がった祖父母に甘えているうちに、子どもらしいわがままも言えるようになるだろう。
そうだよ……。
これは正しい選択なんだから、笑って送り出してあげないと……。




